カウンタックを夢見たガルウイングは暑さとの戦いだった! セラ
1990年に登場したセラは日本のユーザーに夢と希望とそして忍耐を与えた車だったわ。

トヨタ セラ
その夢と希望の最たるものは「ガルウイング(バタフライドア)」よ!日本初の試みは国民を狂喜させたわ!そう!特にスーパーカーブームの世代のおじさま達には「ランボルギーニ・カウンタック」を想像させるのにはドアの開閉だけで十分だったのよ!

ランボルギーニ カウンタック
エンジンは1500CC。ちょうどいい排気量だったわよね。生産を担当したのはあの「パブリカ・コンバーチブル」や「MR-2」を担当したセントラル自動車(現、トヨタ自動車東日本)よ!本当にこう言う車に強いわよね(笑)

パブリカ コンバーチブル

初代 MR-2
セラは屋根部分をドアガラスを使ってグラストップにし、オープン時の開閉も最小限に抑えたわ!そして特筆されるのは「ダンパー」よ!地味なものなんだけど良くハッチバックの車で重みで垂れ下がって来る経験をした方が多かったんじゃないかしら?でもセラはそこに特殊な技術を使いこれをなくしたの。でも、内側からのドアを開けるときには結構大変だったらしいわよ。そして、もっと大変だったのは「暑さ」との戦いよ!だって屋根がガラスよ!暑いに決まってるでしょ?トヨタだって考えていたわよ。だからエアコンはちょっと大きめの排気量のものを採用していたの。でもオーナー曰く、真夏はキツかったそうよ。

セラ グラストップ部分
この果敢な冒険は他社にも波及するの。マツダの「メルセデス・ベンツ・300SL ガルウイングクーペ」を参考にして造られたような「AZ-1」が販売されるのよ。多分これも「セラ」があったからこそじゃないかしら?そう考えると「セラ」はバブル時代の末期にバブルの名残を象徴するような1台だったのかもしれないわね。

メルセデスベンツ 300SL

マツダ オートザム AZ-1
セラのボディカラーは全てメタリック(のちにマイナーチェンジで色は追加された)だったの。どうして最初、メタリックに拘ったのかしら?謎よね(笑)初めはメルセデスよりの高級感を出したかったのかしら?本当にトヨタとしては攻めたクルマだったわ。
当時の人気者「アグネス・ラム」 をCMに起用した「リフトバック」 と言うハッチバックのトヨタ独自の呼び名 スプリンター リフトバック
1976年に発売された3ドアハッチバックは、とっても斬新なデザインだったわ。それが「スプリンター リフトバック」よ!

スプリンター リフトバック
今まで「ハッチバック」と言う言葉はあったけど「リフトバック」と言う言葉はトヨタが発信したのよね。形としては車高が元々低いデザインの「スプリンター・クーペ」をベースにテールゲートを設けスポーツワゴン風に仕上げたの。

スプリンター クーペ
カッコ良く言うと「ボルボ・P1800ES」のような「シューティングブレイク」を目指したのかしら?

ボルボ1800ES
昭和51年と言えば、排ガス規制の真っ只中で車達の不遇の時代でもあったのよ。そこにトヨタはリフトバックに活路を見い出そうとした訳ね。だからCMにも力が入っていたわ。当時の人気者の「アグネス・ラム」の起用よ!そして共演俳優は当時若手のイケメン俳優「近藤正臣」、まるで日産の「ケンとメリーのスカイライン」に対抗したのかしら?

スプリンター リフトバック広告

日産 スカイライン (ケンメリ)
知名度では間違いなく「ラム&正臣」だったけどインパクトではやはり「ケンメリ」だったのかしらね?今でもこの時代の「スカイライン」を「ケンメリ」と言うのはそれだけこのCMが浸透した結果よね。

日産 スカイライン (ケンメリ)
そして、CM曲は「ゴダイゴ」を起用。曲名もそのままの「スプリンター・リフトバック」よ!近年では絶対不可能なCM曲だと思うわ。「車名=曲名」って他にあったかしら?それだけトヨタの力の入れ具合がわかるわ。

ゴダイゴ CMソング グラフティ
キャッチコピーも素敵だったわ。「光の中を走るサンデッキ」よ。だからこの車のCMに「アグネス・ラム」が起用されたのも分かるわね。時代の狭間で試行錯誤しながら王道トヨタがチャレンジした1台だったと思うわ。
最後まで地味さを拭いきれなかった出来た「レディースカー 」 サイノス(初代)
1991年に販売された「サイノス」は評価も販売も地味だったけど本当に良くできた車なの。

トヨタ サイノス(初代)
「コルサ」と「ターサル」のセダンをベースに、1500CCのエンジンを搭載。αとβの2グレード(105馬力と115馬力)がラインナップされていたの。そしてコンセプトは「セクレタリーカー」よ。そう、女性向けに企画された車だったの。でもね、内装が特に可愛いとか女性のための何かがあまりインパクトがなっかたの。この車は北米にも輸出されていたからアメリカ的には必要がなかったのかしら?アメリカの女性と日本の女性での車に対する考えの違いからかもしれないわね。

トヨタ コルサ
この時代は「ピアッツア」や「NXクーペ」のように輸出を目的とした車も確かに多かったわ。だからコスト等を考えるとコテコテの日本よりではなく国外受けを見据えての車の開発だったのかも知れないわね。

二代目 ピアッツァ

日産 NXクーペ
「友達以上恋人未満。」これがサイノスのキャッチコピーだったの。なんだかキャッチコピーも中途半端な地味なイメージね。そこでマイナーチェンジをしたサイノスは「コンバーチブル」を追加したの。そして派手なイエローを限定で150台販売したり、マイナーチェンジ後のCMには「globe」を起用したり力の入れ方が凄かったわ。

二代目 サイノス コンバーチブル イエロー限定ヴァージョン

globe サイノスのCMのワンショット
そして、マニュアルはあえて「4MT」にエンジンもアップするのではなく「1300CC」のまさかの追加。一見逆行するようなマイナーチェンジは国内向けが中心だったのかも知れないわ。でも、さほどブレークもせず、しかし売れなかった訳でもなく1999年にひっそりと販売を終了してしまったの。

二代目 サイノス
実際に現在残ってる車は少なく希少車になりつつある1台ね。その代わりワンオーナーで乗り続けてる方もいらっしゃると思うから是非後世に残してもらいたいわね、。
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