『キンシャサの奇跡』にまつわる謎と疑惑
【ロープをわざとゆるく張っていた?】
試合を見ると確かに不自然なほどロープがゆるい。
ロープがここまで緩くなければ、フォアマンのパンチをのけぞって躱すことはできなかったと思われる。
現地の人気を獲得したアリ陣営が「わざとロープをゆるく張らせたのではないか」とも言われている。
だが、アリのトレーナーであるアンジェロ・ダンディは試合が行われるまで『ロープ・ア・ドープ』という戦法自体を知らなかった。
事実、アリも1Rはフットワークを駆使する戦法を取っており、緩いロープに気付いたアリが急遽編み出したものだという説が有力である。
【フォアマンは薬を盛られていた?】
フォアマンは自叙伝『God in My Corner』の中で「あれは仕組まれた試合だった」と語っている。
リングに上がる直前に自分のトレーナーから薬のような味のする飲み物を与えられたと書き、何らかの薬物を盛られた可能性を示唆している。
「やっとの思いでリングにもぐり込み、3ラウンドが終わってみるとまるで15ラウンドを戦ったかのように疲労だった。」と自らの動きが急激に衰えた原因について述べている。
こうした発言に対して、「負け惜しみ」や「嘘つき」とフォアマンを批判する声もあるが、完全アウェーで軟禁された繊細なメンタルは壊れ、周りの人間全てが敵に感じてしまっていたのではないか。
この試合時には鉄の結束と言われた『チームフォアマン』は不協和音を生じていたという。
【レフェリーのカウントが早かった?】
動画で確認してもカウント9ぐらいで試合終了を合図したように見える。
だが、ダメージは明らかでフォアマン自身もフォアマン陣営も抗議する姿勢を見せていない。
仮にこのまま続行しても挽回するのは厳しかったと思われる。
『キンシャサの奇跡』後、再起をかけるフォアマン
フォアマンはアリに喫した初黒星から約15ヶ月後の1976年1月24日、ようやく再起戦を行った。
対戦相手は元囚人のボクサー、ロン・ライル。
アリに敗れて自信を失ったフォアマンに、かつて絶対王者と呼ばれた雰囲気は無かった。
このライル戦を例に出し、フォアマンは実はそこまで強くなかったという意見もあるが、ライルはこの半年近く前にモハメド・アリに挑戦し接戦(11RTKOで敗れる)を繰り広げているほどの実力を持っており、アリやフォアマンがいない時代であればチャンピオンになれたとも言われている逸材であった。
ジョー・フレージャーと二度目の対戦
『キングストンの惨劇』から3年後、王座から陥落したフォアマンに対して同じく元王者のフレージャーは雪辱に挑んだ。
前年、フレージャーはアリとも三度目の対戦を行いセコンドの申告により14R棄権で敗北したが、アリもこの時点で敗北を覚悟してグローブを外して欲しいとセコンドに頼んだほどの大接戦であった。
フレージャーを返り討ちにしたフォアマンは、スコット・レドゥー(3RTKO)、ジョン・ディノデニス(4RTKO)、ペドロ・アゴスト(4RTKO)と連勝を続け剛腕健在を印象付けた。
無名のジミー・ヤングに判定負けし、突如引退。
1977年3月17日、当時無名のジミー・ヤングに最終回ダウンを奪われた末に判定負け。
試合後のロッカールームで「神と出会った」と28歳の若さで引退を表明、牧師に転身した。
突然の引退宣言に周囲は「アリと再戦する勇気を失った」と考えた。
引退決意の理由については、ノンフィクション作家・山際淳司がフォアマンに直接取材を行って聞き出した内容が著書『スタジアムで会おう』にて明かされている。
宣教師として青少年の更生に尽力するフォアマン
敗北による心の傷が癒えたらすぐにカムバックすると周囲は思っていたが、フォアマンは復帰の誘いを頑なに断り続けた。
やがて、引退から何年も経っていくと復帰の噂も無くなり、フォアマンは完全に過去のボクサーとなっていた。
宣教師となったフォアマンは、不機嫌そうに顔をこわばらせていた以前から別人のように変わり、柔和で穏やかな笑顔を絶やさずユーモアを連発するようになったという。
ヒューストンの通りで説教をし始め、ボクシングで稼いだお金で教会も設立した。
そして、かつて不良だった少年時代から職業訓練とボクシングとの出会いに救われたように、自分も青少年の更生を手伝いたいと考えるようになっていく。
青少年更生施設の建設費用捻出のため38歳でカムバック。
残りの財産を使いユースセンター(青少年の保護・更生施設)の建設したフォアマンであったが、雇っていた会計士が横領事件を起こし、資金難に陥ってしまう。
