ケンドー・カシンのプロフィール

ケンドー・カシンの本名は石澤常光(いしざわ・ときみつ)。181センチ、87キロ。
1968年8月5日生まれの青森県出身。
レスリングの強豪校・光星学院高校、早稲田大学人間科学部卒業。
レスリング全日本学生選手権3連覇! 91年全日本選手権でも優勝。
レスリング出身の鈴木みのるに対して、ケンドー・カシンは「クラスが違う」と言ってのけた。
ケンドー・カシンは根っからのプロレスファンで、1992年に新日本プロレスに入団。
コーチは馳浩で、デビュー戦は金本浩二。

1996年3月、永田裕志を破り、第7回ヤングライオン杯優勝。
そして同年7月にヨーロッパ遠征でマスクマンとなり、稀代の問題児・ケンドー・カシンが誕生する。
しかし、その前に、石澤常光にとって輝かしい闘いの歴史があるのだ。
それは・・・・・・。
新日本プロレスVSUWFインター全面戦争
事の発端は新日本プロレスの長州力と、UWFインターの高田延彦の電話会談だった。
交渉は決裂し、キレた長州が「やるのか?」と言うと、高田が「本当にやったらそっちが困るでしょう」と挑発。
「何こらあ!」
ついに新日本プロレスとUWFインターの全面戦争が勃発。
1995年10月9日、東京ドーム。チケットが即完売し、入場券を手にできなかったファンが帰るに帰れず、周囲に溢れてしまった。
UWFインターのファンや選手からしてみれば、日頃キックと関節技を特訓し、実戦でも総合格闘技のような試合をしているUインターが負けるわけがないと思っていた。
その理由は、普段ロープに飛ばしてドロップキックというような試合に慣れているレスラーが、自分たちのキックや関節技に対応できるとは思えないと。
ところが、新日本プロレス道場では、常日頃からレスリング、ボクシング、関節技、キックなど、あらゆるトレーニングを積んでいた。
そして、新日本プロレスの選手が、いざという時に、本格的なキック攻撃や関節技に対応する力があることを、見事に証明した大会となった。
この全面対抗戦は、「新日本プロレスが最も成功した興行」とも言われている。
この全面対抗戦で、先兵としてその実力を発揮したのが、実は石澤常光だったのだ。
鬼コーチ・山本小鉄軍曹も、石澤常光のシュートの実力には太鼓判を押していた。
なぜなら、新日本プロレスに腕自慢の素人が道場破りに来る時に、応対する係が石澤常光だったからだ。
石澤常光は、相手を容赦なくコテンパンにやっつけて、道場の外に放り投げたという。
その感じは後のケンドー・カシンのキャラクターを彷彿とさせる。
石澤常光は、UWFインターとの対抗戦で大活躍。
10.9東京ドームでは、永田裕志とタッグを組み、金原光弘、桜庭和志と対決。
そして石澤常光は、あの桜庭和志を三角絞めで破っているのだ。
新日本プロレス対UWFインターの全面戦争は、この日の興行だけでなく、ずっと続いた。
とにかく激しい試合の連続に、プロレスファンは心底興奮し、感動した。
当時高校生だった柴田勝頼がプロレスラーになると決めたのも、この闘いを観戦したからだ。
この大会で、石澤常光はシュートに強いということを証明し、ファンの知るところとなった。
ヒールに転向したケンドー・カシン

ヨーロッパから凱旋帰国したケンドー・カシン。しかし「ファンの反応が冷たかった」とヒールに転向することを決意したらしい。
実際にそんなに冷たかったかどうかは定かではない。段々と奇怪な言動が目立ち、誰にも理解できないカシン語録や理解不能な行動を起こすようになっていく。
何といっても実力はピカイチ。
1999年1月、ケンドー・カシン、ドクトル・ワグナー・ジュニア組は、東京ドームで大谷晋二郎、高岩竜一を破り、第2代IWGPタッグ王者に輝く。
そして同年5月、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア6でケンドー・カシンが優勝。
なぜかトロフィーを足蹴にしたり、よくわからないパフォーマンスをするようになる。
同年8月、金本浩二を破り、第34代IWGPジュニアヘビー級チャンピオンに君臨。
ベルトを踏んづけたり、トロフィーを破壊したりと、ヒールぶりがエスカレートしていく。
ほかにも中西学と犬猿の仲というキャラ設定でサイドストーリーをつくり、カシン語録で中西学を散々バカ呼ばわり。
ヘビー級の中西学は、まずケンドー・カシンと試合で交わることがないので、このパフォーマンスの意味のなさに困惑。
しかし、ケンドー・カシンの毒舌と理解不能なパフォーマンスは定着し、「それがカシン」とファンも認めていた。
ケンドー・カシンの飛びつき式腕十字固め
プロレスは勝負の世界。実力もないのに口だけ達者だったら、間違いなくリング上で潰される。
しかしケンドー・カシンは実際に強いのだからどうしようもない。
カシンの得意技はエルボースマッシュやランニングネックブリーカーなど、いろいろあるが、一番の必殺技は飛びつき式腕十字固めだ。
今は中邑真輔が得意としている技だが、90年代はケンドー・カシンが一番の使い手だった。
そんなケンドー・カシンの実力が買われたか、にわかに総合格闘技PRIDEに参戦したらどうなるか。そんな噂が囁かれ始めた。

