エロやSMへ進出した石原豪人だが、その勢いはとどまることを知らない。
女性のエロスを書くだけでは飽き足らず、男性同士のエロ・ホモにまで手を伸ばす。
ゲイ雑誌『さぶ』の中面や巻末には、林月光として読者投稿のホモ体験談を脚色して絵物語に仕立てた『月光・天狗劇場』も掲載していた。
 
  	「今昔男色寺」
 
  	「体臭」
 
  	板前と客?
 
  	こっ、この手は?
 
  	水面の下では…
石原豪人の挿絵・イラスト『マリオブラザーズ』編
 
  	マリオブラザーズ①
 
  	マリオブラザーズ②
 
  	マリオブラザーズ③
奇才イラストレーター・石原豪人はどんな人物だったのか?
豊かな想像力と、卓越した画力。
その両方を兼ね備え、膨大な作品を生み続けた石原豪人はどんな人物だったのか?
 
  	石原 豪人(いしはら ごうじん)
少年時代から発揮されていた石原豪人の圧倒的な画力
天才的な挿絵の魅力は幼少時代に、郷土の島根県出雲市大社町で芝居小屋に通い続けた経験から起因し、映画雑誌に投稿し続けた少年時代にすでに大半が確立されていたという。
15歳の時には映画雑誌『オール松竹』の似顔絵募集で一等に当選している。
旧制中学を卒業後、満州へ行き壮絶な経験をする
旧制中学を卒業後、18歳で現在の満州(中国・内蒙古自治区)に渡り、電気関係の会社に就職する傍ら、アルバイトで映画の看板描きをする。
そこで戦争を体験し、徴兵されて日本軍の情報部でスパイ活動もしていたという。
死の危険を常に感じる環境で激烈な青春時代を過ごした。
帰国後、学業に付きながら絵を描き続ける。
終戦後は日本へ帰国し、松江市で映画の看板や紙芝居を描く仕事をした後、上京して高校に進学。
この頃、知人から「石原豪人」のペンネームをもらう。
通学しながら映画関連の仕事を続け、日本大学芸術学部に進学。
しかし、肺結核の治療のため学費の支払いが困難になり、また仕事が多忙になったこともあり中退した。
 
  	手書きが主流だった映画看板
 
     
    