教会とユースセンターを手放さねばならない状況になり、「このままでは多くの青少年を救う夢を実現できない…」とフォアマンは復帰を決意した。
負け犬のままリングを去ったんじゃないと、わかって欲しかった。
ジョージ・フォアマン・ユースセンター
『無謀』と嘲笑されたフォアマンの復帰
復帰を決めた38歳のフォアマンだったが約10年のブランクは彼の体を別人に変えていた。
若きフォアマン(左)と、復帰後のフォアマン(右)
ジョージ・フォアマンが復帰した1987年、ボクシング界の王者はマイク・タイソン。
ヘビー級としては小柄ながらガードごと薙ぎ倒す桁外れのパンチ力、ヘビー級史上最速の評価をモハメド・アリと分かつスピード、急所を正確に打ち抜く高度なコンビネーション、そして相手のパンチをことごとく躱す鉄壁のディフェンス技術を武器に次々に大男たちをキャンバスに沈めていた。
「70年代の拳を振り回すだけのボクシングは、現在の発達したボクシング技術には通用しない。」
「あの腹でボクシング?サンドバッグのように打たれて殺されるぞ。」
「タイソンとやるどころか、誰にも勝つことはできない。」
などとフォアマンの復帰は歓迎されることなく、嘲笑された。
なかには、「マイクタイソンとの対戦し大金を要求したいだけの詐欺行為だ」と批判するジャーナリストすらいた。
マイク・タイソン(Mike Tyson)
復帰したジョージ・フォアマンのファイトスタイル
1987年3月9日に下馬評を覆し4RTKOでスティーブ・ゾウスキーに勝利し復帰戦を飾ると、かつてのようにコツコツと勝利を積み上げていく。
元々スピードがあったタイプでは無いフォアマンは老いと体重増でさらに動きが遅くなり、「象をも倒す」と言われたパンチもスローに見えることがあった。
体格を生かしてプレッシャーをかけ、重い左ジャブと丸太のような剛腕から繰り出す左右のフック、もぐりこむ相手にはショートアッパー。
こうした基本的な戦術は若い頃と変わっていない。
だが、むやみに拳を振り回しスタミナを浪費することはなくなり、時にはディフェンスを駆使する理知的な戦い方をするようになっていた。
相手をじっくり見ながら、ベタ足で牛のようにノシノシと追い込む姿は若い頃とはまた違った迫力を感じさせる。
痩せるべきだという声に対して、フォアマンは「体重を減らそうとした事もあったけど、気が変わって皆に言ったのさ。ライオンに猫と闘う為に体重を減らせとは言わないだろう。減らす必要なんてないね。俺は大男なんだからさ。山を倒す事はできないだろう。」と考えを述べている。
アーチー・ムーア譲りのクロスアーム・ブロック
フォアマンの若い頃からサポートをつとめていたアーチー・ムーアは、フォアマンが復帰してからは特に重要な参謀役として活躍した。
両腕を胸の前で交差させるクロスアーム・ブロック、別名『アルマジロ・スタイル』でじわじわとフェイントをかけながら前進、少ない手数で強打を爆発させる戦術は、まさにフォアマンが師匠ムーアから継承したスタイルである。
フォアマンのクロスアーム・ブロック
アーチー・ムーアのクロスアーム・ブロック
アーチー・ムーアは世界ライト・ヘビー級の王座を39歳で獲得し、なんと49歳まで王座を保持していた。
フォアマンに破られる前の最高齢王座獲得記録を保持していたのはムーアであり、ベテランボクサーに必要なディフェンステクニックやスタミナ配分、駆け引きなどを惜しみなく愛弟子に注ぎ込んだ。
※ムーアの生年については諸説あり1~2年程度の幅がある。
後にフォアマンが起こした奇跡は、このアーチー・ムーアなしでは起こりえなかった。
衰えを感じさせない驚異のKO率
一般的なベテランボクサーと異なり、フォアマンは40歳を超えても、ポイントを稼ぎ判定勝ちを狙うようなボクシングはしなかった。
ガードの上からでも効かせる大振りパンチ、相手の隙をみて急所に叩き込むコンパクトなパンチ。
二つをうまく組み合わせ巧みにダウンを奪っていった。
手打ちに見えるようなパンチであっても剛腕から繰り出された拳がクリーンヒットすると、ヘビー級の猛者たちが面白いように倒れていく。
若さとスピードを失っても『象をも倒す』パンチは健在だったのだ。
そして、復帰から約4年を掛け24戦無敗(23KO)95%を超えるKO率を引っ提げてフォアマンは世界王座に挑むことになった。
ガードを固めた相手にも…
背中パンチでダウン!