石澤常光VSハイアン・グレイシー
PRIDEは、1997年10月11日、東京ドーム。高田延彦VSヒクソン・グレイシーの闘いで始まった総合格闘技のビッグイベント。
400戦無敗のヒクソン・グレイシーが、高田延彦を腕ひしぎ逆十字固めで破り、プロレスファンは騒然。
「プロレス最強神話が崩壊した」ともマスコミに書かれたが、プロレスラーの桜庭和志が次々とグレイシー狩りをやってのけ、プロレスラーの強さを見せた。
山本小鉄も長州力も、明らかにレスラーに不利なルールなので、プロレスラーがPRIDEのリングに上がることには、基本的に反対だった。
試合に負ければ、観客はルールがどうのこうのとは考えない。勝ったほうが強く、負けたほうが弱いとしか見ない。


異種格闘技戦の元祖といえば、アントニオ猪木。猪木はPRIDEのリングに上がりたいという選手を積極的に応援したし、シュートが強そうなレスラーを誘った。
まさに石澤常光もその一人だ。
プロレスラーが出場すれば、プロレスファンが観る。観客動員力の意味でも石澤常光は引っ張られた。
石澤常光が、ハイアン・グレイシー戦が決まってから、必死に猛特訓したことは当たり前の話だが、そこを見せないのがケンドー・カシン。
マスクを被り、「石澤は練習で忙しいので代わりに来た」「誰と闘うか聞いてない」「名前だけは覚えた」など、いつものプロレス的パフォーマンスを敢行。
ケンドー・カシンにとってこの程度は序二段だが、このノリがグレイシーに通用するわけもなく、ハイアンは「舐められた」「バカにされた」「絶対に許さない」と大激怒。
だから試合は、ゴングが鳴る前からハイアン・グレイシーが猛獣のようにいきり立っていた。
石澤常光のセコンドには、盟友の藤田和之がついた。

試合開始早々、ハイアン・グレイシーは鋭いタックルで石澤常光をコーナーに追い詰める。石澤はフロントチョーク。しかしハイアンが離れると同時に顔面にパンチ、ニーパット! 石澤も立ち上がるが、ハイアンが猛然と左右のパンチ連打を顔面に叩き込むとレフェリーが止めた!
早過ぎる。止めるのがあまりにも早過ぎる。
ハイアンは興奮状態で喜びを露わにし、藤田和之が石澤を抱き締める。
しかし石澤の顔は腫れていないし、流血もしていない。本当に衝撃のあるパンチなら倒れているはずだ。
プロレスではダウンもしていないのにレフェリーストップはあり得ない。これが他流試合の怖さであり、慣れていないルールで闘う危険さだ。
石澤常光はこの日から「時計の針が止まった」と言った。
想像を絶するショックを受けたに違いない。
時計の針を再び動かず方法は、もう一度ハイアン・グレイシーと対戦し、勝つこと以外にない。
もしも同じ相手に二度も負けたら、精神的ダメージは計り知れない。
2001年7月、PRIDE15で再戦した石澤常光とハイアン・グレイシー。
石澤常光は冷静沈着な試合運び。
ハイアン・グレイシーの打撃を警戒したら普通は飛び込めないが、勇気がある石澤は高速タックルでハイアンを倒す。
寝技に持ち込めば石澤が有利か。ハイアンも柔術の選手だから寝技は苦手ではないが、石澤はレスリング日本一の実力が光る。
上からハイアンの顔面にパンチ、脇腹に膝蹴り!
何度か立ち上がって打撃戦に持ち込もうとするハイアンだが、石澤が素早くタックルしてハイアンを倒し、脇腹への膝蹴りと顔面へのパンチ攻撃。
アクシデントか、ハイアンが苦痛の表情で自分の脇腹を差してレフェリーにアピール。レフェリーが試合を止めてドクターを呼ぶ。
石澤常光の完勝だ!
ついに止まっていた時計の針を再び動かすことができた。
それにしても、絶対に負けられない試合なのに、落ち着いてファイトできる石澤常光のハートの強さは素晴らしい。
ともあれ、プロレスラー・石澤常光の実力を証明できて良かった。

