甲子園球場の風景!ラッキーゾーン、かちわり氷、砂、ツタ、ブラスバンド、人文字!

甲子園球場の風景!ラッキーゾーン、かちわり氷、砂、ツタ、ブラスバンド、人文字!

甲子園球場にあった懐かしの風景を高校野球を通してまとめた!関西人だけでなく、春や夏の風物詩、高校野球。清原や桑田のKKコンビ、ゴジラ松井秀喜もラッキーゾーンにまつわるエピソードがあった!そして、PL学園の人文字はハイテクだった。


甲子園と言えばホームランを生んだ「ラッキーゾーン」

ラッキーゾーンとは、和製英語(=日本独自の通称)であり、英語に相当する単語はない。

野球場で本塁打を出やすくするために意図的に外野フィールドの内側に施した柵と、その柵から本来のフェンスの間の空間のこと。

また、柵の外はプレイングフィールド外として扱われ、打者が打ったフェアの打球が地面に着くことなくラッキーゾーンに飛び込めば、本塁打となる。

甲子園球場のラッキーゾーン

高校野球でもよく見られたラッキーゾーンへのホームラン!

日本におけるラッキーゾーンの第1号は阪神甲子園球場である。

1947年の5月26日に外野の両翼から左・右中間付近にいたる付近に金網を設けて本塁打を出やすくしようと試みた。球場での本塁打率が悪かった事を危惧した管理者の阪神電鉄によるもの。

ちなみに5月26日は「ラッキーゾーンの日」とされている。

設計当初は陸上競技場や球技場としても利用されることが念頭に置かれていたため、グラウンドは三角形で、ポール際のコーナーが丸みを帯びるという形状で、中堅119ないし120m・両翼110mに対し左右中間が128mもあるという、現在の目から見ても過大といえるサイズとなった。

さらに1934年にはホームベースがさらに9mほど下げられたため、同年の日米野球に出場したベーブ・ルースをして"Too large"(デカすぎだ)と驚かせたのは有名な話。

※(1985年に上空から撮影)。左中間、右中間にラッキーゾーンが設けられている部分が見える。

甲子園球場

ラッキーゾーンは1991年まで使用された。

当初、甲子園を舞台に開催される高校野球時には取り外していたが、1949年の夏の大会からはそのまま使用した。設置中には幾度か位置が変えられている。

1976年には内野スタンドの改造に合わせてホームベースを移設、中堅120m、両翼91mと公称されるようになった。
また、このときラッキーゾーンを従来より前にせり出す改修もおこなわれている。

1991年以前はラッキーゾーンにブルペンがあり、リリーフカーもあった。

撤去後のラッキーゾーンの一部は、甲子園歴史館と甲子園に近い兵庫県立西宮今津高等学校の中庭に保存されている。

ラッキーゾーン内のブルペン

甲子園のラッキーゾーン!KKコンビや松井秀樹のエピソード!

「KKコンビ」と呼ばれたPL学園の桑田真澄と清原和博は、1985年の全国高等学校野球選手権大会で2度目の優勝を果たした。
その大会の準々決勝、高知商戦で、2人はアベックホームランを放つ。この時の桑田真澄のホームランは、ラッキーゾーンで生まれたものだった。

また、ラッキーゾーンが撤去された後の甲子園で初めてホームランを打った選手が、星稜高時代からスラッガーとして注目され、ゴジラの愛称で親しまれた松井秀喜だった。
ラッキーゾーンが撤去された3年春の選抜・開幕戦でいきなり2発のホームランを放った松井。その秋のドラフトの目玉となった。

甲子園の夏!冷たい飲み物と言ったら「かちわり氷」!

純氷などの大きな氷を小さく割って飲料用途など利用し易くしたかち割り氷。
甲子園の名物として知られ、特に暑い夏のスタンド観戦では重宝されている。

かち割り氷(かちわりごおり、搗ち割り氷)の略語である。

阪神甲子園球場において販売されている「かちわり氷」は、スタンド(売り子)や売店にて販売されている。但し、夏の高校野球開催期間中のみの販売で、プロ野球阪神タイガースの試合当日は通常販売されていない。

夏はこれでひんやり、かちわり氷!

水は六甲山系の地下水を汲み上げたものであり、溶けた氷水を飲んだり、額などに乗せて涼をとったりする。
2日間かけてゆっくりと製氷する事で水に溶け込んだ空気が徐々に抜け、気泡が少ない氷になるため溶けにくくなっている。

かちわり氷の歴史は1957年に始まる。販売したのは地元西宮市で飲食店を経営する梶本商店。
その後、祭りの露店での金魚すくいの袋をヒントに改良され、ビニール袋に氷を詰めストローを付けて販売したところ、「飲み物であると同時に氷嚢としても使える」と評判となり大ヒットした。
発売開始当初は1袋5円であった。

KKコンビが大活躍した1983年頃は1日で1万5000袋が売れた。

現在は凍らせたペットボトル入り清涼飲料水の台頭などに加えて、阪神甲子園球場ではペットボトルの持ち込みが認められていることや、衛生面で敬遠する人も増えたこともあって売り上げがピーク時の半分から三分の一にまで落ちている。値段は1袋200円。

かちわり氷の氷は長持ち!

負けると甲子園の砂をかき集め、持ち帰るのは川上哲治が起源!?

その様子を撮ろうするカメラマン達もお馴染みの光景!

