ファミ通読者が選ぶゲームハード別の80年代・90年代の懐かしい思い出ゲーム

ファミ通読者が選ぶゲームハード別の80年代・90年代の懐かしい思い出ゲーム

『ファミ通創刊30周年記念号』の30周年記念特集3「ファミ通読者が選ぶ思い出のゲームランキング」記事の中から80年代と90年代のファミリーコンピュータ、PCエンジン、メガドライブ、ゲームボーイ、スーパーファミコン、セガサターン、プレイステーション、NINTENDO64、ドリームキャストの各ハード別の思い出ゲームをまとめています。


ファミ通読者が選ぶ各ゲームハード別の懐かしい思い出ゲーム

週刊ファミ通2016年5月26日号から連続で掲載してきた、“思い出の1本”特集。今回は、ファミ通読者が選んだ“思い出の1本”を紹介します。ファミコンからXbox Oneまで、ハードごとに選ばれた作品をランキング形式で掲載。投票してくださった読者の方々は、“おもしろかった”という思い出で選ぶのか、友だちと遊んだ“つながり”の思い出で選ぶのか。さまざまな意見が集まった、3000弱の得票結果を28ページに及ぶボリュームの特集で発表します!

【先出し週刊ファミ通】ファミコンからXbox Oneまで、ファミ通読者が選んだ各ハードの思い出の1本をランキング形式で発表!(2016年6月2日発売号)
http://www.famitsu.com/news/201605/30106988.html

『ファミ通創刊30周年記念号』の30周年記念特集3:ファミ通読者が選ぶ 思い出のゲームランキング

【先出し週刊ファミ通】ファミコンからXbox Oneまで、ファミ通読者が選んだ各ハードの思い出の1本をランキング形式で発表!(2016年6月2日発売号) - ファミ通.com

『ファミリーコンピュータ』(1983年・任天堂)の懐かしい思い出ゲーム

ゲーム&ウオッチの事業を成功させた任天堂が、その利益を投入して開発した家庭用ゲーム機である。当時アーケードゲームで人気を博していたドンキーコングが見劣りなく家庭で遊べる程度の性能を目標に設定して開発された。

販売状況は発売当初こそPPUのバグの発覚による出荷停止があり振るわなかったものの、徐々に人気化し1年間で300万台以上を販売した。1985年には『スーパーマリオブラザーズ』を発売。この作品は大ヒットとなり本体の販売にも大きく貢献し、家庭用ゲーム機の市場を大幅に拡大させていった。

最終的な出荷台数は日本国外版にあたる“Nintendo Entertainment System”も合わせて、全世界累計で約6,291万台を記録した。内訳は日本国内で約1,935万台、日本国外で約4,356万台である。

当時の家庭用ゲーム機としては群を抜く高性能を備えており、本体の記憶域についても「複雑なゲームに耐えるよう、巨大なスペースを持っている」と評された。もっともMSXのような汎用のコンピュータと比べれば少ないメモリ容量で当時としても貧弱な仕様ではあるが、コストと性能のバランスを考慮した上で汎用性を割り切った設計になっている。主記憶は、アプリケーションのROMカートリッジによる供給を前提に、16KbitのSRAMで構成されている。

ファミリーコンピュータ (Family Computer) は、昭和58年(1983年)7月15日に任天堂より発売された家庭用ゲーム機。メーカー希望小売価格は14,800円。

『スーパーマリオブラザーズ』(1985年(昭和60年)9月13日・任天堂・横スクロール型のアクションゲーム)

『スーパーマリオブラザーズ』(Super Mario Bros.)は、任天堂が発売したファミリーコンピュータ用ゲームソフト。日本での発売は1985年(昭和60年)9月13日。略称は「スーパーマリオ」「スーマリ」「マリオ」など。横スクロール型のアクションゲームで、プレイ人数は1 - 2名。

日本中に超大ブームを巻き起こしたゲーム作品。そのブームは留まることを知らず世界中で超爆発的に売れた。

社会現象とも言える空前の大ブームを巻き起こし、ファミコンゲーム、ひいては家庭用ゲームの認知度を高めるのに最も貢献したソフトであると言われている。

シリーズ化され数多くの続編が出ており、またシリーズ以外にも多くの追随するゲームを生んだ。また、2007年(平成19年)には米国IGNで「史上最も影響力があったゲーム100選」において1位に選出されている。

『スーパーマリオブラザーズ』(1985年(昭和60年)9月13日・任天堂・横スクロール型のアクションゲーム)

スーパーマリオブラザーズの主人公。得意のジャンプとダッシュでピーチ姫をさらったクッパを倒し、キノコ王国を救うために冒険に出る。

マリオシリーズの主人公にして任天堂の看板キャラクターである。1981年の『ドンキーコング』でデビューしてから今日に至るまで、非常に多くのゲームソフトに主人公もしくは脇役・ゲストとして出演しており、2015年12月現在その数は200本以上に及ぶ。

また、任天堂公式ホームページのアイコンやクラブニンテンドー(現在はサービス終了済み)のロゴマークなどのデザインにも採用されている。

マリオが主役として登場するコンピューターゲームシリーズの累計販売本数は、代表的なアクションシリーズのみで全世界2億7500万本以上に達している。この記録はゲーム業界全体で見ても世界1位であり、他社が版権を有するものを含め、過去数十年間のゲーム産業で誕生したフランチャイズにおいてこの記録を上回るものは存在していない。

これらの実績から、「ゲーム史上、世界で最も知られているゲームキャラクター」として、ギネス世界記録にもその名を連ねている。

1985年9月13日に発売されたファミリーコンピュータソフト『スーパーマリオブラザーズ』が世界各国で社会現象を巻き起こす程の空前の大ヒットを記録。これをきっかけに全世界においてマリオの人気・認知度が爆発的に上昇し、以後もこの『スーパーマリオブラザーズ』のシステムを土台としたアクションシリーズを中心に、さまざまなジャンルのゲームソフトで主人公キャラクターとして起用されることとなる。

『スーパーマリオブラザーズ』の主人公キャラクターの「マリオ」 (ゲームキャラクター) 「ゲーム史上、世界で最も知られているゲームキャラクター」

『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(1988年(昭和63年)2月10日・エニックス(現:スクウェア・エニックス)・ロールプレイングゲーム)

『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(ドラゴンクエストスリー そしてでんせつへ)は、1988年(昭和63年)2月10日にエニックス(現:スクウェア・エニックス)より発売されたファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム。
その後、リメイクとして1996年(平成8年)に『スーパーファミコン ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』、2000年(平成12年)に『ゲームボーイ ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(ゲームボーイカラー専用)が発売されているほか、2009年(平成21年)より携帯アプリ版も配信されている。

2011年(平成23年)9月15日発売の『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』に、FC版およびSFC版が第1作『ドラゴンクエスト』や『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』と共に収録された。

ドラゴンクエストシリーズの第3作。堀井雄二の脚本・ゲームデザイン、鳥山明のキャラクターデザイン、すぎやまこういちのヒロイックな音楽などにより爆発的な人気を博し、発売日には量販店の前に数キロメートルの行列ができるなどの社会現象を巻き起こした。

『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(1988年(昭和63年)2月10日・エニックス(現:スクウェア・エニックス)・ロールプレイングゲーム)

勇名を馳せたアリアハンの「勇者オルテガ」は、初子を授かった直後より世界の支配を企む「魔王バラモス」を倒すべく旅立ち、そしてそのまま消息を絶った。伝聞に寄れば、彼は旅の途中で魔物に襲われ、戦闘の最中に火山に落ちて命を落としたのだという。

オルテガの子供(=主人公)は、自身の16歳の誕生日をきっかけにして父の遺志を継ぐために、アリアハン王に願い出て(最大で)3人の仲間とともに冒険へと旅立つ。旅の扉からアリアハンの外へと旅立ったあと、主人公は世界各地で起きる不思議な事件を解決していくことになり、船を手に入れると、冒険の舞台はさらに広がっていく。

こうして世界中を旅するうちに主人公たちは、世界に散らばっていた「6つのオーブ」を手に入れる。これらのオーブは「不死鳥ラーミア」を復活させるためのもので、この不死鳥がバラモスのもとに到達する鍵になるのだった。復活した不死鳥ラーミアに乗って空を飛ぶことで、宿敵バラモスの居城へと乗り込んだ主人公は、ついにバラモスを退治する。

だが、真の黒幕である「闇の支配者ゾーマ」と、もうひとつの世界 「アレフガルド」の存在が明らかになり、主人公は再び冒険の旅に赴く。主人公はアレフガルドの世界でゾーマの城に入るための「にじのしずく」を手に入れ、ゾーマとの最終決戦にのぞむ。

宿敵バラモスを倒すと、真の黒幕である「闇の支配者ゾーマ」の存在が明らかになる

日本での本作の発売日は平日(水曜日)であったにもかかわらず、発売日前日には販売店の前に徹夜の行列ができた。ビックカメラ池袋東口店(現:ビックカメラアウトレット池袋東口店)では前日から並んだ行列が最終的に1万人を超える長大な規模になり、マスコミのみならず、後に学習歴史漫画にも取り上げられた。

徹夜したり、学校を無断欠席してまでソフトを買いに来る児童・生徒もおり、その補導が多発したほか、品切れで買えなかった少年らによる窃盗や恐喝などの犯罪も多発した。この対策として、次作『ドラゴンクエストIV』以降のシリーズ本編については、発売日を学校の休みの日にしている(ただし、リメイク版は除く)。

また、一部の小売店が本作と人気のないソフトとの抱き合わせ販売を行ったことが問題化した。さらに、光文社が写真週刊誌『FLASH』にエンディングの画面を掲載してエニックスから著作権侵害で訴えられるという事件が発生し、改めて「テレビゲームの画面は著作物になるのか」という問題がクローズアップされることになった。

『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』の発売日には量販店の前に数キロメートルの行列ができるなどの社会現象を巻き起こした

『スーパーマリオブラザーズ3』(1988年10月23日・任天堂・横スクロール型のアクションゲーム)

『スーパーマリオブラザーズ3』(スーパーマリオブラザーズスリー、SUPER MARIO BROS. 3)は、1988年10月23日に任天堂が発売した、ファミリーコンピュータの横スクロールアクションゲームである。

販売本数は国内で約384万本であり、この本数はファミコンソフトとしては『スーパーマリオブラザーズ』に次いで2番目である。全世界では約1728万本に達する。略称は「スーパーマリオ3」「スーマリ3」「マリオ3」。

本作は『スーパーマリオブラザーズ』の続編として制作され、登場キャラクターやアイテム・ルールなどの多くの要素は『スーパーマリオブラザーズ』を引き継いでいるが、同時に非常に多くの変更や追加が施されており『スーパーマリオブラザーズ』とは大幅に変わっている。