ケンドー・カシンVS成瀬昌由
ケンドー・カシンの試合で忘れられない一戦がある。
今でも強烈な印象が残っているIWGPジュニアヘビー級選手権。
これはケンドー・カシンの強さを物語るのに欠かせない試合である。
リングスの成瀬昌由が新日本プロレスに殴り込み、2001年7月20日、札幌ドームでIWGPジュニアヘビーチャンピオンの田中稔を破り、成瀬昌由が第40代王者に君臨。
この時のフィニッシュ技がクレイジーサイクロン。半回転してバックブローのように掌打を打つ技だが、空手をやっている成瀬だけに強打かもしれない。
新日本プロレスがこのまま黙っているわけにはいかない。
2001年10月8日、東京ドームで王者の成瀬昌由に挑戦するのは、稀代の問題児・ケンドー・カシンだ。
実力文句なしのカシンへの期待は極めて大きかった。
いよいよケンドーカシンが入場・・・と思ったら、何と素顔の石澤常光が現れたから場内はどよめきと大歓声。
運命のゴング。成瀬はいきなり張り手連打とキックのコンビネーションで石澤を追い込み、必殺技クレイジーサイクロン!
石澤が一発でダウン。成瀬が石澤を投げようとした次の瞬間、石澤が十八番の飛びつき式腕十字固めで成瀬をとらえる・・・即タップアウト! ファンは大興奮。
試合時間は何と、0分26秒!
石澤常光が第41代IWGPジュニアヘビー級チャンピオンとなった。
世界の荒鷲・坂口征二からベルトとトロフィー、認定書などを受けるが、いきなりトロフィーとベルトを投げ捨て、認定書をビリビリに破いてリングを下り、去っていった。
これは何かのメッセージなのか?
バックステージにカメラが回ると、マスクを被ったケンドー・カシンが登場し、「石澤勝ったの?」と聞く。
「じゃあベルトをもらっておく。よくやった。褒めてやる」
そう言ってケンドー・カシンはベルトを持って去っていく。
秒殺劇といい、そのあとの行動といい、ケンドー・カシンならではとしか言いようがない。
ケンドー・カシンVS桜庭和志
因縁の対決、ケンドー・カシンVS桜庭和志。
1995年に勃発した新日本プロレス対UWFインターの全面戦争の時、石澤常光は桜庭和志にタッグとシングルで連勝。
そのあと二人は全く違う道を歩んだ。
その因縁の両雄が2000年の大晦日に、猪木祭のリングで激突。
夢の対決だったが、二人は思いっきりショーアップなプロレスをしてしまった。
真剣勝負のプロレスを求めたのは甘かったかもしれない。
ケンドー・カシンは白覆面で入場。完全にアントニオ猪木の全然謎ではない謎の白覆面の真似だ。
そして桜庭和志はケンドー・カシンのマスクを被って入場。しかし、両者ともオープンフィンガーグローブを装着していた。
試合は、桜庭和志がマスクのまま闘い、上になり、左右のパンチ連打からモンゴリアンチョップ!
総合格闘技PRIDEのリングで、グレイシー相手にモンゴリアンチョップを炸裂させたファイターは桜庭だけだ。
まさかここでも出すとは。怒りのカシンは反撃し、桜庭のマスクを剥ぎ、ようやく素顔の桜庭和志になった。
桜庭は炎のコマ。そしてジャイアント馬場を意識したのか、いきなりココナッツクラッシュ!
カシンもエルボースマッシュ、スープレックス、アームロックと攻める。
桜庭も腕十字固めを決めるがカシンがロープ。カシンも飛びつき式の三角絞めを決めたが、桜庭の髪をつかんでの三角絞めなので反則のためブレイクを命じられる。
納得いかないカシンはレフェリーをどつき、襟首を掴んで迫るが、桜庭がカシンの背中にドロップキック!
カシンは場外に転落。
場外に落ちたケンドー・カシンめがけて、桜庭和志がトップロープを両手でつかみ、飛んだ! まさかのブランチャー!
「一度やってみたかった技」と語っていた桜庭。確かにUWFやPRIDEではできない。
もちろん総合格闘技にはない場外乱闘も桜庭はまるで水を得た魚のよう。カシンを思いきり鉄柵に叩きつけ、リングに上がるが、ファンに人差指を立てて見せて「もう一度」とアピールし、ブランチャー・・・はすかされた。
腹部を痛める桜庭。カシンは場外で片エビ固め。無意味な行動だ。
リング上では、カシンがストンピング、エルボー。しかし桜庭もカシンをコーナーに叩きつけてジャンピングニーパット!
これは坂口征二かジャンボ鶴田か?
さらにカシンのバックを取った桜庭が投げっ放しジャーマン! もう一度バックを取って今度は鮮やかなジャーマンスープレックスホールド!
カウントツーで返すカシン。
桜庭は完全にプロレスをしている。カシンをコーナーポスト最上段に乗せて、武藤敬司ばりのフランケンシュタイナーを狙ったかに見えたが、カシンのまさかの金的攻撃で桜庭がリング上に転落。
UWFだったら反則負け。PRIDEだったら永久追放だ。
今度はカシンが桜庭をブレーンバスターの形でコーナーポストに乗せ、雪崩式ブレーンバスターを狙う。しかし桜庭がカシンにアームロック!
コーナーに両選手が上がっている状態での腕固めは普通ない。カシンがたまらずタップアウト!
実況アナも「何という結末!」
本当に何という結末だ。言うまでもなくコーナー上での腕固めは反則だが、カシンがタップアウトしてしまったため、試合終了。
反則技だからタップアウトは無効でもいいが、流れからして完全にショーなので、レフェリーも深く追及しない様子。
腕を押さえながら退場してくるカシンに、アナウンサーが「今の試合を振り返って」と聞くと、「おまえが振り返れおまえが。オレに振り返らせるな」
どこまでもケンドー・カシンだった。
新天地・全日本プロレスへ移籍

