DIE IN CRIES(ダイ・イン・クライズ)

DIE IN CRIES
[V-Classic] DIE IN CRIES nothingness to revolution - Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-
デビューまでの流れとメンバー紹介
※DIE IN CRIESを結成する前にKYOは、XのHIDEによる伝説のバンド横須賀サーベルタイガーのボーカルをしており、ドラムの菊地哲の2人と瀧川一郎が一緒になってD'ERLANGERを結成して活動していました。しかし、1990年にバンドは解散します。

KYO(ボーカル)
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YUKIHIRO(ドラム)

室姫深(SHIN)

SHINが使用するギターの♂♀柄はフェルナンデスの布袋モデルを参考にしている。

TAKASHI

~大まかな流れ~
1991年8月10日に1st.アルバム『NOTHINGNESS TO REVOLUTION』をリリース。
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デビューから解散まで
1992年2月5日、1stシングル『MELODIES』をBMGビクター アリオラレーベルからリリースしてデビュー。
1992年4月10日~KYOによるラジオ番組『MID NIGHT ROCK CITY』が再び放送開始。
1992年9月23日に2ndシングル『MY EYES 〜僕の瞳よ〜 』を発売。

MY EYES~僕の瞳よ~ 通販
1993年1月8日に3rdシングル『to you』を発売
1993年6月2日に4thシングル『Nocturne』発売。
1993年11月21日に5thシングル『LOVE SONG 』発売。
1993年7月7日に4thアルバム『Eros』を発売。
【Erosを聴いたコメント】
Amazon.co.jp: DIE IN CRIES, KYO, 菅原弘明 : Eros - ミュージック
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1993年、9月から『BEARDSLEY の PUZZLE TOUR』と題したErosツアーを行いました。
1994年5月21日に6thシングル『CRESCENT MOON』を発売。
1994年4月5日に活動休止。同年10月に活動再開。
1995年4月28日にKYOが務めていたラジオが最終回。同年5月24日にラストシングル「種」を発売。
1995年7月2日に東京ベイNKホールにてラストライブを行い解散(公演は完売。当日チケットも完売し、同会場の動員記録となりました)。
今回、紹介した作品以外に、アルバムが1992年3月11日に2nd『VISAGE』、1992年9月23日に3rd『NODE』、1995年6月21日に5th『Seeds』を発表。1993年12月1日にセルフカヴァーアルバム『Classique Ave.の飛べない鳩 』、1995年9月21日にライヴアルバム『LAST LIVE「1995.7.2」』、1995年10月21日にリミックスアルバム『re-make』、1997年9月10日にベストアルバム『THANX -Best of Die In Cries-』も発売しています。
解散について
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ファンクラブサイトでは、kyoは「1991.8.25~1995.7.2 いろいろな事があった4年間でした。1995.7.3~頂上 目指して更なる第一歩」、TAKASHIは、「少しだけ 大きくなった。もっと大きくなりたい。。。」、SHINは「ごめんな」、YUKIHIROは「どうもありがとうございました。」とメンバーのメッセージが配布されました。
映像関連
エネルギッシュでとても熱いバンドでした。メロディーセンスも良く、ボーカルの感情を込めて歌う所も良かったです。是非、聴いてみて下さい。