ルーキーイヤーに圧倒的な存在感を示す
新人イヤーに主要タイトルを総ナメ
1990年4月10日の西武ライオンズ戦でプロ初登板。
その後勝利の付かない試合が続くが、4月29日のオリックス戦で日本タイ記録(当時)の1試合17奪三振を記録し、完投でプロ初勝利。
同年は新人ながら最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率と投手四冠を独占したほか、ベストナイン・新人王・沢村栄治賞・MVPにも輝き、パ・リーグの投手が沢村賞の選考対象となったのは1989年からで、野茂はパ・リーグからの受賞第1号となった。
5試合連続2桁奪三振、三振奪取率10.99など従来の記録を次々に更新し、「ドクターK」の異名に違わぬ活躍を見せる。
野茂より前の時代、ルーキーイヤーに大記録を打ち立てた投手「木田勇」
【木田勇】2013年の田中将大投手まで33年間現れなかった1シーズン22勝をルーキーイヤーにやってのけた投手。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
近鉄球団との確執
野茂英雄 - Wikipedia
鈴木啓示監督との確執
投手出身の監督・鈴木啓示との確執
メジャー挑戦
年俸は近鉄時代の1億4000万円からわずか980万円に
6月2日のニューヨーク・メッツ戦でメジャー初勝利を挙げ、14日のピッツバーグ・パイレーツ戦で球団新人最多記録の16奪三振を記録し、24日のジャイアンツ戦では日本人メジャーリーガー史上初の完封勝利を記録。
29日のコロラド・ロッキーズ戦まででサンディ・コーファックスを抜いての球団新記録となる4試合での50奪三振を達成。同月はピッチャー・オブ・ザ・マンスを獲得し、50.1イニングを投げ、2完封を含む6勝0敗・防御率0.89・WHIP0.82の好成績を残す。前半戦を13試合の登板で6勝1敗・防御率1.99・WHIP1.07の好成績で折り返し、オールスターゲームに初選出されて先発投手を務め、2イニングを1安打無失点に抑えた。
後半戦も15試合の登板で7勝5敗・防御率3.03・WHIP1.03の成績を残し、シーズン通算で13勝6敗、グレッグ・マダックスに次ぐリーグ2位の防御率2.54・236奪三振、リーグ最多の3完封を記録して最多奪三振のタイトルを獲得し、チームの7年ぶりの地区優勝に貢献。
日米で『NOMOマニア』という言葉が生まれる程の人気を誇った。シンシナティ・レッズとのディヴィジョンシリーズでは第3戦に先発したが、6回途中5失点で降板して敗戦投手となり、チームも3連敗で敗退した。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票ではチッパー・ジョーンズを抑えて受賞し、サイ・ヤング賞の投票でも4位に入った。
3年430万ドルで契約を延長
1996年のスプリングトレーニング中に3年430万ドルで契約を延長。
4月13日のフロリダ・マーリンズ戦ではコーファックスに次ぐ球団史上2位となる17奪三振を記録し、完投勝利を挙げた。7月5日のロッキーズ戦では8回5安打1失点の投球で日米通算100勝を達成。9月1日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャー史上3人目となる1年目から2年連続200奪三振を達成。
メッツ移籍→タイガース→レッドソックス→ドジャース復帰
メジャーを渡り歩いた「ドクターK」
1999年1月18日に1年292万5000ドルでメッツと再契約
しかし3月24日に40人枠から外れ、30日に解雇。4月1日にカブスとマイナー契約を結ぶが、3登板で解雇され、4月29日にブルワーズと1年25万ドルで契約。5月9日にメジャー復帰。前半戦を13試合の登板で7勝2敗・防御率3.95・WHIP1.37の成績で折り返す。
8月2日のメッツ戦ではドジャースとメッツでバッテリーを組んだマイク・ピアッツァと対戦。9月8日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦ではロジャー・クレメンス、グッデンに次ぎメジャー史上3番目のスピード記録となる147試合目でのメジャー通算1000奪三振を達成。