2002年に新日本プロレスを離脱。武藤敬司、小島聡とともに、ケンドー・カシンも全日本プロレスへ移籍。
カシンは「過去を反省して生まれ変わります」とコメントしたが、新日本プロレス時代以上に自由奔放、神出鬼没のやりたい放題。
北斗晶とシングルマッチをやったり、自由自在に暴れた。
2000年にプロレスリング・ノアの旗揚げで全日本プロレスの選手が大量離脱し、全日本プロレスの主力日本人選手は川田利明と渕正信の二人だけになってしまった。
渕はスーツ姿で新日本プロレスに紳士的に挨拶に来て、現場監督の長州力と固い握手を交わし、新日本プロレスとの交流戦で活路を開こうとした。
しかしリング下にいた蝶野正洋が血相変えてリングに上がり、マイクで「ここはおまえが来るところじゃねんだ! とっとと出てけ!」
渕は冷静に笑顔で聞いていたが、長州力がマジギレして蝶野と激しい口論をするから観客は大興奮。
途中から蝶野の加勢をした天山に、長州力が激怒の目でボディにキック!
マイクを通していないから聞こえなかったが、おそらく長州力のいつものセリフ「とっとと死ね!」と叫びながら蹴ったか?
渕正信のおかげで、ベストバウトにしたいくらいのエキサイティングな場面が見られた。

長州力や蝶野正洋のように、強烈な個性を持っているプロレスラーは、何をやっても絵になるし、台本なしの阿吽の呼吸で盛り上がるサイドストーリーをつくることができる。
阿吽の呼吸か、演技ではないマジギレか、見抜けないのがプロフェッショナルだ。
ケンドー・カシンもキャラクターが確立されているプロレスラーだから、どこの団体へ行っても熱烈歓迎される。
移籍というと、すぐにギャラの話が出るが、誇り高きプロレスラーがギャラ以上に嬉しいのは存在を重んじられることだ。
自分の個性と実力に自信があるプロレスラーが、新天地を求めて移籍するのは、どこでも通用するか試してみたいからではないかと推測する。
新日本プロレスの武藤敬司が私服で全日本プロレスの会場に姿を現したらざわめきが起こり、黙って観客席にすわると、どよめきと大歓声。
プロレスリング・ノアへの大量離脱の時だけに、「もしも武藤が全日本に来てくれたら?」というファンの期待の高まりを一身に浴びる。
プロレス専門誌もビッグニュース扱いで、これはプロレスラー冥利に尽きる。
ケンドー・カシンも、全日本プロレスという新天地へ行けば、対戦相手もほとんどが初対決だし、全てに新鮮。
自分を試してみたいと思っても不思議ではない。