発売当初「ファミコンソフトの最高傑作」と銘打ち自信作であることをアピールしていた通り、当時としては最高水準のグラフィックや内容的多様さを有していた。

今回クッパが襲ったのはキノコ王国ではなく、キノコワールドに点在する別の7つの国。各国で自分の子供たち・コクッパ7兄弟を率いてイタズラをし、あげくの果てに各国に古くから伝わる魔法の杖を盗み出し、王様を動物の姿に変えてしまった。今回の目的は、これら7つの国を順に回り、魔法の杖を取り返すことである。ただし、ゲーム途中でピーチ姫がクッパの本拠地である8つ目の世界である暗黒の国に連れ去られてしまうので、その時点からピーチ姫を奪い返すことが目的となる。

システム上の非常に大きな変更としては、マップシステムおよびマップアイテムの導入、新たなパワーアップの導入、そしてスクロール方式の多様化がある。各ワールドのステージはマップ上に配置され、ステージのクリア順にある程度の自由度が与えられたほか、2人プレイで共同して攻略することが可能となった。

『スーパーマリオブラザーズ3』(1988年10月23日・任天堂・横スクロール型のアクションゲーム)

『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(1990年(平成2年)2月11日・エニックス(現:スクウェア・エニックス)・ロールプレイングゲーム)

『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(ドラゴンクエストフォー みちびかれしものたち)は、1990年(平成2年)2月11日にエニックス(現:スクウェア・エニックス)より発売されたファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム。

その後リメイク版としてPlayStation(以下PS)版が2001年11月22日に、ニンテンドーDS(以下DS)版が2007年11月22日に、スマートフォン(iOS、Android)版が2014年4月16日に発売されている。ファミリーコンピュータで発売されたドラゴンクエストシリーズの中で、唯一SFCハード版及びGBハード版のない作品でもある。

ドラゴンクエストシリーズ第4作であり、FCで発売された最後のドラゴンクエスト作品である。前3作までで、シリーズ開発当初から構想されていた「初心者でも遊べるようにハードルを低くしたコンピュータRPG」という目的は達成し、本作からはドラゴンクエスト独自のシステムの導入が進んでいくこととなる。本作では、5つの章に分かれたシナリオや、AIによる戦闘システム、5人以上の仲間キャラクターと同時に冒険できる馬車システムが導入された。

主要プレイヤーキャラクターは勇者を含めた導かれし者と呼ばれる8人で、第一章から第四章までは勇者の仲間それぞれの旅立ちが描かれ、第五章は主人公である勇者が他の7人を次々と仲間に導き、人間達を滅ぼそうとする「地獄の帝王」を倒すために冒険をする。本作は後に「天空シリーズ」の第1弾という位置づけとされた。

『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(1990年(平成2年)2月11日・エニックス(現:スクウェア・エニックス)・ロールプレイングゲーム)

『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(1987年(昭和62年)1月26日・エニックス(現:スクウェア・エニックス)・ロールプレイングゲーム)

『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(ドラゴンクエストツー あくりょうのかみがみ)は、1987年(昭和62年)1月26日に株式会社エニックス(現:株式会社スクウェア・エニックス)より発売されたファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム。

日本では翌年にMSX、MSX2にも移植された。その後、リメイク版としてスーパーファミコン(以下SFC)用ソフト『ドラゴンクエストI・II』、ゲームボーイ(以下GB)用ソフト『ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II』に収録されている。2000年代後半に入ると携帯電話用アプリ(iアプリ、EZアプリ (BREW) 、S!アプリ)、スマートフォンアプリ(iOS。Android)としての配信も行われるようになった。その後Wii専用ソフトとして2011年(平成23年)9月15日発売の『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』に、ファミリーコンピュータ版(以下FC)がSFC版『ドラゴンクエストI・II』などと共に収録された。

ドラゴンクエストシリーズの第2作。徐々に高まった前作の人気を受け、発売直後から方々で品切れ、最終的に大ヒットとなり後にドラゴンクエスト現象といわれる基礎を作った。キャッチコピーは「勇者の伝説が再びよみがえる」。

本作の時代設定は前作『ドラゴンクエスト』から100年後である。本作の主人公たち3人は勇者ロトの血を引く前作の主人公の子孫たちであり、主人公・ローレシアの王子は、まず仲間のサマルトリアの王子とムーンブルクの王女を見つけ、そして3人で力をあわせて悪の大神官ハーゴンに立ち向かう。

前作と本作、後に発売された『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』の3作はストーリーの関連があることから、後に登場する英雄「ロト」の名を取って「勇者ロトの伝説シリーズ」、「ロト三部作」などと呼ばれるようになった。

『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(1987年(昭和62年)1月26日・エニックス(現:スクウェア・エニックス)・ロールプレイングゲーム)

『ドラゴンクエスト』(DQからDQ9)の歴代「ラスボス」(副ラスボス)と隠しボス(裏ボス) - Middle Edge(ミドルエッジ)

『ゼルダの伝説』(1986年2月21日・任天堂・ファミリーコンピュータ ディスクシステム用アクションアドベンチャーゲーム)

『ゼルダの伝説』(1986年2月21日・任天堂・ファミリーコンピュータ ディスクシステム用アクションアドベンチャーゲーム)

『ゼルダの伝説』は任天堂のディスクシステムの第一弾ソフトとして発売された。

ファミリーコンピュータ ディスクシステム (Family Computer Disk System) とは、任天堂から発売されたファミリーコンピュータ用の周辺機器。「ファミコンディスクシステム」あるいは単に「ディスクシステム」とも略される。

専用のディスクメディアに書き込まれたソフトウェアを読み込むことでゲームができる。日本国内で1986年2月21日に発売された。メーカー希望小売価格15,000円。対応ソフトは199タイトル、ソフト総売り上げ数は5,339万本。

ファミリーコンピュータ ディスクシステムとファミリーコンピュータを接続した様子

難易度が高すぎるファミコンゲーム10選「クリアできるのかよ?」 - Middle Edge(ミドルエッジ)

『PCエンジン』(1987年・NECホームエレクトロニクス)の懐かしい思い出ゲーム

任天堂のファミリーコンピュータが発売され数年が経過し、当時のハドソン(2012年よりコナミデジタルエンタテインメントに吸収合併)がより高性能のハードウェアを望むゲーム開発者やユーザーのニーズを把握したことで開発が始まり、市場に投入された。発売当初はファミリーコンピュータやセガ・マークIIIと競合し、後にスーパーファミコンやメガドライブと競合した。NECグループとしてはコンシューマ初参入ハードで、ハードウェアとソフトウェアの開発はハドソンが担当していた。

発売当時としては常識を覆す高速・高性能であり、任天堂のシェアを崩すには至らなかったが、新規ハードとして一定の普及に成功し国内市場では1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていた。

1990年代前半の日本市場において、PCエンジンの周辺機器であるCD-ROM2は最も普及していたCD-ROMゲーム機であり、NECの後藤富雄 (当時) は、「他のメーカーに先駆けてCD-ROMを採用したことに対しては、私としてはそれなりの自負がある」と述べている。

PCエンジン(PC Engine)とは、1987年10月30日に日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス)から発売されたHE-SYSTEM規格に基づく家庭用ゲーム機。当時のメーカー希望小売価格は24,800円。

『天外魔境II 卍MARU』(1992年3月26日・ハドソン・ロールプレイングゲーム)

『天外魔境II 卍MARU』(てんがいまきょうツー まんじまる)は、1992年3月26日にハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント)から発売されたPCエンジンSUPER CD-ROM²用ゲームソフト。ジャンルはロールプレイングゲーム (RPG)。キャッチコピーは「わが道に敵なし」。

2003年にPlayStation 2とニンテンドーゲームキューブ、2006年にニンテンドーDSでリメイクされたほか、2008年7月31日発売のPSP用ソフト『天外魔境コレクション』にPCエンジン版(ただし、CERO:B相当に修正されたもの)が収録されている。また、2011年3月17日にはゲームアーカイブス(PSP・PS3)で配信された。

架空の国ジパングを舞台にした天外魔境シリーズの2作目。発売当時は「30分に一度は大きなイベントが発生する」という触れ込みで宣伝していた。

前作『天外魔境 ZIRIA』(以下、ZIRIA)の続編。日本をモチーフにした架空の国ジパングのうちZIRIAでは描かれなかった、中部地方~西日本(九州・四国を除く)が舞台となっている。

主人公は「火多の国」に住むイタズラ好きだが根は優しいガキ大将「卍丸」。自分が「火の一族」の末裔と知り、各地にいる「火の一族」の末裔を探し、暴虐の限りを尽くす「根の一族」と戦い、各地に開花した暗黒ランを切るべく旅立つ。

『天外魔境II 卍MARU』(1992年3月26日・ハドソン・ロールプレイングゲーム)

『R-TYPE I』(1988年3月25日・ハドソン・横スクロールシューティング)

コナミの『グラディウス』などと共に、1980年代の横スクロールシューティングの金字塔としてゲーム史に名を残した作品である。

SF的要素を発展させ、H・R・ギーガー調の美術デザインの概念を取り入れた生物的な敵キャラクターやステージ造形、波動砲に用いられていた「溜め撃ち」システムや「フォース」システム、巨大戦艦との対決など、それまでの作品では見られなかった斬新な表現が数多く用いられており、後発に与えた影響は非常に大きい。

ゲームとしては、フォースや自機の性能が非常に強力である一方、ステージにトリッキーなギミックが多いため、強力な装備がそのまま攻略のしやすさには直結していない。

粘ることで通常よりも高い得点を見込める場面が多く、最も復活の難度の高い箇所が最も得点効率の高い場面になっているなど、得点稼ぎを意識した仕掛けが随所に施されている。そのため全盛時はハイスコア競争が過熱した。また、稼動から20年を経てなおも全国1位のスコアが更新されたこともある。

『R-TYPE I』(1988年3月25日・ハドソン・横スクロールシューティング)

『イースI・II 』(1989年12月21日・日本ファルコム・アクションロールプレイングゲーム)

『イースI・II 』(イースワン・ツー、Ys I・II)とは、日本ファルコムのアクションロールプレイングゲーム (ARPG)、〈イースシリーズ〉の第1作『イース』 (Ys I) と第2作『イースII』 (Ys II) を一本にまとめて発売された物。PCエンジン (PCE) CD-ROM2、Microsoft Windows (Win)、PlayStation 2 (PS2)、PlayStation Portable (PSP) で発売された。

冒険家アドル・クリスティンを主人公としたARPGシリーズ。ファルコムを代表するコンピューターゲームシリーズでもある。当時マニア指向の強かった“RPG”をゲームの代表的ジャンルへと一気に飛躍させ、後のRPGブームの先駆けともなった。

『I』、『II』の副題はそれぞれ『失われし古代王国 序章 (Ancient Ys Vanished Omen)』、『失われし古代王国 最終章 (Ancient Ys Vanished The Final Chapter)』であり、この2作は1つの物語の前後編となっている。従ってストーリーは密接に繋がっており、片方だけのプレイではストーリーを理解する事は出来ない。この2作品をPCEへの移植の際に、一つにまとめたのが『イースI・II』の最初である。

