二年連続決勝戦に進んだ東邦高校
上宮対東邦の決勝戦の1年前も、東邦高校は決勝まで勝ち進んでいました。高校野球の伝統校として有名な東邦高校に対するは、上甲監督率いる愛媛県代表、宇和島東高校。後に数多くのプロ野球選手を輩出することになる宇和島東高校も、この時が甲子園初出場でした。
準々決勝を5-4(対宇部商、9回サヨナラ)、準決勝を5-4(対桐蔭学園、延長16回)と劇的な勝利を納め、決勝までやって来た宇和島東の勢いに、東邦学園の2年生エース、山田喜久夫投手が序盤から飲み込まれ、東邦高校は0-6と完敗。この60回記念大会は宇和島東高校の初出場・初優勝で幕を閉じます。その時の雪辱を晴らそうと、更に成長した、エースの山田選手擁する東邦高校は2年連続で決勝戦まで進出してきたのです。
「タレント集団」上宮高校
上宮高校には、後に中日ドラゴンズや横浜ベイスターズで活躍する種田仁選手ら、プロ注目の選手が数多くいましたが、中でも元木大介選手の存在感は際立っていました。確かな実力に加えて、甘いマスク。この大会で決勝戦まで勝ち進んだことによって、元木選手の人気は更に膨れ上がっていました。
プロ入り後は「クセ者」と呼ばれ、つなぎ役のイメージが強い元木選手ですが、高校時代に甲子園で記録した通算6本塁打は清原和博選手の13本に次いで歴代2位タイ記録を残しています。(PL学園の桑田真澄選手と同数)。

ガッツポーズ
試合展開
この時の上宮高校のメンバーは、後にプロ入りする事になる選手が多数いる「タレント集団」でした。
1番・サード、種田仁(1989年のドラフトで中日6位指名)
3番・センター、小野寺在二郎(1989年、ドラフト外でロッテオリオンズに入団)
4番・遊撃手、元木大介(ホークスの1位指名を拒否。野球浪人の後、翌年のドラフト1位で巨人入団)
7番・投手、宮田正直(1991年、ドラフト外で福岡ダイエーホークス入団)
※東邦高校の山田喜久夫選手も1989年ドラフト会議で中日の5位指名を受けて入団。主に中継ぎ投手として活躍し、あの「10.8決戦」にも2番手投手として登板しています。

当日のスタメン
試合は上宮・宮田選手と東邦・山田選手両投手の投げ合いとなりました。5回に両チームが1点ずつを取り合い、1対1のまま延長戦に突入する緊迫した展開となりました。そうして迎えた延長10回表。上宮高校は2アウト1塁から元木選手のレフト前ヒットで2アウト1,2塁。この場面で5番の岡田選手がサードを強襲するタイムリーヒットを放って勝ち越し、上宮高校が2対1でリードします。その裏、東邦高校は先頭打者がデットボールで出塁するものの、次打者の安井選手がセカンドゴロでダブルプレーに打ち取られ2アウトランナーなし。上宮高校は優勝まであと1アウトとなります。
優勝を意識しずぎたのか、宮田選手は1番打者山中選手にストレートのファーボールを与えます。2番打者高木選手にショートへの内野安打を許し、2アウト1・2塁。ここで3番打者・原選手がつまりながらもセンター前ヒットを打ち、センター小野寺選手がバックホームするものの2塁走者が生還し、東邦は同点に追いつきます。その時1塁走者高木は2塁をオーバーラン、気付いたキャッチャーの塩路選手がサードの種田選手へ送球。高木選手は2・3塁間に挟まれます。

ガッツポーズしてホームイン
これを見た、サードの種田選手がセカンドに送球するものの、これをセカンドの内藤選手が捕球することができず、更にカバーに入ったライトの岩崎選手も後逸し、ボールは誰もいない外野へと転々と転がっていきました。その間に2塁走者高木選手はホームに生還し、3-2で東邦高校が誰も想像もできなかった劇的な逆転サヨナラ勝ち、通算4度目のセンバツ優勝となった(同点のホームを踏んだ山中は生還後、高木を迎え入れるべくホームベースの砂を両手で払っていた)。その瞬間、あと1アウトからまさかのサヨナラ負けを喫した元木選手をはじめとする上宮高校の選手はその場でうずくまり、しばらく立ち上がれませんでした。
この大会で決勝戦まで上宮高校が記録したエラーは一つのみ。その堅い守備が最後に思いもよらぬ形で崩れる事になりました。
その後
東邦・上宮両校はこの年の夏の甲子園に出場します。春夏連覇をと注目された東邦高校は1回戦で倉敷商に1-2で敗れます。一方、上宮高校は準々決勝まで進むもののエース大越基率いる仙台育英に2-10で敗れました。仙台育英高校は春の選抜で上宮高校に2対5で敗れており「春の借り」を返す事になりました。

仙台育英対上宮高校戦を伝える新聞記事