しかし、全日本プロレスでは少し遊び心が満載過ぎたかもしれない。
北斗晶との試合は面白かった。序盤は見事なグラウンドレスリングの攻防で、互いに技術の高さを見せる。
しかし途中から喧嘩プロレスになり、北斗晶が竹刀を持ち、カシンはイスを持ち、本気で竹刀とイスをぶつけ合い、怪我しないかヒヤヒヤした。
最後は犬猿の仲(設定?)の中西学が乱入し、カシンをなぎ倒す。
ケンドー・カシンと全日本プロレスが何やら揉めていることは、プロレス専門誌でも報じられていたが、詳しいことはよくわからなかった。
真剣に怒る全日本プロレスとパフォーマンスと毒舌を繰り返すケンドー・カシンという図式。
欠場したり、チャンピオンなのに防衛戦をやらなかったり。
そしてついに2004年、ケンドー・カシンは全日本プロレスを解雇されてしまった。
普通、本当にクビになるまで暴れるレスラーはいないので、カシンファンからしたら、そのシュートぶりに「さすがカシン」と感嘆するしかなかった。
2005年、再び新日本プロレスのリングに上がったケンドー・カシンは健在ぶりをアピールした。
チームジャパンVS新日本プロレス
2016年現在では到底実現不可能なカード。
天山広吉、西村修、棚橋弘至、中邑真輔VS永田裕志、中西学、藤田和之、ケンドー・カシン。
この8人がリング狭しと躍動する。どの組み合わせでも今なら夢の対決だ。
天山広吉のモンゴリアンチョップ! 中西学のアルゼンチンバックブリーカー!
西村修とケンドー・カシンがめまぐるしい技と技の応酬を見せて会場は大歓声。
藤田和之と中邑真輔の遭遇。
藤田は喧嘩プロレスもお手のもの。凄みながらの顔面ビンタからボディに膝蹴りは威圧感満点。
永田裕志のミドルキック! 棚橋弘至のドラゴンスクリュー!
試合終盤、西村修が藤田和之に猛攻。伝家の宝刀、スピニングトーホールドからの足4の字固め。
コブラツイストからの卍固め!
ローリングクラッチホールドからのジャパニーズレッグロッグ!
ファンクス、猪木、藤波。師匠が多い分技も多彩な西村修。
だが、一瞬のスリーパーホールドで形勢逆転。藤田のキャメルクラッチとスリーパーホールドの複合技で西村はたまらずタップアウト。
見応え十分なタッグマッチだった。
ケンドー・カシンはこの豪華な顔ぶれの中でも見せ場をつくる。
中西からカシンにタッチしたかと思ったら、何もしないですぐに永田にタッチ。永田は「何やってんだよ?」という表情で仕方なくリングイン。
西村と向かい合うカシンは、握手を求める。手を握った次の瞬間に金的蹴りをやる危険性があるので、西村は握手を拒否。
カシンは何もしないと観客にアピールするパントマイム。西村は警戒しながら握手したが、何もしなかった。
中邑真輔とケンドー・カシンの絡みが少なかったのは残念。飛びつき式腕十字の使い手同士だけに、簡単には交われなかったか。
スーパージュニア・ヒストリー
日本のジュニアヘビー級戦線は、本当にハイレベルだと思う。
ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアは、新日本プロレスの選手だけでなく、他団体からも参戦OKの大会だけに、毎年大熱戦が繰り広げられた。
今までの参戦メンバーを挙げても凄い顔ぶれだ。
獣神サンダー・ライガー、ブラック・タイガー、エル・サムライ、金本浩二、高岩竜一、垣原賢人、タイガーマスク、稔、井上亘、ミラノコレクションA.T.
この中でケンドー・カシンは、ジュニアヘビーのトップクラスとしてファイトしていた。改めて実力者だと思う。
カシンは体重87キロのジュニアヘビー級の選手だが、ヘビー級のレスラーとも堂々と渡り合う。
しばらく姿を見せないと思った漂流者カシンが、2007年にIGFのリングに登場し、あの世界のカート・アングルとシングルマッチで対戦した時は、ケンドー・カシンの実力の高さを思い知った。
ケンドー・カシンVSカート・アングル