『I』と『II』の一本化
『I』と『II』を繋げ一本のゲームとした。従って『I』をプレイせずに『II』から始める事は出来ず、『I』部分クリア時のステータスは『II』部分の開始時に所持金、大半のアイテムを除きそのまま引き継がれる。この為、『II』のレベル1で戦う敵とは、『I』のクリアレベルで戦う事になりゲームバランスには大きな変更がなされている。

2作品を繋げ、1作目の最初から2作目の終盤までレベルが上がり続けるようにとのバランス調整は、たとえクリアまで等間隔でレベルが上がり、クリア直前に最高レベルに達するゲームを2本繋げるだけでも大きな変更を伴うが、イースの場合はさらに『I』がゲーム中盤で最高レベルに達する仕様であったためにより複雑であり、武器によるステータス補正、敵の強さ等を考えると、ゲームバランスにおいてはほとんど原形をとどめていない。

『イースI・II 』(1989年12月21日・日本ファルコム・アクションロールプレイングゲーム)

『ときめきメモリアル』(1994年5月27日・コナミ(現・コナミホールディングス)・恋愛シミュレーションゲーム)

『ときめきメモリアル』は、1994年5月27日に、コナミ(現・コナミホールディングス)からPCエンジンSUPER CD-ROM²向けに発売された、恋愛シミュレーションゲーム。なお、2006年3月31日の持株会社化に伴い、版権はコナミデジタルエンタテインメントに移っている。

略称は、一般的に「ときメモ」として知られているが、コナミの公式な略称は「ときめき」とされている。これは当初「ときめき」を正式タイトルにする方向だったことから来ており、商標が取得できなかったため、改題された。ただ、『ONLINE』のCMなどでは公式でも「ときメモ」の略称が用いられることもある。キャラクターデザインは、小倉雅史(中国語版)(こくら雅史)。

本作は、日本の家庭用一般ゲームにまだ「恋愛シミュレーションゲーム」「恋愛ゲーム」というものが定着してなかったころにPCエンジンSUPER CD-ROM²向けに発売されたゲームである。この作品の大ヒットによりこの分野がジャンルとして一般化し、ソフトの発売数も増加していった。

コナミのPCエンジン最後のタイトルである。当時、開発者はシューティングの企画を出したものの会社からは良い反応がなく「PCエンジンでは美少女系のゲームが売れていたということもあって取りかかることになったんです。」という理由で開発された。

いわゆる「美少女ゲーム(ギャルゲー、アダルトゲーム)」が多くのハードコアなゲームユーザーから軽視されていた時期のため、前評判は決して高いものではなかった。

しかしPCエンジン専門誌2誌でのレビューの高評価と、発売前にNifty Serveに投稿された電撃のレビュワー自身のレビューがパソコン通信(主にNifty ServeとPC-VAN)で話題となり、PCエンジン末期のソフトとしては爆発的な人気を呼ぶ。

だが1994年はPCエンジン市場自体が既に末期で、元々コナミ側でこのゲームをさほど重視しておらず生産量が少なかったこと、さらに当時のゲーム流通の不備ゆえに売り切れが続発。プレミアム価格が付くなどの騒動を巻き起こし、第4版まで再発売が繰り返された。再発されるたびにバグの改善等の細かな修正が加えられていった。なお、バージョンはパッケージ裏の記号表記で確認できる。

『ときめきメモリアル』(1994年5月27日・コナミ(現・コナミホールディングス)・恋愛シミュレーションゲーム)

『邪聖剣ネクロマンサー』(1988年1月22日・ハドソン・ロールプレイングゲーム)

『邪聖剣ネクロマンサー』(じゃせいけんネクロマンサー)は、ハドソンから発売されたゲームソフトである。1988年1月22日に、PCエンジン初のロールプレイングゲーム(RPG)として、HuCARDで発売された。

当時のゲーム機としては最高の同時発色数を謳ったPCエンジンの機能を駆使し、戦闘シーンでは敵キャラ(モンスター)から音を立てて血が吹き出たり、内臓や死体などを模したグロテスクな敵が登場した。

TVCMでのキャッチフレーズは「夜、一人では遊ばないでください」。画像と音楽は非常に凝った作りになっている。主な敵モンスターの名前はクトゥルフ神話を題材にしている。シナリオは三条陸である(エンディングクレジットで確認できる)。
全体的に、難易度が高い。

独特の戦闘バランスに加え、敵モンスターは陸地を移動するごとに急に強くなる。また、一部の敵から強力な「痛恨の一撃」があり、レベルが低い時点では即死することもある。

洞窟はアイテムを用いても視界が非常に狭く、壁には様々な抜け道が存在し、最後の大陸に渡るために必要な抜け道もある。「トルース」や「レジェルダー」など、フィールド内やダンジョン奥にある隠しアイテムは、全くのノーヒントである。

『邪聖剣ネクロマンサー』(1988年1月22日・ハドソン・ロールプレイングゲーム)

『メガドライブ』(1988年・セガ・エンタープライゼス)の懐かしい思い出ゲーム

セガ・マークIII及びマスターシステムの後継機で、すでに稼働していたアーケード用SYSTEM16基板をベースに、メインCPUには当時、SHARPのX68000やアップルのMacintoshなど高級パソコンに多く搭載されていた高性能CPU MC68000を採用し、またメインCPUの負荷軽減と下位互換を考慮してサブCPUにはZ80を搭載したデュアルCPU構成。別売のメガアダプタによりセガマークIIIとの互換性を持たせている。

日本では任天堂のスーパーファミコンやNEC HEのPCエンジンを相手に、海外市場でも国内と同様にSNESやTurboGrafx-16のほか、北米市場ではAtari Jaguarや3DO、欧州市場ではAmiga CD32などの競合機と、熾烈なシェア競争を繰り広げた。

メガドライブを機にゲームアーツ、ウルフ・チームやテクノソフト、エレクトロニック・アーツ、U.S. Goldなど国内外を問わず多くのパソコンソフトメーカーがコンシューマーゲーム市場へ初参入している。

メガドライブ(MEGA DRIVE)とは、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が1988年10月29日に日本で発売した16ビットの家庭用ゲーム機である。メーカー希望小売価格は21,000円。

『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』(1991年7月26日・セガ(後のセガゲームス)・アクションゲーム)

『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』は、セガ(後のセガゲームス)が1991年7月26日に発売したメガドライブ用アクションゲーム。ソニックシリーズ第1作。略称はソニック1。100万本以上の売り上げが見込めるソフトとして開発され、全世界で1500万本以上を売り上げた。

なお、アメリカのジェネシス(日本国外版メガドライブ)では同年6月23日、日本より先に発売された。国外版の内容は概ね日本版と同じだが、演出やボーナスなどに微妙な差異がある。

音速のハリネズミ「ソニック」が、悪の科学者「ドクター・エッグマン」から故郷「サウスアイランド」を守るために活躍する、サイドビュージャンプアクションゲーム。 

これまでの横スクロールアクションゲームでは見られなかった、高速で動くキャラクターが大きな魅力である。難易度は高めだが、十字キー以外はジャンプのみというシンプルな操作方法に加え、「リング」を1個でも持っていればダメージを食らっても即死せずにリングがばら撒かれ、さらにそのリングはその場で回収できるという、初心者に配慮したシステムとなっている。

『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』(1991年7月26日・セガ(後のセガゲームス)・アクションゲーム)

『シャイニング・フォース 神々の遺産』(1992年3月20日・セガ(後のセガゲームス)・シミュレーションRPG)

『シャイニング・フォース 神々の遺産』(シャイニング・フォース - かみがみのいさん)は、1992年にセガ(後のセガゲームス)が発売したシミュレーションRPG。

日本国外では『Shining Force: The Legacy of Great Intention』(シャイニング・フォース - ザ・レガシー・オブ・グレート・インテンション)のタイトルで発売され、2004年にゲームボーイアドバンスでリメイク版の『シャイニング・フォース 黒き竜の復活』(シャイニング・フォース くろきりゅうのふっかつ)が発売された。

シャイニング・シリーズの2作目であり、シリーズ上の時系列では1作目の『シャイニング&ザ・ダクネス』(1991年)より古い時代の物語である。後には『II』(1993年)、『III』(1997年)のようなナンバリングタイトルや、外伝的な作品も数多く製作された。
プレイヤーは光の軍勢「シャイニング・フォース」を率い、各地を転戦して経験を積み、新たな仲間を加えながら闇の軍勢に立ち向かうことになる。

基本的なゲームの流れは、キャラクターを駒のように動かして敵と戦うパートと、街でイベントを起こしたり、戦闘の準備をするパートを繰り返しながら進んでいく。シナリオは8章からなり、分岐などはない。
キャラクターデザインは玉木美孝が担当した。

『シャイニング・フォース 神々の遺産』(1992年3月20日・セガ(後のセガゲームス)・シミュレーションRPG)

『ぷよぷよ』(1992年12月18日・セガ・落ち物パズルゲーム)

『ぷよぷよ』(Puyo Puyo)は、株式会社コンパイルが発売した落ち物パズルゲームのシリーズ。また、このシリーズにブロックとして登場するスライムタイプのモンスターの名前でもある。どちらも縮めて「ぷよ」と呼ばれる。

1998年3月にコンパイルが経営破綻により和議申請を行った際、『ぷよぷよ』シリーズの知的財産権がセガ(後のセガホールディングス)に売却され、2002年9月以降はコンパイルからの販売が終了し、その後はすべてセガグループ各社(セガゲームス、セガ・インタラクティブ)が販売を行っている。

『テトリス』の登場により空前の落ち物パズルゲームブームとなり、1980年代末から1990年代初頭に掛けて各社から二匹目のドジョウを狙った多くの亜流作品のパズルゲームが登場した。『ぷよぷよ』もまた、そのような時代に生まれたパズルゲームの一つである。

当時ぷよぷよ以前の落ち物パズルには面クリアがなく、難易度が徐々に上昇する中でどれだけミスをしないで長時間続けられるかを競う「自分自身との戦い」の要素が大きかった。実際に当初セガからはアーケード版の開発に当たって、「1Pプレイをエンドレス形式にしよう」と提案され、それでロケテストに望んだが成績が振るわなかったためコンパイル社長の仁井谷正充が「ひとりでぷよぷよ」を提案したところ、テストの評判が良く採用されることになった。

その後、画面とサウンドを強化し、モードや操作性などに大幅な改良を加え、対戦モード「ひとりでぷよぷよ(対コンピュータ戦)」「ふたりでぷよぷよ(対人戦)」をメインにしたアーケード版が1992年10月に、メガドライブ版が1992年12月18日に発売された(ともに発売はセガ)。