試合後、グランドの砂をかき集め、袋に詰める選手達

甲子園で最後の試合後、選手達が泣きながらグランドの砂をかき集め、袋に詰め、持ち帰るシーンは高校野球の定番となっている。
その起源は諸説あるが、あの「川上哲治」が最初と言う説が有力視されている。

熊本工が決勝戦で敗れて準優勝した1937年の第23回大会。
この時の熊本工の投手が後に「打撃の神様」と呼ばれることになる川上哲治だった。

その川上が甲子園の砂をユニフォームのポケットに入れて、持ち帰り、熊本工の練習場にまいたのが最初と言われている。
ただ、川上自身は甲子園以外で同様のことをしている選手の真似であったことを語っている。

打撃の神様・川上哲治(かわかみ てつはる)

元々はこっそりとポケットに砂を一握り忍ばせ、持ち帰っていたものが、いつの間にか市民権を得て、堂々と持ち帰るようになったそう。

また、敗者チームだけでなく、決勝では両校が持ち帰ることもある。
春の選抜の際は、夏にもう一度甲子園の砂を踏むという意味で、持ち帰らない場合が多い。

砂を入れる袋はスパイクやグローブの袋が多い!

カメラマンの夏は終わらない!!

甲子園の砂で有名なエピソードは、1958年に沖縄の首里高校が甲子園に出場した際、1回戦で負けた首里高校の選手が甲子園の砂を持ち帰った。
しかし、「植物検疫法」に触れるとのことで、船が那覇港に入る前に、砂は廃棄させられたというもの。

首里高校の一件が報道され、当時スチュワーデスをしていた女性が「砂が駄目ならせめて小石でも」と甲子園の小石を拾い集めきれいに消毒し、ダイアモンドを形取るように桐箱に詰めて首里高校に届けたというエピソードもある。
また、その石は首里高校に建てられた「友愛の碑」に埋め込まれているそう。

首里高校の行進の場面

かつて甲子園の外壁はツタが生い茂っていた!!

甲子園の外壁に生い茂っていたツタ。
これは1924年の甲子園球場の誕生とともに緑化の一環で植えられたもの。

かつては約430株もの蔦が植えられていて、その葉っぱの面積をあわせると約8,000畳という量だった。

甲子園の周囲をツタが覆っていた!

2007年より行われた改修工事によって一旦蔦が取り払われましたが、再び植栽が始められ少しずつ伸びてきている。

また、2000年に日本高等学校野球連盟、朝日新聞社、阪神甲子園球場により全国の加盟校へ贈られていた甲子園のツタの苗木が「ツタの里帰り」として、移殖された。

ツタ!ツタ!ツタ!!

近年は再びツタが成長中!

9回裏の大逆転を呼び込む!?ブラスバンドの応援歌!

高校野球の応援を盛り上げるブラスバンドの奏でる音楽。
「狙いうち」や「タッチ」、「サウスポー」、「パラダイス銀河」、「ルパン三世のテーマ」など往年の名曲がお馴染みだろうか。
「セントポールマーチ」は、奈良の天理高校も応援歌の定番曲となっている。

ちなみに光GENJIの「パラダイス銀河」1989年の選抜高等学校野球大会では入場行進曲として使用され、今でも応援歌として人気が高い。また、彼らのヒット曲「ガラスの十代」も定番曲の一つだ。

逆転につぐ逆転が展開される高校野球では、ここぞという場面でこの応援歌が選手達の力になっているのだろう。

ちなみに筆者は沖縄県の代表校でよく演奏される「ハイサイおじさん」がお気に入り。
喜納昌吉の1976年のデビュー曲であり、30万枚のヒットとなった一曲。
あの陽気さに思わず、にやけてしまう。また、沖縄の応援は指笛も楽器の一つである。

ブラスバンドの応援

ブラスバンド同様、心強い「人文字」での応援!

高校野球の風物詩の一つ「人文字」。
PL学園の「PL」の文字や智辯学園、智辯和歌山の「C」などが有名。

PL学園の人文字は1962年、春の選抜に初出場した時に初披露されたという説が有力。
最初は「P」の1文字だけだったが、「GO」や 「打て」など様々なバージョンが披露されたそう。

次の最終ページでは、PL学園の人文字が華麗に変化する動画やPL学園のボードの変化にはハイテクな技術が取り入れられているといった情報をお伝えする。

PL学園は1956年の野球部創部から、7色のボードを使って人文字を作ってきた。

人文字は高度にシステム化されている。
1996年の甲子園出場時には、定時制の生徒10人がパソコンを使って人文字を「設計」。
設計図を元にした「カラーブック」を応援席の一人ひとりが所持。

カラーブックには、青、白、赤、黄、オレンジ、緑、ピンクの順に七色の厚紙がつづられ、表紙には、「1青」「2黄色」「3黄色」という具合に、座席ごとに異なる指示表が貼られてた。

応援執行部員や生徒会役員ら二十数人が務めるリーダーが「『打て』です」と模様を示し、次に「一枚目です」「二枚目です」などと、めくるタイミングを指示。

生徒はその通りに厚紙を出していけば人文字ができあがるという流れだった。

PL学園の「PL」

智辯の「C」!

単刀直入「打て」!

≪ミドルエッジ 甲子園に関する記事≫

【甲子園の応援歌】昔懐かしい歌ばかりだから、親子でアツくなれますよね♪ - Middle Edge(ミドルエッジ)

【震災センバツ】に出場した「兵庫県代表3校」の戦い - Middle Edge(ミドルエッジ)

1992年夏、物議を醸した『松井秀喜』甲子園で5打席連続敬遠 - Middle Edge(ミドルエッジ)

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