カート・アングルは1996年アトランタオリンピックのレスリングフリースタイル100kg級に出場し、見事金メダルを獲得。
総合格闘技でもマーク・ケア、マーク・コ-ルマンに勝利し、プロレスでもあのブロック・レスナーに勝っている実力者。
2007年12月20日、IGFのリングでは当初、カート・アングルVSブッカーTの試合が組まれていた。
しかしブッカーTが欠場したため、急遽代役を買って出たのが、何とケンドー・カシン!
カート・アングルの対戦相手がケンドー・カシンと発表された時、プロレスファンは大騒ぎだ。
立会人には白覆面の魔王・サ・デストロイヤー。さすがイノキゲノム。
放送席にはゲスト解説として永田裕志。
永田は翌年の1.4東京ドームでカート・アングルと対戦することが決まっている。
カシンを知らない格闘技ファンは、カート・アングルにとって消化試合くらいに思ったかもしれない。
しかしそうは問屋が大根おろしだ。
試合は、アングルとカシンの技と技の応酬。さすがはレスリング出身同士。めまぐるしいバックの取り合いだけで会場を湧かせる。
世界のアングル相手にカシンはいつも通り、試合中に握手を求める。アングルが応じて握手をするとキック!
エルボースマッシュ合戦はヘビー級のアングルが勝ったが、カシンはアングルに対しても十八番のタランチュラを敢行。

場外乱闘でも負けていないヒール・カシン。カシンがイスでアングルの脳天を殴打しようとした時、デストロイヤーがイスを両手でつかんで止めたので、予期せぬ出来事に焦るカシン。
リング上でも堂々の戦いぶり。アングルに恐れなくキックを見舞うカシン。
アングルがコーナーポストに上がると、カシンの必殺技、飛びつき式腕十字固め!
永田にしてみれば、盟友カシンを応援したいが、1.4の前にアングルが負けてしまうのは、プロレスの流れ的に困る。
自分と戦うまではアングルに無敗であってほしい。おそらく複雑な心境で観戦していたのではないかと推測する。
アングルこそ、まさかここでジュニアのカシンに負けるわけにはいかない。アメリカにも敗北のニュースは届くだろう。
アングルの十八番、オリンピックスラムが炸裂!

アングルがカシンに足4の字固めを決める。これはザ・デストロイヤーを意識してのことか否かはわからない。
そしていよいよ、アングルが数えきれないレスラーを撃破してきた必殺技のアンクルロックを掛けた次の瞬間、カシンが高速のローリングクラッチホールドで切り返した。
カウントは、ワン! ツー! WOOOOOOOOOO!
あわやカウントスリー入ったかとヒヤっとする瞬間。永田裕志の心臓も止まったか?
侮れないケンドー・カシン。本腰を入れて倒しに来るカート・アングルは、今度こそアンクルロックを完璧に決め、カシンがたまらずタップアウト。
しかしカシンが魅せた。会場を盛り上げて見事に代役を果たした。
勝っても負けても鮮烈な印象を残すケンドー・カシンは、まさにプロフェッショナル・レスラーだ。

ケンドー・カシンの今
カート・アングルとの試合は評価が高く、ケンドー・カシンはその後もIGFのリングにコンスタントに出場している。
総合格闘技のリングにも上がり、柴田勝頼と対戦したこともあるが、ハイアン・グレイシーに勝利したあとは、残念ながらふるわなかった。
やはりケンドー・カシンが最も光る場所はプロレスのリングなのだ。
2014年には全日本プロレスのチャンピオンカーニバルにも参戦している。出禁になっていたわけではなさそうだ。
しかし、今は地上波でテレビ中継しているのは新日本プロレスだけなので、ケンドー・カシンがIGFや全日本プロレスに出場しても、それが報道されることはない。
そのためネット上では、「今ケンドー・カシンは何をやっているのか?」という問いもある。
そんな時、NHK朝の連続テレビ小説『マッサン』に、「石澤常光」の名前が!

ケンドー・カシンは「別人だ」「関係ない」と全否定しているが、これは紛れもなく石澤常光だ。
いつの間にか結婚して子供も授かり、幸せな家庭を築いていたとは。
確かにらしくないのでヒールとしては認められないか。
2016年にもIGFでボブ・サップに勝利して絶好調のケンドー・カシン。
盟友の永田裕志と中西学がまだまだ現役バリバリなので、ケンドー・カシン47歳も、もうひと華咲かせるか。
稀代の問題児・ケンドー・カシン。
実力光る天才が、日本のプロレス界に残してきた功績は大きい。