これにより本作ではCPUの操るキャラクターや他のプレイヤーという「対戦相手との戦い」がテーマとなり、ゲームセンター等で対人対戦が大いに盛り上がることとなった。また、可愛らしいキャラクターたちが受けたのか、女性プレイヤーも多かった。また、50-60代という比較的高齢のプレイヤーも少なくなかった。

このようにして、アーケード用の対戦型格闘ゲームにより一般化していた「対戦プレイ」の要素を落ち物パズルに持ち込んだ本作は老若男女から支持され大ブームとなり、瞬く間に『テトリス』と並ぶ落ち物パズルゲームの代名詞となる。

『ぷよぷよ』(1992年12月18日・セガ・落ち物パズルゲーム) 『ぷよぷよ』は『テトリス』と並ぶ落ち物パズルゲームの代名詞となる。

同色の“ぷよ”を上下左右に4つ以上揃えると消すことができます。ぷよを消すと、相手側に“おじゃまぷよ”を降らせることができます。

ぷよを連続して消していく“連鎖”は、2連鎖…3連鎖…と、連鎖を重ねるごとに、大量のおじゃぷよを相手に送り込むことができます。

「ぷよ」を同じ色同士で4つ以上くっつけて次々と消していこう。

『ゲームボーイ』(1989年・任天堂)の懐かしい思い出ゲーム

1280万台以上を売り上げた任天堂初の携帯ゲームタイトルゲーム&ウオッチを発売していた任天堂が、その次世代ゲーム機器として発売した商品。任天堂の携帯ゲーム機としては2つ目にあたる。

エポック社から発売されたゲームポケコンに次ぐROM交換方式の携帯型ゲーム機である。本機はシャープと共同で開発し、シャープは40億円を投じゲームボーイの液晶開発用の工場を設立。液晶は同社のものを使用している。当時、据え置き型のゲーム機では使用できる色数の多さを謳う機種もあった中で、本機は乾電池の「持ち」と価格面の兼ね合いからモノクロ型(4階調)を採用している。

1989年に全世界で発売され、同時発売ソフトは『スーパーマリオランド』『アレイウエイ』『ベースボール』『役満』の4本だった。

ゲームボーイ(GAMEBOY)は、1989年4月21日に任天堂が発売した携帯型ゲーム機。日本国内での発売当時のメーカー希望小売価格は12,500円(税込)。

『ポケットモンスター 赤・緑』(1996年2月27日・任天堂・ゲームボーイ用ロールプレイングゲーム)

『ポケットモンスター 赤・緑』(ポケットモンスター あか・みどり)は、1996年2月27日に任天堂から発売されたゲームボーイ用ロールプレイングゲーム『ポケットモンスター 赤』と『ポケットモンスター 緑』の総称である。

『ポケットモンスター 赤』と『ポケットモンスター 緑』はポケットモンスターの1作目であり、カードゲームやアニメなどの関連商品やメディアミックスを含めた『ポケットモンスター』(ポケモン)の名を冠する最初の作品である。パッケージのポケモンは、『赤』がリザードン、『緑』がフシギバナ。

このゲームの主な目的はすべてのポケモンを集めてポケモン図鑑を完成させることであり、それに付随するシナリオとして、同い年のライバルとの競い合い、悪の組織との戦い、各地のポケモンジムへの挑戦、勝利の証であるバッジを8つ全てを手に入れる、全てのバッジを手に入れた者だけが進めるポケモンリーグで四天王との対決という、一連の流れがある。

このシナリオのプロットはポケモン本編シリーズすべてにほぼ同じ形で共通しており、最初の作品でありながらもすでに『赤・緑』の時点で基礎が出来上がっていたといえる。

『赤』と『緑』の主な違いは特定のポケモンの出現率、出現するポケモンの種類の2点で、シナリオやテキストに違いはない。後述の別バージョン『青』『ピカチュウ』も含め、NINTENDO64の『ポケモンスタジアム』シリーズすべてに対応している。

『ポケットモンスター 赤・緑』(1996年2月27日・任天堂・ゲームボーイ用ロールプレイングゲーム)

『テトリス』(1989年6月14日・任天堂・落ち物パズル)

『テトリス』(TETRIS)は、1989年6月14日に任天堂から発売されたゲームボーイ用ゲームソフト。

1人プレイでは「A-TYPE」と「B-TYPE」の2つのモードがあり、A-TYPEはゲームオーバーになるまでラインを消し続けてハイスコアを競うモードであるのに対し、B-TYPEは25ラインを消し終えた際のスコアを競うモードとなっている。

2人プレイでは先に一定のライン数を消すか、相手プレイヤーのブロック画面いっぱいになるまでせり上げるのを競うモードとなっており、ここで史上初めて対戦プレイの要素が導入された。

『テトリス』(1989年6月14日・任天堂・落ち物パズル)

『ポケットモンスター 金・銀』

『ポケットモンスター 金・銀』(ポケットモンスター きん・ぎん)は、1999年11月21日に任天堂から発売されたゲームボーイ用ロールプレイングゲーム『ポケットモンスター 金』と『ポケットモンスター 銀』の総称である。

『ポケットモンスター 金』と『ポケットモンスター 銀』は『ポケットモンスター』シリーズ完全新作(別バージョンやリメイク以外の本編作品の新作)の2作目であり、『ポケットモンスター 赤・緑・青・ピカチュウ』の続編でもある。

パッケージのポケモンは、『金』がホウオウ、『銀』がルギア(ホウオウ、ルギアとも伝説のポケモンという設定で、今作以降のポケットモンスターシリーズのパッケージを飾るポケモンは、すべて伝説のポケモンである)。

ゲームボーイカラー専用ソフトという括りではないものの、グラフィックや通信インターフェースなど全面的にゲームボーイカラーに対応しており、また、カートリッジにリアルタイムクロックを内蔵することで、現実世界と作中の時間の流れが連動する要素も盛り込まれている。

本作では『赤・緑』の舞台となった「カントー地方」の西に隣接する形で存在する「ジョウト地方」がシナリオ前半の舞台となり、後半のシナリオではカントー地方が主な舞台となる。

作中では前作から3年が経過しているという設定で、オーキド博士のみならず、前作の主人公やライバル、ジムリーダーなど多数の主要な登場人物も続投している。特に本作は前作の主人公がNPCとして直接登場する点と2つの地方をまたにかけたシナリオが展開されるという点で、以降のポケットモンスター本編シリーズとは趣を異にする。

『ポケットモンスター 金・銀』(1999年11月21日・任天堂・ゲームボーイ用ロールプレイングゲーム)

『魔界塔士 Sa・Ga』(1989年・スクウェア(現:スクウェア・エニックス)・ゲームボーイ用ロールプレイングゲーム)

『魔界塔士 Sa・Ga』(まかいとうし サガ)は、1989年(平成元年)12月15日にスクウェア(現:スクウェア・エニックス)からゲームボーイ(以下GB)用として発売されたロールプレイングゲームである。

ファミリーコンピュータで『ファイナルファンタジー』を大ヒットさせたスクウェアがゲームボーイに参入し、携帯ゲーム機初のロールプレイングゲームとして発売した作品が本作である。サガシリーズの第1作目であり、スクウェア初のミリオンセラー作品でもある。

かつて平和だった世界も今は昔。モンスターが跳梁跋扈しており、世界の中心に立っている塔も、以前は自由に登れたはずだが現在は入り口が閉ざされている。そのため、人々の生活は次第に荒廃していた。そんな人々の間でも、希望をもたらす伝説があった。

塔の頂上には素晴らしい楽園が存在するのだという。いつしか多くの冒険者が、楽園を求めて塔の扉を開き、その謎に挑んでいった。しかし、それらの冒険者たちがどのような結末をたどったのかを知る者はいない。そして今、塔へ挑もうとする冒険者がまた新たに1人現れたのだった。

サガシリーズの第1作目『魔界塔士 Sa・Ga』(1989年・スクウェア(現:スクウェア・エニックス)・ゲームボーイ用ロールプレイングゲーム)

『Sa・Ga2 秘宝伝説』(1990年12月14日・スクウェア(現スクウェア・エニックス)・ゲームボーイ用コンピュータRPG)

『Sa・Ga2 秘宝伝説』(サ・ガ ツー ひほうでんせつ)は、1990年(平成2年)12月14日にスクウェア(現スクウェア・エニックス)からゲームボーイ(以下、GB)用ソフトとして発売されたコンピュータRPG。サガシリーズ第2作。北米版のタイトルは「Final Fantasy Legend II」であり、ファイナルファンタジーシリーズ外伝の扱いになっている。

前作『魔界塔士Sa・Ga』の特徴だった経験値によらない成長を採用したシステムを踏襲し、一部改良されている。プレイヤーキャラクターは「人間」「エスパー」「モンスター」に加えて新登場の「メカ」を含めた4種族に増加し、それぞれの個性も一層豊かになった。ほとんどの武器に使用回数が設けられているシステムも引き続き採用されている。

世界を創造したという古き神々の遺産は、77個の秘宝として残されている。そして、全ての秘宝を一つに合わせたとき、計り知れない力が蘇るという。この秘宝をめぐって多くの者が争った。秘宝を手にした者の中には、その強大な力を利用して自ら新しい神と名乗る者も現れた。そんな時代、主人公の父は、幼い主人公に秘宝の一つを預け、誰にも渡してはいけないと言い残して旅に出た。

時は流れ、成長した主人公は、帰らぬ父を捜すために旅立つ決意をする。母や先生に別れを告げ、学校の同級生3人と共に旅立った。

『Sa・Ga2 秘宝伝説』(1990年12月14日・スクウェア(現スクウェア・エニックス)・ゲームボーイ用コンピュータRPG)

『スーパーファミコン』(1990年・任天堂)の懐かしい思い出ゲーム

発売当時のメーカー希望小売価格は25,000円。型番はSHVC-001(SHVCはSuper Home Video Computerの略)。雑誌やマリオカートシリーズにおける『スーパーマリオカート』のリメイク作品のハード通称などでよく見られる略記・略称はSFC(SUPER Famicomの略)、スーファミなど。欧米では“Super Nintendo Entertainment System”(スーパーニンテンドーエンターテインメントシステム、略称:Super NES、またはSNES)として発売された。発売されたハードウェアではソフトウェアの後方互換性はないものの、機器名称にはファミリーコンピュータの略称として広く親しまれたファミコンの語句を採り入れ、次世代機としての位置付けを明確にした。

日本での出荷台数約1717万台、日本以外では約3193万台、全世界累計出荷台数約4910万台。対応ソフトは1990年から2000年の間に1388タイトル(非ライセンス品を含まず)発売された。

開発当初は、当時最大の市場シェアを持っていたファミリーコンピュータとの互換性を維持する為の開発努力も試みられた。実際に一部では上位互換などとも宣伝されており、発売前のモックアップでは映像音声出力およびコントローラを共通化した新型ファミコン「ファミコンアダプタ」により互換性を保つ案も提示されていた。最終的には互換性の維持を断念し、新規プラットフォームとして発売された。

