1992年に大活躍した名馬、ミホノブルボンが死去
1992年の皐月賞・日本ダービーを制したミホノブルボンが、老衰のため死亡していたことが分かった。
12年の種牡馬引退後は北海道日高町のスマイルファームで余生を送っていた。28歳だった。

”坂路の申し子”と言われたミホノブルボン
同馬は父マグニテュード、母カツミエコーという血統で、91年に栗東の戸山為夫厩舎に入厩。
導入して間もない坂路コースを利用して、“戸山流”といわれるスパルタ調教で鍛えられ、無敗のまま朝日杯3歳S(現朝日杯フューチュリティS)を制覇。皐月賞、ダービーも逃げ切り、2冠を達成した。
秋は初戦の京都新聞杯を制し、距離不安が囁かれつつも菊花賞で無敗の3冠制覇に挑戦。生粋のステイヤー・ライスシャワーの前に敗れ3冠達成はならなかったが、2着は確保して92年の年度代表馬および最優秀4歳牡馬に選出された。
通算成績は8戦7勝。種牡馬としては、産駒に目立った活躍はなかった。
スマイルファーム・中村広樹代表は「ここ数年ひと冬ごとに体が寂しくなっておりました。ファンからもたくさんの贈り物をいただき、本当に愛された馬でした」とコメントしている。
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