小池百合子都知事の子供時代
小池百合子都知事は、1952年7月15日兵庫県芦屋市生まれ。地元の芦屋市立岩園小学校から中学受験して、私立の甲南女子中学校に入学。小学生の時にヴァイオリンを習い、小学1年生から中学3年生までガールスカウトで活動していた。小池は、関西の高級住宅地で知られる芦屋に生まれ、子供の頃から習い事に励み、私学の女子校で学んだ。子供時代はお嬢様だった。
1968年に甲南女子高校に進学。在学中はテニス部、ソフトボール部、ESS部でクラブ活動に励んだ。1971年3月、甲南女子高校卒業。同年4月、関西学院大学社会学部に入学。
同年9月、大学を中退して、エジプトへ留学した。1972年6月、カイロ大学に入学、1976年10月、同大学文学部社会学科を卒業した。
学生結婚、そして離婚。
小池百合子が、カイロ大学に留学していた1973年10月、エジプトとシリアがイスラエル軍を奇襲攻撃する第4次中東戦争が勃発していた。その頃に、3歳年上の日本人留学生と交際をはじめた。1974年、21歳の時に同じカイロ大学の日本人留学生男性と学生結婚した。異国の空の下、さらに戦争という特殊な状況下において、若い二人の恋の炎は燃えたのか、小池からプロポーズをして結婚した。しかし、結婚生活は長くは続かなかった。二人の関係は3年ほどで終わり、離婚へ至った。夫婦が一緒に暮らしたのは約1年だった。相手は、サウジアラビアに引っ越して就職。小池はカイロでの留学を続けた。

第4次中東戦争
File:Yom Kippur War map-it.svg - Wikimedia Commons
小池は、帰国後、アラビア語通訳・講師として活躍した。日本テレビの仕事でカダフィ書記長、アラファト議長にインタビュアー、および会見のコーディネーターを務めた。
1982年には、初の自伝『振り袖、ピラミッドを登る』を出版した。
小池百合子を一躍有名にしたトルコ風呂
1984年、トルコからの留学生ヌスレット・サンジャクリさんの抗議により「トルコ風呂」の名称が「ソープランド」に改められた。それまでの日本では、浴室で女性従業員が男性客に対し性的なサービスをする性風俗店である「特殊浴場」を「トルコ風呂」と呼んでいた。小池氏の指摘により、1か月でトルコ風呂という業種名が電話帳から消え、特殊浴場の看板が掛けかえられた。

トルコ風呂
File:Typical setting of Turkish Bath or Hammam in Cairo.jpg - Wikimedia Commons
トルコ式公衆浴場ハマムには、垢すり師がいて、体をこすり、洗ってくれる。
ハマムは、アラビア語で「温める」、トルコ語では「蒸し風呂」という意味だ。日本の風呂と違い水には浸らず、加熱された大理石の上に座って汗を流し、洗面器ですくった水で身体を流す。
学歴詐称疑惑 ...カイロ大学を卒業していないのではないか
小池氏がエジプト国立カイロ大学を卒業していないのではないかという疑義が報じられた。これを受け、2020年6月、東京都知事選に出馬する意向を表明、都知事選の政策を発表する記者会見を開いた時にカイロ大学の卒業証書の原本を公表した。
小池知事、カイロ大学の卒業証書原本を公表「ご自由にご覧頂きたい」 | Business Insider Japan

カイロ大学
File:CairoUniv.jpg - Wikipedia
小池百合子のトレードマークはミニスカート
1988年、テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』(テレビ東京)の初代キャスターを務めた。小池百合子は、日本初の女性経済キャスターであり、女子アナではない。
ニュースキャスター時代にミニスカート姿で美脚を披露して話題になった。
ハイヒールとミニスカート姿で参院選に初当選
1992年参議院議員。1992年7月、40歳のときに結成したばかりの日本新党から参院選に出馬し、初当選を果たした。
選挙戦は、小池のトレードマークとも言えるミニスカートで登場、マスコミに「選挙もハイヒールとミニスカートで通します」とアピールした。翌1993年7月衆議院議員、その後の細川内閣では総務政務次官に就任した。
東京初の女性知事誕生
2003年9月の内閣改造で、環境大臣として初入閣を果たし、2005年の郵政選挙で、選挙区を東京10区に変更。その後、10年以上にわたり、東京10区で衆議院議員を務めた。
2006年の第一次安倍内閣では内閣総理大臣補佐官(国家安全保障担当)に任命され、翌2007年7月には女性初の防衛大臣に就任。55日間の任期を務めました。
2016年7月31日舛添要一氏の辞職に伴う東京都知事選初当選、初の女性都知事が誕生した。
小池氏のミニスカート&ハイヒールは、女性を強調するのではなく、戦う女性の象徴なのだ。

小池百合子(ゆりこ)知事