体への負担が少ない挿絵へシフト
それまでの映画看板から、体への負担が軽い紙芝居や挿絵を描く仕事にシフトするようになる。
アメリカのイラストレーションを研究し、ノーマン・ロックウェルに強い影響を受けた。
ノーマン・ロックウェル
挿絵画家として才能を発揮、売れっ子イラストレーターに。
1954年、『小説倶楽部((桃園書房)に挿絵を描くと、たちまち評判に。
「明星」「平凡」等ではスターの似顔絵を描き、売れっ子挿絵画家となる。
さらに立風書房のジャガーバックスシリーズを始め、小学館の「なぜなに学習百科」シリーズ、学研の「ジュニアチャンピオンコース」、講談社の「ドラゴンブックス」などとする怪奇系児童書。
各社の学年誌・少年雑誌・少女雑誌にて、怪獣・怪人・幽霊・妖怪・怪奇現象などのイラストを手掛ける。
石原豪人の描く生々しく、妖しいイラストは子供たちの心を掴み、本の売り上げに大きく貢献した。
「マガジン」「サンデー」「少年画報」「キング」「ぼくら」、小学館の学年誌などの巻頭企画では常に引っ張りだこ。
少女雑誌では江戸川乱歩と組み、少年誌では円谷英二・香山滋らの「ウルトラQ」から始まった怪獣ブーム時代に乗って数え切れない挿絵を描き上げた。
寝る時間もろくに取れない殺人的なスケジュールの中、石原豪人はたった3日で百匹の怪獣を描いたこともあったという。
1967年の『少年マガジン』
「子供向けだから」、「時間が無いから」と絵に妥協することは無かった石原豪人。
絵に登場する人物の細かい表情まで丁寧に描き、文章からは想像しきれないものを全て補った。
文字が苦手な子供にとって、『文字を読みたくなる挿絵』を描く豪人は欠かせない存在であった。
「好き嫌いがなくてこそ高級な人間」がモットー
石原豪人のモットーは「好き嫌いがなくてこそ高級な人間」。
その主義の通り、注文されれば分野を問わず何でも描いた。
手がけた分野は、映画看板・紙芝居・カストリ雑誌・学習雑誌・少年雑誌・少女雑誌・芸能雑誌・新聞小説・劇画・広告・アメリカンコミックに至る。
さらにはシスコのキャプテンウルトラチョコレートのパッケージと包装紙まで手がけている。
時代の流れで少年誌の嗜好が劇画調からコミック調に変化していくと、豪人は「林月光」のペンネームを使って官能雑誌『SMマガジン』『小説エロトピア』やホモ雑誌『さぶ』へメインを移していく。
平成に入ってからはサブカルチャー雑誌やトレンド雑誌、家庭用ゲーム誌の挿絵まで描いていた。
豪人の『濃く』『暑苦しい』レトロな画風はオタク系雑誌で特に喜ばれたという。
小説の挿絵一つをとっても、歴史小説の司馬遼太郎、探偵小説の江戸川乱歩、日本的ヒーロー「月光仮面」の川内康範、SM官能小説の団鬼六。
全く異なる各分野のパイオニア全員に挿絵を提供しているのは石原豪人しかいないだろう。
その作品点数の多さゆえに、自宅の床が抜けたというエピソードもある。
石原豪人、自らの漫画作品も存在。
石原豪人は漫画にもチャレンジし、1964年に『平凡パンチ』にアメリカンコミック風の「マイアミにきた男」を、1970年~1971年、『週刊サンケイ』に劇画風の「柳生十兵衛」をそれぞれ連載していた。
「マイアミにきた男」Gorgin
「柳生十兵衛」石原豪人
素顔は「エロ」と「ホモ」、そして「ユーモア」を愛した奇人?
画家・イラストレーターとして偉大な経歴を持つ石原豪人だが、気難しい性格ではなく、気さくでユーモアのある人物であったという。
編集家・竹熊健太郎が石原豪人の晩年におこなったインタビューでは、なんと8割がエロ話でそのうち6割はホモ話だったという。
(だが石原豪人自身はゲイではないと語っていたらしい)
このインタビューの内容は書籍『篦棒(ベラボー)な人々』に収録されている。
石原豪人の個性的な人柄が垣間見える貴重な記事であるため、是非読んで欲しい。
篦棒な人々の「石原豪人」