しかしライトユーザーや大手ソフトメーカーの取り込みには成功し、既に発売されていたPCエンジン、メガドライブを超える規模のシェアを獲得。結果的に、第四世代、16ビットゲーム機の時代でも、任天堂はメインプレーヤーの座を堅持した。なお、最大市場の北米とフランス・ヨーロッパ・オーストラリア等の欧州市場では先行していたGENESIS(北米版メガドライブ)、メガドライブとほぼ互角の状態で市場を分け合う形に留まっている。

2003年に生産打ち切り、2007年には修理も打ち切られ、新規にゲームが作られることもなくなっているが、未だに根強い人気を誇るハードである。2008年2月に調査が行われた「保有しているゲーム機ランキング」(オリコンランキング)でPlayStation 2(62.3%)、ニンテンドーDS(55.4%)に次ぐ第3位(42.5%)を記録した。

スーパーファミコン (SUPER Famicom) は、任天堂が1990年11月21日に日本国内で発売した家庭用ゲーム機である。ファミリーコンピュータの後継機として発売された。

『スーパーマリオワールド』(1990年11月21日・任天堂・アクションゲーム)

『スーパーマリオワールド』(Super Mario World)は、任天堂から1990年11月21日に発売されたスーパーファミコン用ゲームソフト。『F-ZERO』と並ぶ、スーパーファミコンのローンチタイトルの1つで、ジャンルはアクションゲーム。

1990年当時人気絶頂期にあった任天堂のゲームキャラクター「マリオ」が活躍するスーパーファミコン第1弾ローンチタイトルとして同機の普及を牽引するという役割を担った。ヨッシーなど新しいキャラクターの登場や、スーパーファミコンの表現能力を強調したカラフルなグラフィックでゲームファンを引き付け、ファミリーコンピュータからの移行を円滑に進めることに成功し、スーパーファミコン定番ソフトとしての地位を獲得した。

日本国内におけるスーパーファミコン用ソフト販売本数で『スーパーマリオカート』(382万本)に次いで2番目に多い約355万本を記録(全世界累計約2061万本は歴代1位)し、発売されてから2 - 3年間はほとんど価格が下がらなかったことも本作品の人気の高さを象徴している。

ただし、日本国外ではメガドライブ(北米/カナダではSEGA GENESIS)のキラータイトルの『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』に先行されていたこともあって、ほぼ互角という状態で留まっている。

『スーパーマリオワールド』(1990年11月21日・任天堂・アクションゲーム)

『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(1992年9月27日・エニックス(現: スクウェア・エニックス)・スーパーファミコン用ロールプレイングゲーム)

『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(ドラゴンクエストファイブ てんくうのはなよめ)は、1992年(平成4年)9月27日にエニックス(現: スクウェア・エニックス)より発売されたスーパーファミコン用ロールプレイングゲーム。

リメイク版として2004年にPlayStation 2(以下PS2)版が、2008年にニンテンドーDS(以下DS)版が、スマートフォン(iOS、Android)版が2014年12月12日に発売されている(PS2版およびDS版はのちに廉価版「アルティメットヒッツ」として発売された)。

ドラゴンクエストシリーズ第5作。前4作はファミリーコンピュータで発売されてきたが、本作は後継機スーパーファミコンで発売された初のドラゴンクエスト作品である。キャッチコピーは「愛がある、冒険がある、人生がある」。PS2版は「強き心は時を越えて」。DS版は「冒険という、もう一つの人生」。

当初、1991年中の発売を予定し、エニックスが同時期に発刊していた『月刊少年ガンガン』とのコラボ企画(『V』の読者プレゼント企画)が行われたが、製作中にメインプログラマが独立(クライマックス)し開発が難航。1992年3月、1992年5月31日、1992年8月と変更を繰り返し、最終的に1992年9月27日に発売された。この影響で『ガンガン』とのコラボ企画が大幅に縮小された(当初、毎月100名だったが、途中から何の説明もなく毎月50名に変更)。具体的な発売日決定後の発売日変更は極めてまれである。

親子3代に渡るストーリーや、物語中盤に結婚という人生の重大なイベントがあることが特徴であり、モンスターを仲間にするシステムが導入された。シナリオ・ゲームデザインの堀井雄二は、「本作の本質は感動であり、一番の感動はもう一つの人生を体験することだ」と語っている。DS版のCMでは「人生を体験できるゲーム」と紹介された。

対応機種がスーパーファミコンとなり画質、音質が向上した。また、前作までよりもストーリー重視の作風となり、重要キャラクターの会話が自動進行するイベントシーンが増加した。また、クリア後の冒険の書(セーブファイル)で行ける「隠しダンジョン」が初登場し、最深部に隠しボスが存在する。

『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(1992年9月27日・エニックス(現: スクウェア・エニックス)・スーパーファミコン用ロールプレイングゲーム)

『ファイナルファンタジーV』(1992年12月6日・スクウェア(現スクウェア・エニックス)・ロールプレイングゲーム)

『ファイナルファンタジーV』(ファイナルファンタジーファイブ、FINAL FANTASY V、略称:FFV、FF5、ファイファンVなど)は、スクウェア(現スクウェア・エニックス)発売のコンピューターゲームソフトで、ファイナルファンタジーシリーズの本編第5作目にあたる。

1992年12月6日に、スーパーファミコン(SFC)用のソフトとして発売、ファイナルファンタジーシリーズ初のダブルミリオンを記録した。1998年にはコンビニエンスストア流通向けのプレイステーション(PS)版が発売され、1999年には、『ファイナルファンタジーIV』と『ファイナルファンタジーVI』をセットにした『ファイナルファンタジーコレクション』として一般流通で販売された。

また、ゲームボーイアドバンス(GBA)版『ファイナルファンタジーV アドバンス』が2006年10月12日に発売されている。2011年1月18日からWiiのバーチャルコンソールでSFC版が、同年4月6日からゲームアーカイブス(PS3・PSP)でPS版が配信開始された。2013年3月28日よりiOS(iPhone/iPod touch/iPad)版が、2013年9月26日よりAndroid版が配信開始され、2014年3月26日からはWii UのバーチャルコンソールでSFC版が配信された。

『ファイナルファンタジーV』(1992年12月6日・スクウェア(現スクウェア・エニックス)・ロールプレイングゲーム)

『ファイナルファンタジー』(FF1からFF13)の歴代「ラスボス」と「隠しボス(裏ボス)」 - Middle Edge(ミドルエッジ)

『ストリートファイターII』(1992年6月10日・カプコン・対戦格闘ゲーム)

『ストリートファイターII』(ストリートファイターツー、Street Fighter II)は、カプコン制作の対戦型格闘ゲームで、『ストリートファイター』の正統続編。通称『ストII』(ストツー)。1991年にアーケードゲームとして登場し、爆発的ヒットを記録した。

本作では前作である初代『ストリートファイター』に抜本的な改作を施したことで大きく異なるゲーム性となったが、本作の時点で今日の対戦型格闘ゲームにおける基礎的要素を確立しており、同ジャンルの雛形となると共に多くのフォロワーを生み出した。

また、多くの続編、ゲーム機への移植が行われ、対戦型格闘ゲームブームを引き起こした。特にスーパーファミコン版は国内販売本数約288万本、世界累計販売本数630万本を誇り、対戦型格闘ゲーム史上売り上げ1位を記録し、同社最大のヒット作となる。ゲーム以外にもアニメ、実写映画、漫画、ドラマCDなどの幅広いメディアミックス展開が行われた。

こうしたメディアミックスの結果、本作をプレイしていない層にまでキャラクター人気が波及。特に春麗は男性ハイティーン層に人気を博した。アニメではこうしたキャラクター先行の人気は珍しいことではないが、ゲームセンター発祥のキャラクターでこの現象が起きたのは春麗が初めてとされている。

(1992年6月10日)販売本数 国内:約288万本 世界:630万本
スーパーファミコン初の16MBitロムカセットで発売。ハード性能と、メディア容量の関係でアーケード版と異なる部分があり、簡略化されている部分がある。

隠しコマンド(「CAPCOM」ロゴが出ている間に「下、R、上、L、Y、B、X、A」と入力し、成功すると効果音が鳴る)でアーケードでは不可能だった「同キャラ対戦」が可能になる。2Pキャラクターのカラーはすでに稼動していた『II'』に準じる。ただし四天王は使用不可。

『ストリートファイターII』(1992年6月10日・カプコン・対戦格闘ゲーム)

『ファイナルファンタジーVI』(1994年4月2日・スクウェア(現スクウェア・エニックス))

『ファイナルファンタジーVI』(ファイナルファンタジーシックス、FINAL FANTASY VI、略称:FFVI、FF6)はスクウェア(現スクウェア・エニックス)製作・発売の日本のRPG作品。ファイナルファンタジーシリーズの本編第6作目に当たる。

日本国内で1994年4月2日にスーパーファミコン(以下SFC)向けのソフトとして発売された。1999年3月11日にはPlayStation用の移植版が発売され、コンビニエンスストア販売用の『FFVI』単品のものと、通常の販売ルート向けの『ファイナルファンタジーIV』『ファイナルファンタジーV』『FFVI』をセットにした『ファイナルファンタジーコレクション』の2種類が存在する。

SFC用にリリースされたファイナルファンタジーシリーズとしては最後のタイトル。24メガビットROMカセットを採用しており、当時としては大容量である。

『ファイナルファンタジーVI』(1994年4月2日・スクウェア(現スクウェア・エニックス))

『ゲームギア』(1990年)、『ネオジオ』(1991年)、『3DO』(1994年)

ゲームギア(GAME GEAR)とは、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が1990年10月6日に発売した携帯型ゲーム機。発売時の価格は19,800円。国内で178万台、海外では865万台を販売し、全世界累計販売台数は1,043万台。

携帯型ゲーム機『ゲームギア』(1990年・セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス))

ネオジオ(NEOGEOまたはNEO・GEO)は、SNKが開発・販売、及びレンタルしていた家庭用ゲーム機、並びに業務用ゲーム機の名称。また、両機で使用されているシステムウェアの総称でもある。

家庭用向けとして開発が進められたが、後に業務用(アーケード用)にも流用されることになったという、当時としては非常に珍しい経緯を辿ったゲーム機器並びにシステムウェアである。

ネオジオの基となるハードウェアは、ネオジオのサードパーティーとなるアルファ電子(後のADK、2003年倒産)が開発した。

『ネオジオ』(1991年・SNK)

日本では1994年3月に、スプライトや動画再生能力を持つ32bitゲーム機の先駆けとして、3DO規格マシン「3DO REAL」を松下電器がパナソニックブランドで発売した。当初の発表された希望小売価格は79800円で、実際には54800円で発売された。

日本は3DO端末の世界最大のハードウェアベンダーである松下電器の拠点であり、北米と並ぶ市場となった。松下電器は発売当初、アインシュタインをイメージキャラクターとした「3DO REAL」のプロモーションを盛んに仕掛けた。後に三洋電機からも「3DO TRY」が発売された。

