それは伊藤雄二調教師の直感から始まった
藤原牧場で、産まれてまだ3日しかたってないウイニングチケットを見て
「走る!」と直感した伊藤師。
それまでにマックスビューティー・シャダイカグラ・ダイイチルビーなどの
名馬を手掛けていた名伯楽の第六感が、のちに伝説をつくることとなる。

関西の名伯楽と呼ばれた
伊藤雄二元調教師が有馬記念を斬る - ライブドアニュース
破竹の4連勝!!
デビュー戦では5着に敗れたものの、2戦目の新馬戦から葉牡丹賞→ホープフル
ステークス→弥生賞と4連勝を飾った。
弥生賞では、縦長の展開のなか最後方を追走しファンをハラハラさせたが、最後は
流す余裕をみせて2馬身差の勝利。
皐月賞の有力候補へ名乗りをあげた。
1番人気で皐月賞に挑むも・・・
1番人気で迎えた皐月賞。
4コーナーで先団に取りつき直線を迎えるものの、伸びず5着入線。
他馬の降着により繰り上がり4着となった。
しかし最大目標は日本ダービー。
敗れはしたが、陣営に悲観の色はなかった。
主戦・柴田政人騎手
ウイニングチケットの手綱を任されていたのは、関東のベテラン・柴田政人騎手。
柴田のダービーへの思いは、並々ならぬものがあった。
「ダービーを勝ったら騎手をやめてもいい」という台詞はあまりにも有名。
柴田政人 - Wikipedia
東京競馬場に政人コールが響き渡った日
そして迎えた1993年5月30日、第60回日本ダービー。
ウイニングチケット・ビワハヤヒデ・ナリタタイシンと人気を分け合うが、
最終的に1番人気に押されたのはウイニングチケットだった。
レースでは中団のインを追走するも、直線半ばで先頭を捕まえにかかる。
一度はビワハヤヒデに内から差されかけるも、柴田の渾身のムチに応え
もうひと伸びしたところがゴールだった。

その後のウイニングチケット
秋になりクラシック最後のレース・菊花賞に向け動き出したウイニングチケット。
前哨戦の京都新聞杯を勝つも、本番ではビワハヤヒデの3着に敗れた。
その後も勝ちを重ねることはできず、1994年10月31日屈腱炎により引退することを
発表した。
主な産駒と現在
1999年12月25日。
産駒のベルグチケットがフェアリーステークスを勝利。
母の父としてもオーシャンステークスと中京記念を勝ったスマートオリオンを輩出した。
現在は種牡馬を引退。
うらかわ優駿ビレッジAERUで穏やかに余生を送っている。
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戦友との再会
2010年函館競馬場のイベントの一環として、ビワハヤヒデと共に来場。
危険防止のため距離をとったままのパドック周回となったが、その姿を
ひと目見ようと、たくさんのファンが詰めかけた。
2013年には後輩ダービー馬のアグネスフライトと共に東京競馬場に来場し、
まだまだ若々しい馬体をファンの前で披露した。