内角打ちの名人④ 石嶺和彦
抜群の勝負強さと強打のクラッチヒッター。
ブーマー、門田と共にブルーサンダー打線の中心となり、後に阪神でも活躍した石嶺和彦。
石嶺和彦(いしみね かずひこ)
体をうまく回転させて強打する内角打ちについて評価が高かったが、特に意識して練習したわけではなく自然に身についた石嶺は語っている。
インコースの球は体の前方で打て、という一般論についてはファウルになりやすいとして否定的で、むしろグリップエンドがヘッドより前にある位置まで引きつけて捕らえ、そこから体を回転させる感覚で打つのが良いと語っている。
自身は真ん中からやや内角寄りのコースが好きで、また内角なら多少ボール気味でもレフト線に打球を飛ばせるという感覚があり、内角へのシュートを遠慮しながら投げてくる投手は特に得意だったという。
落合博満は「俺と同じ打撃が出来るのは石嶺和彦だけ」と石嶺の内角打ちを高く評価しており、落合は中日の監督に就任すると同時に石嶺を中日の打撃コーチに迎え、石嶺は落合が監督在任した8年間、一貫して打撃コーチとしてチームを支えた。
また、工藤公康もインタビューで「厳しい内角を上手くさばいてヒットにするのは落合さんか、好調の時の石嶺さんだけ」と評している。
石嶺和彦の打撃フォーム
内角打ちの名人⑤ 前田智徳
落合・イチローを始め、球界を代表する打撃の名手が口を揃えて「天才」だと称する男、前田智徳。
ヒットや本塁打を打っても納得のいかない打球には首を傾げるなど、ストイックに野球に取り組む姿から「侍」とも称された。
前田智徳(まえだ とものり)
内角打ちの名人⑥ 古田敦也
ヤクルトスワローズ一筋で現役を過ごし、キャッチャーとして史上2人目の2000本安打を達成したほか、リード・強肩・好守でも高い評価を受けるなど、球史に残る名捕手・古田敦也。
古田敦也(ふるた あつや)
古田敦也の内角打ち
内角打ちのレジェンド、山内一弘。
内角打ちを得意とし、「シュート打ちの名人」と呼ばれた山内一弘。
3度のオールスターMVPを獲得し「初代お祭り男」等の異名をとった大打者であった。
特に内角球に対してヒジを折りたたんで振り出す独特の打法は、神様・仏様・稲尾様と呼ばれた稲尾和久をして「職人」と言わしめたほどだった。
山内一弘(やまうち かずひろ)
野村克也は現役時代には、捕手守備時のマスク越しやオールスター戦のネクストバッターズサークルにいる時などに、山内の打席を穴があくほど観察し、そのフォームや内角捌きを参考・手本にして、自身の三冠王の獲得にも繋がったと語っている。
後に指導者として、落合・掛布など多くのバッターに技術指導を行った。
指導者としての山内一弘
教え出したら徹底的に指導することから『かっぱえびせん』の異名をとった。
※カルビーの同名商品のCMキャッチフレーズ「やめられない、止まらない」から
気が付けば、唾を飛ばして試合前の相手チームの選手にまで指導してしまう熱の入れようだった。
掛布雅之、水谷実雄、高橋慶彦、田淵幸一、真弓明信、原辰徳といった選手達を指導し、その打撃理論で数々の名打者を育てた。
阪神の助っ人選手として活躍したハル・ブリーデンやマイク・ラインバックなどには、「阪神が弱くなったのは山内コーチを辞めさせたせいだ」とまで絶賛されている。
巨人コーチ時代には報知新聞の付録のプロ野球名鑑のプロフィールの「趣味」欄に「コーチ」と書かれていた。