3DO社の方針通り、あくまで情報家電という位置づけで販売し、メーカーもゲーム機ではなく「インタラクティブ・マルチプレイヤー」と称していた。

「3DO REAL」(1994年3月・松下電器・パナソニックブランド)

『セガサターン』(1994年・セガ・エンタープライゼス)の懐かしい思い出ゲーム

前機種であるメガドライブが旧機種のセガ・マークIIIソフト互換のために同時発色数などが制限され、同様に周辺機器のメガCDも互換性維持のために色数増強が見送られた事から、前機種までの上位互換路線を廃止し、構成を一新して開発された。

セガサターンの名称は、セガの第六番目のコンシューマゲーム機ということから太陽系第六惑星である土星から付けられており、ほぼ同時期に発売されたPlayStationや後発のニンテンドウ64など、当時の「次世代ゲーム機」と呼ばれた機種と共に一時代を築いた。

セガサターン(SEGA SATURN)とは、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)から発売された家庭用ゲーム機である。

『サクラ大戦』(1996年9月27日・セガ(後のセガゲームス)・ドラマチックアドベンチャー)

『サクラ大戦』(サクラたいせん)は、1996年9月27日にセガ(後のセガゲームス)よりセガサターン用ソフトとして発売されたドラマチックアドベンチャーゲーム。後にゲームのみならずアニメや舞台などのメディアミックス作品として発展することとなった『サクラ大戦シリーズ』の第1作である。サクラ大戦1とも。 CESA大賞’96 年間作品部門 大賞受賞。

『サクラ大戦』(1996年9月27日・セガ(後のセガゲームス)・ドラマチックアドベンチャー)

『バーチャファイター2』(1995年12月1日・セガ(後のセガ・インタラクティブ)・3D対戦型格闘ゲーム)

『バーチャファイター2』(Virtua Fighter 2)は、セガ・AM2研(後のセガ・インタラクティブ第二研究開発本部)が開発し、セガ(後のセガ・インタラクティブ)から発売された3D対戦型格闘ゲーム。1994年、当時の最新3DCGアーケード基板である「MODEL2」を使用しリリースされた。バーチャファイターシリーズの第2作である。

対戦格闘ゲームとしては『ストリートファイターII』シリーズに並び立つ3D対戦格闘ゲームの代表作に位置付けられるようになり、前作とは異なる様々なメディアミックスによりブームを作り出した。

セガサターンへの移植は不可能と言われていたが、1995年12月1日にセガサターン版が発売された。セガサターン初の100万本突破タイトルになると共に、セガ初の100万本突破タイトルにもなる。

『バーチャファイター2』(1995年12月1日・セガ(後のセガ・インタラクティブ)・3D対戦型格闘ゲーム)

『バーチャファイター』(1994年11月22日・セガ(後のセガ・インタラクティブ)・対戦型格闘ゲーム)

『バーチャファイター』(Virtua Fighter)は、セガ(後のセガ・インタラクティブ)が1993年に稼動した対戦型格闘ゲーム。バーチャファイターシリーズの第1作である。開発はAM2研。

1993年12月、当時としては最先端であった3DCGアーケード基板「MODEL1」により世界初の3D格闘ゲーム、『バーチャファイター』がリリースされる。

3DCGにおいてはまだ人型のスムーズなアクションさえ珍しかった状況で、2体の人型が格闘をくり広げる映像は、人々の度肝を抜いた。

セガサターン版は、ファミ通クロスレビューで36点(プラチナ殿堂入り)を取るなど高く評価され、また1995年度サタマガグランプリ最優秀作品賞を受賞するなどセガファンの絶大な支持を受け、セガサターン初期のキラーソフトとしての役割を果たした。販売本数はセガサターンマガジンの推計で71万1806本。

セガサターン版:1994年11月22日発売。

『バーチャファイター』(1994年11月22日・セガ(後のセガ・インタラクティブ)・対戦型格闘ゲーム) 世界初の3D格闘ゲーム。

『デビルサマナー ソウルハッカーズ』(1997年11月13日・アトラス・セガサターン用ソフトとして発売されたコンピュータRPG)

『デビルサマナー ソウルハッカーズ』(DEVIL SUMMONER SOUL HACKERS)は、1997年11月13日にセガサターン用ソフトとして発売されたコンピュータRPG。

1999年4月8日にはPlayStationに移植された。2012年8月30日にはニンテンドー3DS版が発売。女神転生シリーズの作品であり、デビルサマナーシリーズの第2作目。前作の登場人物も何人かサブキャラクターとして登場しているが、主人公などは一新されている。

『デビルサマナー ソウルハッカーズ』は『女神転生』シリーズ10周年にあたる1997年に発売された。シリーズの中では難易度がやや低めに設定されており、初心者にもとっつきやすい仕様になっている。

前作『真・女神転生デビルサマナー』で不評であった部分を解消しつつ(忠誠度が上がりやすくなっている、攻撃魔法が当たりやすくなっているなど)、それまでのシリーズにはなかった新要素も多数盛り込まれており、バーチャルリアリティによる電脳世界「パラダイムX」と現実世界「天海(あまみ)市」の二重構造や、死者の記憶を追体験することで主人公以外のキャラクターの視点を得られる「ビジョンクエスト」といったシステムが特徴的。

女神転生シリーズの作品『デビルサマナー ソウルハッカーズ』(1997年11月13日・アトラス・セガサターン用ソフトとして発売されたコンピュータRPG)

『PlayStation(プレイステーション)』(1994年・ソニー・コンピュータエンタテインメント)の懐かしい思い出ゲーム

1990年代中期に「次世代機」と呼ばれた家庭用ゲーム機の一つ。開発者である久夛良木健の独特の技術論や、丸山茂雄らによる従来のゲーム機ビジネスとは異なるレコードビジネス仕込みの戦略で、セガ・エンタープライゼス(現・セガゲームズ)のセガサターンや、任天堂のNINTENDO64と次世代機戦争と呼ばれた市場競争に勝利し、ファミリーコンピュータのヒット以来任天堂が独占していた市場でトップシェアとなった。

立ち上げ期においては、セガとはアーケードゲーム市場でライバル関係にあり、任天堂とは関係が悪化してゲーム機の自社開発を模索していたナムコがSCEと提携してプレイステーション陣営につき、ローンチタイトルとして『リッジレーサー』を発売し普及を牽引するキラーソフトとなった。

その後も初期にはナムコの『鉄拳』やタカラの『闘神伝』といった格闘ゲームソフトでハードの売り上げを伸ばした。そして、これまで任天堂マシンで発売されていた日本を代表するRPGシリーズであるスクウェアの『ファイナルファンタジー』シリーズの参入が1996年2月に発表されてプレイステーションの優勢が決定づけられ、同年3月に発売された『鉄拳2』やカプコンの『バイオハザード』はリピートによるロングセラーに。

1996年年末商戦でプレイステーションは独り勝ちした。翌1997年1月には 『ファイナルファンタジーVII』が発売されて大ヒットし、エニックスの『ドラゴンクエスト』シリーズがプレイステーションに参入することが発表され、プレイステーションの次世代機戦争の勝利が確実なものになった。

PlayStation(プレイステーション)とは、1994年12月3日に発売された家庭用ゲーム機。略称はPS。発売元はソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE) (現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント (SIE) )。

『ファイナルファンタジーVII』(1997年1月31日・スクウェア(現:スクウェア・エニックス)・ロールプレイングゲーム)

『ファイナルファンタジーVII』(ファイナルファンタジーセブン、FINAL FANTASY VII、略称:FFVII、FF7)は、日本国内で1997年1月31日にスクウェア(現:スクウェア・エニックス)より発売されたPlayStation用RPG。ファイナルファンタジーシリーズのメインシリーズ7作目に当たる。

本作はシリーズ初となるPlayStation用ソフトで、日本では発売初週に202万本を売り上げ、日本での総出荷本数は328万本に達した(別ソフトであるインターナショナル版、アルティメットヒッツ版を加えた場合は407万本である)。

これは日本での全PlayStationソフトの出荷本数に於いて『ドラゴンクエストVII』の410万本、『ファイナルファンタジーVIII』の363万本に次ぐ歴代3位の記録であり、ファイナルファンタジーシリーズ作品では2番目の記録である。

また全世界市場での総出荷本数980万本は本シリーズにおいての最高記録であり、全世界累計で本作より売れたPlayStationソフトは、『グランツーリスモ』しか存在しない。

今作以降、シリーズ本編作品の日本版ボックスアートは白いジャケットにタイトルロゴを表記したものとなった。それまでのスーパーファミコンのタイトルデザインはダンジョンなどのイメージを冠したものだったため、シンプルな印象に変わった。

発売から19年経った2016年1月末現在に至っても本作の人気は高く、根強いファンに支持されている。

『ファイナルファンタジーVII』(1997年1月31日・スクウェア(現:スクウェア・エニックス)・ロールプレイングゲーム)

『バイオハザード』(1996年3月22日・カプコン・サバイバルホラー)

『バイオハザード』(BIO HAZARD, 日本国外ではResident Evil)は1996年にカプコンより発売されたPlayStation用ホラーアクションアドベンチャーゲーム。その後様々なプラットフォームに移植される。

舞台としては、1998年7月23日のアメリカの中西部に位置するアークレイ山の洋館が舞台となっており、そこで起こったバイオハザードに見舞われながらも、殺人事件の捜査のために洋館に潜入したラクーン市警の特殊作戦部隊S.T.A.R.S.の隊員達の戦いを描いている。

発売当初はアクの強い洋ゲー風味な作風が業界関係者から酷評され、売れ行き自体も芳しく無かったが、購入に至ったユーザーの口コミにより徐々に好評が広まり、大ヒットに繋がった。

本作の大ヒットにより、バイオハザードシリーズとしてシリーズ化され、ホラーゲームが多数発売されるきっかけとなった。また、当時のゲーム次世代機戦争においてPlayStationの優位に大きく貢献した。後年には他プラットフォームへの移植、リメイク作品も多数発売している。

『バイオハザード』(1996年3月22日・カプコン・サバイバルホラー)

『メタルギアソリッド』(1998年9月3日・コナミコンピュータエンタテイメントジャパン)

『メタルギアソリッド』(METAL GEAR SOLID、略称: MGS)は、コナミコンピュータエンタテイメントジャパンが開発、コナミから発売された戦略諜報アクションゲームであり、メタルギアシリーズの3作目となる作品である。

MSX2用として発売された前2作品とは異なりポリゴンを用いた3次元描写による潜入アクションゲーム。
物語のテーマは「GENE(遺伝子)」。

本作品のシナリオは、米国のフォーチュン誌にて「20世紀最高のシナリオ」と称され、小説版のキャッチコピーでも使われている。ハード性能を活かした映像の他、兵士の吐く白い息等の描写で極寒のアラスカへの潜入を演出。詳細な人物設定等も評価されている。ハードの移行により大きな進展を見せた本作は、ポリゴンによる3次元描写となった事に加え、3次元でなければ不可能な演出を盛り込んでいる。また、ゲーム内では実在する武器が使用されている。