1991年4月19日、王者イベンダー・ホリフィールドに挑戦
時のチャンピオンは、あのタイソンを倒したジェームス・ダグラスを3ラウンドKOで破ったイベンダー・ホリフィールド(当時28歳)であった。
世界挑戦資格を得ていたフォアマンは、王者イベンダー・ホリフィールドの初防衛戦の相手に指名される。
42歳のフォアマンにとって16年ぶりの世界タイトルマッチが決定した。
前半、王者ホリフィールドは卓越したスピードとディフェンス技術でフォアマンの強打をことごとく躱して、素早いコンビネーションで反撃。
フォアマンのブロックを突き破り、何度もクリーンヒットを当てていく。
だが、フォアマンは下がらない。まるで山のようにそびえ立ち、何事もなかったのように大砲でホリフィールドを追い込む。
中盤以降はお互いに正面から打ち合うシーンが多くなる。
フォアマンの重い一発をくらっても、ひるまずスピードある連打を打ち込むホリフィールド。
9Rにはフォアマンをダウン寸前のところまで追いつめた。
フォアマンも必死に応戦、これまで多くの相手をキャンバスに沈めてきた剛腕で王者を何度もグラつかせるシーンを見せた。
終盤になっても全く衰えない元王者と現王者の闘志は観客たちの心を打ち、スタンディングオベーションの中、試合終了のゴングが鳴り響いた。
結果は3-0でホリフィールドの判定勝ち。
だが、敗れたフォアマンの健闘を称える声は、勝者を讃辞する声を遥かに上回っていた。
世界王座を諦めず挑戦を続けるフォアマン
ホリフィールド戦で健闘し「もう十分戦ったから引退してもいいのではないか」という声も出たが、フォアマンは現役を続け、3連勝すると1993年6月7日、トミー・モリソンの持つWBO世界ヘビー級王座に挑戦。
善戦したが、またも判定負け。
今度こそ引退かと噂されたが、そこから半年後ホリフィールドを破ったマイケル・モーラーの持つWBA・IBF世界ヘビー級王座に挑戦した。
復帰後3回目の世界王座挑戦で奇跡を起こしたフォアマン
1994年11月5日、WBA・IBF世界ヘビー級王者マイケル・モーラーに挑戦。
王者モーラーにとっては、人気のあるフォアマンは単なる客寄せパンダという認識で、負けるリスクが無いおいしい挑戦者としての指名したという。
モハメド・アリはフォアマンは勝てるか?との問いに小さく首を振り「オールドマン(もう老人だよ)」とだけ答えた。
この試合フォアマンはどことなくこれまでと様子が違っていた。
練習を非公開にしたり、復帰後は穏やかだったフォアマンが記者会見でモーラーに食ってかかるシーンも見られた。
ピリピリとしたオーラを発するフォアマンはまるで以前の『獰猛さ』を少し取り戻したようだった。
試合当日には、「これは初めてのことだが、今日だけは自分のために戦う」とコメントしている。