優勝候補の一人、谷口が転倒により脱落。
迎えた8月9日、バルセロナオリンピック男子マラソン。
森下と同じ旭化成に所属する谷口は、20km過ぎの給水地点で後続選手に左足シューズの踵を踏まれて転倒し、さらにシューズが脱げて履き直すアクシデントに見舞われ優勝争いから脱落。
「こけちゃいました」谷口浩美・バルセロナ五輪映像&当時を振り返る本人コメント
中山も先頭集団から脱落、先頭集団は3人となり、さらに1人脱落。
35km地点で、トップは森下と韓国の黄永祚(ファンヨンジョ)。
二人の一騎打ちになった。
勝負の明暗を分けた『モンジュイックの丘』
38キロ地点から世界中を釘付けにした戦いが始まった。
そこは『モンジュイックの丘』と呼ばれ、3km続く急な登りとその後の急な下りはコース隋一の難所だった。
森下は、『モンジュイックの丘』では並走し、最後の競技場でトラック勝負をしようと考えていた。
だが、黄は森下の息が荒いことに気付き、下りに差し掛かると突如スパートをかけた。
意表を突かれた森下は付いていくことができなかった。
引き離された森下はそのまま黄に続いて2位でゴール。
五輪マラソンで男子がメダルを獲得したのは、1968年メキシコオリンピックでの君原健二の銀以来24年ぶりの快挙であった。
だが、宗茂は「なんで銀メダルなんだという悔しい気持ちの『ご苦労様』とだけ言葉をかけた」と後に語っている。
また、森下も「勝てるはずのレースに勝てなかった。今でもあのスパートをかけられるシーンは見たくない。」と話している。
対照的だったゴールシーン
ゴール後に倒れる森下広一
最終的な順位は、中山竹通がソウルに続き4位入賞。
転倒で後れを取った谷口も挽回し、8位入賞を果たした。
同じ旭化成に所属する先輩の谷口は「森下をずっと隣で見てきていた。金メダルを取るのは森下だろうと思っていた。森下を抑えられれば自分が金メダルを取れると思っていた。」と語り、「僕がちゃんと走っていれば、森下の優勝をアシストできたのに」と悔しがった。
銀メダルを手にする森下広一
将来を期待されたが二度とマラソンを走ることなく、引退。
金メダルを逃したとはいえ、日本に24年ぶりのメダルをもたらした森下はまだ24歳。
次のオリンピックも十分現役で活躍できる年齢であり、バルセロナオリンピック後に一線を退いた中山の後を継ぎ日本マラソン界を引っ張る最有力候補として期待された。
だが、精神力によって小さな体を限界まで酷使する森下の走りに、肉体は耐えていけなかった。
長年故障の克服に挑み続けたが、ついに4度目のマラソンを走ることなく1997年8月、29歳で現役を引退した。
怪我に泣かされた森下だが、精神面の弱さがバルセロナ以降に低迷した要因だと自らを語っている。
「内面の問題、周囲の環境をうまく処理しきれなかった自分が弱かった」
森下広一の全マラソン成績
| 年月 | 大会名 | タイム | 順位 | 備考 |
| 1991年2月 | 別府大分毎日マラソン | 2:08:53 | 優勝 | 初マラソン日本最高 |
| 1992年2月 | 東京国際マラソン | 2:10:19 | 優勝 | バルセロナ五輪代表選考会 |
| 1992年8月 | バルセロナオリンピック | 2:13:45 | 2位 | 五輪銀メダル獲得 |