『メタルギアソリッド』(1998年9月3日・コナミコンピュータエンタテイメントジャパン)

『リッジレーサー』(1994年12月3日・ナムコ(後のバンダイナムコゲームス))

『リッジレーサー』(Ridge Racer)は、ナムコ(後のバンダイナムコゲームス)より発売されたレースゲームである。

1993年アーケードゲーム(以下、AC)として稼動開始し、後にコンシューマーゲームや携帯電話ゲームにも移植された。高速のままコーナーを速度をほとんど落とさず派手なドリフト走行で曲がり切ったり、高低差により大きくジャンプしたりと、挙動や運転感覚のリアルさを度外視した爽快感重視のゲーム性が特徴のレースゲーム。これらの要素は後のシリーズにも受け継がれている。キャッチコピーは「フルカウンターで駆け抜けろ」。

1994年発表されたセガの『デイトナUSA』と共にテクスチャマッピングを導入した最初期の3Dレースゲームである。ちなみにタイトルの『リッジレーサー』には「峠の走り屋」の意味がある。

AC版からほぼ1年後に登場したプレイステーション(以下、PS)版は、同ハードのローンチタイトルとして発売された。コンシューマー用のオリジナル要素として、ライバルカーの使用や、驚異の能力をもつデビルカーの出現、逆走モードなど、様々な追加要素が導入された。ゲーム起動時の読み込み中に『ギャラクシアン』で遊ぶことができ、以降のシリーズでも起動時ミニゲームで遊べるのが定番となった。

『リッジレーサー』(1994年12月3日・ナムコ(後のバンダイナムコゲームス))

『NINTENDO64』(1996年・任天堂)の懐かしい思い出ゲーム

1990年代中期に「次世代機」と呼ばれたゲームハードの一つで、任天堂としては初めて本格的な3Dゲームに対応した。メディアは従来と同じくロムカセット式である。

発売されたソフトは日本国内では全206タイトルに過ぎないが、人気を博したソフトや、作品として極めて高く評価されているソフトも存在している。また4人同時プレイに最初から対応していたという事もあり、多人数ゲームで大きな広がりを見せた。そのため、小中学生を中心に一定のシェアを獲得することに成功した。

特に『マリオカート64』、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』などはそれぞれかなりの人気を獲得し、売上も好調だった。

当初は次世代ゲーム機戦争の本命として期待されており、「ゲームが変わる。64が変える。」のキャッチコピーとともに登場した。しかし、度重なる延期による発売の遅延(ライバル機より2年近くも遅れた)により、登場時にはPlayStationが市場を占拠し始めていたことが大きかった(NINTENDO64が発売された96年6月時点で、PlayStationの累計出荷台数は270万台を超えていた。97年3月末時点でNINTENDO64の累計販売台数は204万台、98年3月末時点は315万台。対するPlayStationは97年3月末時点で累計出荷台数650万台、98年3月末時点で1151万台だった)。

開発環境の問題や64DD構想が難航したために更なるサードパーティー離れの参入メーカー不足によるソフト不足の現象が起き、普及が進まず、最終的なハード出荷台数は同世代のPlayStationはもとより、国内ではセガサターンにさえ及ばなかった。この結果、任天堂は据え置きゲーム機のトップシェアを失い、その後2世代にわたりその座をソニー・コンピュータエンタテインメントに明け渡すことになった。

NINTENDO64(ニンテンドウろくじゅうよん)は、任天堂株式会社が1996年に発売した家庭用ゲーム機。スーパーファミコンの後継・次世代機種であり、略称は「64(ロクヨン)」、「N64」など。

『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』

『ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ』(ニンテンドウオールスター だいらんとうスマッシュブラザーズ、英題:Super Smash Bros.)は、1999年1月21日に任天堂より発売されたNINTENDO64用対戦アクションゲーム。大乱闘スマッシュブラザーズシリーズの第1作目。略称は「スマブラ」など。

『スーパーマリオブラザーズ』シリーズのマリオや『ゼルダの伝説』シリーズのリンク、『ポケットモンスター』シリーズのピカチュウ、『星のカービィ』シリーズのカービィなど、任天堂が過去に発売したコンピュータゲームシリーズの代表的な人気キャラクターが、彼らの登場するゲームの世界観をモチーフにしたステージ上で戦う対戦アクションゲームである。コンピュータによる自動操作も含め、1〜4(Wii U版では最大8)人がゲームに参加できる。

対戦型格闘ゲーム的な性格を持つこのシリーズを一際特徴づけているのは、ゲームの勝利条件である。それぞれのプレイヤーは各キャラクターに割り当てられた体力を奪い合うのではなく、いわばおはじきやベーゴマのように、ゲームの舞台から場外へ落下した(させられた)者が敗れ、最後まで舞台に残っていた者が勝者となる。

『ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ』(1999年1月21日・任天堂・対戦アクションゲーム)

『スーパーマリオ64』(1996年6月23日・任天堂・NINTENDO64用のアクションゲーム)

『スーパーマリオ64』(スーパーマリオろくじゅうよん(ロクヨン)、SUPER MARIO 64)は、任天堂が1996年6月23日に発売したNINTENDO64用のアクションゲーム。また、翌年の1997年7月18日には、振動パック対応版が発売されている(日本国内のみ)。略称は「マリオ64」。

スーパーマリオシリーズ初の3Dアクションゲーム。『パイロットウイングス64』・『最強羽生将棋』と共に、NINTENDO64本体と同時に発売されたローンチタイトルでもある。

これまでにもポリゴンを使ったゲームはレースゲーム、シューティングゲーム、格闘ゲームなどでも見られたが、それらは限られたエリアの中でゲーム性を表現するに留まっていた。しかし、スーパーマリオ64はNINTENDO64の3Dスティックを活かして、3Dで描かれた世界を自由自在に動き回る事が出来る画期的なゲームとして登場し、後の3Dアクションゲームに決定的な影響を与えた。

本作ではキノコ城とその中にある絵画などの中の世界が舞台となっている。また、本作のキノコ城のデザインが『マリオカート64』や『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』などの後々のシリーズ作品でも定着して使われる。

ある日、マリオの元へ、ピーチ姫からお城への招待状が届いた。
喜んだマリオはさっそく城へと向かう。しかし城はひっそりと静まりかえっていて、様子がおかしい。そして、城の中に入ると何処からともなく「誰もいません、とっととお帰りを。ガハハハッ!」というクッパの声が聞こえてくる。

クッパは城を守るパワースターを奪い、その力でピーチ姫やキノピオ達を絵の世界に連れ去ってしまったのである。このままでは城がクッパに奪われてしまう。パワースターを取り戻す為、マリオは絵の世界の冒険に旅立つのであった。

『スーパーマリオ64』(1996年6月23日・任天堂・NINTENDO64用のアクションゲーム)

『ゼルダの伝説 時のオカリナ』(1998年11月21日・任天堂・アクションアドベンチャーゲーム)

『ゼルダの伝説 時のオカリナ』(ゼルダのでんせつ ときのオカリナ、英題:The Legend of Zelda: Ocarina of Time)は、1998年11月21日に任天堂より発売されたNINTENDO64(N64)用アクションアドベンチャーゲーム。

直接の続編に『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』がある。2011年6月には、ニンテンドー3DS用に全面的にリメイクされた『ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D』が発売された。

ゼルダの伝説シリーズの第5作(時系列順に並べた場合3作目)であり、それまでのRPGでは一般的だった2D見下ろし型視点から脱却し、シリーズ初の3D作品となったことが最大の特徴である。

これにより、奥行きのある立体的な空間内をよりリアルな視点位置で見渡すことができるようになり、バトルや謎解きに革新的な変化がもたらされた。同時に、3Dゲームに付きものだったカメラワークや操作性の問題点を軽減する「Z注目システム」や「特殊アクションの自動化(Aボタンアクション)」など、様々な革新的な提案を行った。

カットインムービーも数多く盛り込まれ、物語の臨場感を高めるのに一役買っている。シナリオ面でも、大人(青年)リンクと子供(少年)リンクに区分したこと、怪物の姿のみだった魔王ガノンに「ガノンドロフ」という本名と人間の姿が与えられ、以後のスタンダードになったことなど、本作の要素・設定が以後のシリーズに与えた影響は大きい。

なお、完成度の高さと革新的な提案は世界中から高く評価され、第3回CESA大賞(現・日本ゲーム大賞)大賞や、第2回文化庁メディア芸術祭 デジタルアート〔インタラクティブ〕部門 大賞など、日米欧で数多くの賞を受賞した。

『ゼルダの伝説 時のオカリナ』(1998年11月21日・任天堂・アクションアドベンチャーゲーム)

『ゴールデンアイ 007』(1997年8月23日・任天堂・ファーストパーソン・シューティングゲーム)

『ゴールデンアイ 007』(英語: GoldenEye 007)は、1997年に任天堂から発売されたNINTENDO64用ファーストパーソン・シューティングゲームである。開発はイギリスのレア。映画『007 ゴールデンアイ』をゲーム化した作品である。2010年(日本では2011年)には別の開発元が制作したWii版が発売された。

プレイヤーはイギリス諜報機関「MI-6」の工作員、「007=ジェームズ・ボンド」として数々の指令を受けながら、衛星兵器「ゴールデンアイ」の秘密を探っていく。基本的なストーリーは映画版と同一であるが、一部ストーリー展開が異なっていたり、ゲームのオリジナルステージも登場する。

『ゴールデンアイ 007』(1997年8月23日・任天堂・ファーストパーソン・シューティングゲーム)

『マリオカート64』(1996年12月14日・任天堂・レースゲーム)

『マリオカート64』(マリオカートろくじゅうよん)は、任天堂が発売したマリオカートシリーズ2作目。国内で最も出荷本数の多いNINTENDO64用ゲームソフトである。発売当初の定価はツートンカラーのコントローラーブロスとセットで9,800円(税別)であった。2007年1月30日からはWiiのバーチャルコンソールで、2016年1月6日からはWii Uのバーチャルコンソールによる配信が開始された。仮称は『スーパーマリオカートR』。

前作のスーパーマリオカートと同じくマリオシリーズのメインキャラクター達でレースやバトルをする。

他作品では軽量級が加速重視、中量級がバランス型、重量級が最高速重視となっているが、本作のみ加速・最高速共に軽量級が最も高くなっている。

『マリオカート64』(1996年12月14日・任天堂・レースゲーム)

『ドリームキャスト』(1998年・セガ・エンタープライゼス)の懐かしい思い出ゲーム

ソニー・コンピュータエンタテインメントのPlayStationに劣勢を強いられていたセガサターンの次世代機として社運を賭けて開発され、1998年11月27日に日本国内で第6世代ゲーム機の先陣として発売された。

