朝青龍の師匠『朝潮』

朝青龍の引退会見時の朝潮(写真右)
さようなら 朝青龍 - Everyone says I love you !
高砂部屋は、明治初期に活躍した初代高砂浦五郎が興し、初代高砂(高見山大五郎)により、高砂改正組が組織される。その後、大山部屋、若松部屋との吸収合併を経て、現在の7代高砂に至り、師匠名は初代高砂の名の「浦五郎」を継承している。その理念は初代から続く「角界の改革の探求」であった。

朝潮の本名は長岡末弘。1955年12月9日に高知県室戸市で生まれた。
小学校時代の成績は良く、勉強ができた。勉学のために高知市内の中学に志願し越境入学をして、下宿生活を送った。
大きい体と持ち前の親しみやすく明るい性格で「大ちゃん」と呼ばれ、皆から親しまれた。
中学時代から相撲部で頭角を現し、市大会では準優勝の成績を残している。
高校は高知県高知市城北町にある、高知県で最も古い歴史を持つ県立小津高校に進学、相撲部に入部した。その後、近畿大学に進学する。
大ちゃん、長岡末弘(朝潮)が残した記録

当時の長岡(朝潮)は近畿大学で教員免許を取ろうとしていた。しかし相撲を優先すると教育実習ができないために断念したという。
学生横綱とアマチュア横綱
日本相撲連盟などが主催する全国学生相撲選手権大会の個人戦の優勝者に贈られる称号である。学生横綱を取得した場合には、大相撲において幕下15枚目格の幕下付出の資格を取得することができる。
学生とアマチュアの横綱を連続獲得して、大相撲入りした長岡(朝潮)
1978年3月「今度はプロの横綱を目指します」と高砂部屋に入門する。
当時の兄弟子は、富士櫻。そして初めての外国人関取のアメリカ合衆国ハワイ出身の「高見山」(高見山大五郎)がいた。

長岡(朝潮)ちょんまげを結えないまま、新入幕で勝ち越した。

三賞受賞最短記録を更新した朝潮(長岡)
大相撲の三賞とは?
横綱、大関以外の幕内力士に送られる賞で、昭和22年秋場所から実施されている。
殊勲賞(横綱や大関に勝ち、勝ち越した力士)、敢闘賞(敢闘精神溢れる相撲を取り、勝ち越した力士)、技能賞(優れた技能を発揮し、勝ち越した力士)。

1979年(昭和54年)3月場所で高砂部屋では最高の四股名「朝汐太郎」を襲名。


1982年(昭和57年)11月場所に「朝汐太郎」から、「朝潮」に改名している。
横綱・若乃花を倒す、大ちゃんフィーバー
1983年1月、5日目に朝潮は、横綱・若乃花に勝ち星を挙げる。横綱・若乃花は引退を決意した、最後の相撲となり、大ちゃんフィーバーが巻き起こった。
1983年(昭和58年)3月場所後に「朝潮」は大関昇進した。

朝潮は、横綱「北の湖」に強かった
朝潮は大横綱である北の湖に13勝7敗という歴然たる強さを誇った。
1989年(平成元年)春場所に朝潮は引退した。年寄山響から若松部屋を継承する。
師匠として、モンゴル出身の外国人力士、朝青龍を横綱に育てあげる。
朝潮の芸能活動、歌手とCM
歌も歌った、朝潮太郎。


朝潮太郎と中村雅俊がコマーシャルで共演する。
朝潮(高砂親方)が来ているシャツが話題になる

朝潮(高砂親方)のシャツ
高砂親方のパイロットシャツ



普通サイズのパイロットシャツ
高砂審判長(朝潮)の迷言
「行事軍配は…どっちだっけ?」

翔天狼(しょうてんろう)を小籠包(しょうろんぽう)と間違えていれば、座布団2枚の大爆笑の記録を作れたのに残念…。
高砂部屋のおかみさん朝潮の妻、長岡恵さん

還暦を祝福された朝潮

HYPER 高砂部屋