スタートから向こう正面、タマモクロスはいつもの後方待機ではなく中盤に位置します。それを見るように、オグリキャップは後方を進みます。3コーナー付近でタマモクロスが2番手まで上がり、早めに仕掛けるとスタンドのみならず、陣営からもどよめきの声があがります。オグリキャップはまだ動きません。4コーナーを回って直線に入ると、オグリキャップは大外から襲いかかります。タマモクロスはまだムチを入れない。逃げるレジェンドテイオーに並ぶとタマモクロスにムチが入り、グイッと伸びて先頭に立ちます。そして、オグリキャップがタマモクロスに並ぼうとするが並ばせない。最後は、1馬身余りの差を付けたままゴール!
史上初の天皇賞春秋連覇の瞬間でした。
相手は世界の強豪
タマモクロスの力と、それを信じた南井騎手の見事な作戦で天皇賞を連覇した陣営は、ジャパンカップに臨みます。ヨーロッパ・北米・オセアニアから8頭の強豪を招き、あのオグリキャップも参戦します。
1番人気はタマモクロス。凱旋門賞馬のトニービーンを抑えての快挙でした。
タマモクロス対世界の強豪馬の幕が切って落とされようとしていました。
ジャパンカップ 東京芝2400m 11月27日
最後の直線で、大きく内に斜行したマッキャロン騎手(ペイザバトラー)には戒告処分が下されましたが、着順には変更ありませんでした。しかし、これは偶然ではなかったのです。マッキャロン騎手が研究しつくした結果の行動でした。彼は東京競馬場はもとより、日本馬についても事前調査を綿密にしており、「タマモクロスとオグリキャップの2頭には並んだら勝てない、芦毛の2頭は要注意だ」と関係者に事前に話していたそうです。ペイザバトラーは内にヨレたのではなく、マッキャロン騎手が並ばせないために、内に切れ込ませたのでした。
タマモクロスは、名手の何とも大胆な騎乗によって9連勝はならず、14か月ぶりの黒星となったのですが、日本馬最先着・レース内容等すべてにおいて現役最強馬となったのでした。
最後の芦毛対決
タマモクロスは疲れ切っていました。元々食が細かったにもかかわらず、激しい戦いの連続で、さらに食欲不振に陥っていました。こうなると満足な調教もできません。「タマモクロス不調」。必然的に競馬会を駆け巡るのも、いたしかたないことでした。
馬主の意向により、有馬記念が引退レースと決まっていた陣営では、様々な策がとられましたが、良化は見込めませんでした。
しかし、ファンの期待・人気は不動のものでした。堂々のファン投票第1位となったのです。
相手は、あのオグリキャップ、そしてサッカーボーイ、スーパークリークと、台頭著しい若武者たち。
芦毛対決最後の舞台へ、いざ、決戦!!
第33回有馬記念 中山芝2500m 1988年(昭和63年)12月25日
タマモクロスの競走馬人生は終わりました。
1年前までは細く、小さい、貧弱な400万下の条件馬が、史上初の天皇賞春秋連覇という偉業を成し遂げ、年間成績7戦5勝、2着2回の連対率100%という実績を残し、1988年度最優秀馬に選ばれるという快挙をやってのけたのでした。
引退レースで、オグリキャップに敗れはしたものの、王者は、明日へ夢をつなぐ若きチャンピオンに道を託したのでした。
王者引退
ありがとう、タマモクロス
タマモクロスは種牡馬として北海道静内町アロースタッド牧場にいました。
GⅠ馬こそ出せませんでしたが、多くの重賞馬を産駒として輩出しました。
そして、1人の熱き男によって導かれた芦毛の子は、2003年4月10日、19歳(人間年齢65歳前後)でこの世を去ります。
「白い稲妻」「芦毛の名馬」と言われ、昭和最後の王者として競馬会に君臨したタマモクロスは、天国でもターフを疾風の如く駆け抜けていることでしょう。
タマモクロスの墓碑