最大の特徴として、インターネット通信用のアナログモデムを標準搭載した点が挙げられる。最高通信速度は日本国内向け純正品の場合33.6Kbpsで、本体からの着脱が可能だった。

2000年7月に100BASE-T(ソフト側では10BASE-Tとしか使われなかった)LANアダプタ・「ブロードバンドアダプタ」が通販専売品ながら発売された。なお、モデムを標準搭載した家庭用ゲーム機は1996年3月にバンダイから発売されたピピンアットマークに次いで本製品が2番目である。

ドリームキャスト(Dreamcast)は、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が発売した家庭用ゲーム機である。一般にはDCやドリキャスの略称で呼ばれる。

『ファンタシースターオンライン』(Phantasy Star Online)は、セガ(後のセガゲームス)が運営するオンラインゲーム。「PSO」と略される。開発はソニックチーム。

2000年12月21日、ドリームキャスト用ソフトとして初登場した。日本で初めて成功した家庭用ゲーム機用オンラインゲームと言える作品で、第5回日本ゲーム大賞を受賞した。後にバグの修正や難易度・レアアイテムなどが追加変更された『Ver.2』や、ドリームキャスト生産終了以降はプラットフォームを変えてバージョンアップ版が多数発売された。

ロールプレイングゲーム「ファンタシースターシリーズ」の一つであるが、ストーリー内容については具体的に過去作との繋がりは薄いため、プレイしていなくても問題は無いように配慮されている。

なお、2010年12月27日24時を以て、Windows版をはじめとする一連の『PSO』シリーズは全ての(オフィシャル)オンラインモードサービスが終了した。2012年7月4日より新作『ファンタシースターオンライン2』がサービスを開始した。

基本的に「ネットワーク対応RPG」であり、オンラインプレイ専用ではなく、ゲームのプレイには必ずしもインターネットの接続は必要ない。『ブルーバースト』以外のタイトルにはシングルプレイ用のオフラインモードが搭載されている。

オンラインモードは大規模な世界を多人数で共有するゲームではなく、比較的小さな空間を最大4人の比較的少人数で冒険するゲームである。一時期は海外のユーザーとも共にプレイできるサーバーも存在した。ドリームキャスト時代は最盛期で同時接続者数2万6000人(国内)、登録者数30万人(国内外)だったといわれている。

当時としては珍しくタイトルに「オンライン」が付いていたため、内容をよく知らないユーザーやオンライン環境が整っていないユーザーに敬遠される傾向があった。しかし、ネットワーク環境が本格的に整備される以前に公開されたタイトルという事もあり、オフラインモードも充実しており、「オンライン通信で協力プレイもできるアクションRPG」という表現が当てはまる作品といえる。

これは、近年のオンライン対応ゲームソフトに見受けられる、オフラインモードが存在していると明記されていてもネットワークに接続してプレイしないと本格的に楽しめないのとは対称的である。

『ファンタシースターオンライン』(2000年12月21日・セガ(後のセガゲームス)が運営するオンラインゲーム)

『シェンムー』は、セガエンタープライゼス(後のセガゲームス)が開発した日本のコンピュータゲームシリーズである。2作目まで発売している未完の作品。

日本ではシリーズ1作目となる『シェンムー 一章 横須賀』が1999年12月に発売。その後、『一章 横須賀』の英語音声版となる『US Shenmue』が2001年7月、第2作の『シェンムーII』が2001年9月に発売された。また、ドリコレ(廉価版)の『シェンムーII』が2003年3月に2800円で発売されている。いずれもドリームキャスト(DC)用のゲームソフトとして発表。

『シェンムー 一章 横須賀』の映像を編集した『シェンムー The Movie』が2001年9月に一般映画館で劇場公開され、2001年12月にはDVDとVHSでリリースされている。

その作りこまれた作品世界に裏付けられた自由度の高さから新ジャンルFREE(Full Reactive Eyes Entertainment)を自称しているが、基本的にフラグ立て式のアドベンチャーゲーム。
発売当時としては膨大な量のオブジェクトに対して何らかのリアクションを取れるのは画期的なことであった。
膨大なモーションキャプチャーによるリアルな演出、街をぶらつく脇役まで声のある完全フルボイス、全ての町並み、キャラクター、イベントシーンを実機ポリゴンで表現。天候が刻々と変化し、朝から夜に至るまでの時間の経過、登場キャラクター達が「生活習慣プログラム」によって日々を営む世界観は、各方面から評価された。

『シェンムー 一章 横須賀』(DC)…1999年12月29日発売

『サクラ大戦3 〜巴里は燃えているか〜』(サクラたいせん3 パリはもえているか)は、株式会社セガ(後の株式会社セガゲームス)が2001年3月22日に発売したドリームキャスト用ゲームソフト。後にPlayStation 2やPCにも移植された。『サクラ大戦シリーズ』の第3作。

前2作は当初セガサターンで制作され、その後にドリームキャストへ移植されたが、本作は最初からドリームキャスト向けに開発されたものである。ムービーなどの時間配置を工夫しており、「Now Loading」画面が本作には一度も登場しないよう作られている。

1926年のフランス・巴里。当時、世界で経済・文化共に最高水準を誇っていたそこでは、謎の怪人による事件が頻発していた。政府は対抗策として、都市を霊的に防衛する組織、すなわち「巴里華撃団」を設立する。その隊長として、1人の東洋人に焦点が当てられた。二度に渡り日本の帝都を救った「帝国華撃団・花組」の隊長を務めた、大神一郎である。

黒鬼会との戦いを終えて中尉に昇進した大神は海軍の留学生としてフランスへ渡航するが、異国の風土に馴染む間もなく、自分が派遣された真の目的を知ることとなる。テアトル・シャノワールを基地として、大神と巴里華撃団・花組の隊員たちは怪人に立ち向かう。欧州は花の都を舞台に、新たな戦いが始まった。

『サクラ大戦3 〜巴里は燃えているか〜』(2001年3月22日・株式会社セガ(後の株式会社セガゲームス))

関連する投稿


レトロゲーム配信サービス「プロジェクトEGG」より『トラぶるCHASER 第1話』『3Dテニス』が配信スタート!!

レトロゲーム配信サービス「プロジェクトEGG」より『トラぶるCHASER 第1話』『3Dテニス』が配信スタート!!

レトロゲーム関連の復刻・配信ビジネスなどを行うD4エンタープライズが運営するレトロゲーム配信サービス「プロジェクトEGG」にて、新規コンテンツ『トラぶるCHASER 第1話 トラブルは空から未来から(PC-9801版)』『3Dテニス(MSX版)』の配信がスタートしました。


『オホーツクに消ゆ』と北海道紋別市がコラボ!ゲームに登場するシーンを使用したアクリルジオラマが「ふるさと納税返礼品」に!

『オホーツクに消ゆ』と北海道紋別市がコラボ!ゲームに登場するシーンを使用したアクリルジオラマが「ふるさと納税返礼品」に!

ジー・モードより、推理アドベンチャーゲーム『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ ~追憶の流氷・涙のニポポ人形~』の世界観を再現したオリジナルグッズが、北海道紋別市のふるさと納税返礼品として提供されます。


抜群のスタイルで💦世の脚光を浴びた『広田恵子』現在は?!

抜群のスタイルで💦世の脚光を浴びた『広田恵子』現在は?!

高校時代からモデル活動を始め1986年に「カネボウ・スイムウエアイメージモデル」として脚光を浴びた広田恵子さん。現在は家族で〇〇を組んで活動している・・・。


完璧・無量大数軍の一人「完肉」の称号を持つキン肉マン『ネメシス』が、SpiceSeedキン肉マンシリーズに登場!!

完璧・無量大数軍の一人「完肉」の称号を持つキン肉マン『ネメシス』が、SpiceSeedキン肉マンシリーズに登場!!

ハイクオリティフィギュアの製造・販売で好評を博している株式会社SpiceSeed フィギュア事業部より、キン肉マンシリーズのフィギュア『ネメシス』が発売されます。


懐かしの名作が勢揃い!特製クリアしおりが貰える書店フェア「藤子・F・不二雄 S(すこし)★F(ふしぎ)な世界」が開催!!

懐かしの名作が勢揃い!特製クリアしおりが貰える書店フェア「藤子・F・不二雄 S(すこし)★F(ふしぎ)な世界」が開催!!

藤子・F・不二雄による名作の数々を紹介する書店フェア「藤子・F・不二雄 S(すこし)★F(ふしぎ)な世界」が、8月7日(木)より全国のフェア参加書店にて順次開催されます。


最新の投稿


ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂が、『鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブ~Autumn Season~』を11月13日にビルボードライブ大阪、16日にビルボードライブ東京にて開催する。今回は、1975年にリリースされた1stソロアルバム「BAND WAGON」の発売50周年を記念したプレミアム公演となる。


【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

2025年(令和7年)は、1965年(昭和40年)生まれの人が還暦を迎える年です。ついに、昭和40年代生まれが還暦を迎える時代になりました。今の60歳は若いとはと言っても、数字だけ見るともうすぐ高齢者。今回は、2025年に還暦を迎える7名の人気海外アーティストをご紹介します。


吉田沙保里  強すぎてモテない霊長類最強の肉食系女子の霊長類最強のタックル その奥義は「勇気」

吉田沙保里 強すぎてモテない霊長類最強の肉食系女子の霊長類最強のタックル その奥義は「勇気」

公式戦333勝15敗。その中には206連勝を含み、勝率95%。 世界選手権13回優勝、オリンピック金メダル3コ(3連覇)+銀メダル1コ、ギネス世界記録認定、国民栄誉賞、強すぎてモテない霊長類最強の肉食系女子。


消えた回転寿司チェーンの記憶──昭和・平成を彩ったあの店はいまどこに?

消えた回転寿司チェーンの記憶──昭和・平成を彩ったあの店はいまどこに?

昭和から平成にかけて、全国各地で親しまれていた回転寿司チェーンの数々。家族の外食、旅先の楽しみ、地元の定番──いつしか姿を消したあの寿司屋は、なぜ消え、どこへ行ったのか。本記事では、現在は閉店・消滅した地域密着型の回転寿司チェーンを、当時の特徴やSNSの証言とともに記録として振り返る。


【歌謡曲】ありえないシチュエーション!歌詞がおもしろくて笑ってしまう歌謡曲5選!

【歌謡曲】ありえないシチュエーション!歌詞がおもしろくて笑ってしまう歌謡曲5選!

昭和の歌謡曲には、現代ではお蔵入りしてもおかしくないほど、ありえないシチュエーションを描いた詞が数多くあります。その中には、残酷な人物像や露骨な情景描写もあり、思わず笑ってしまうような歌詞もありました。今回は、筆者の独断と偏見で、歌詞がおもしろくて笑ってしまう歌謡曲を5曲ご紹介します。