「チューリップ」
先ず、「オールウェイズ」を語る前に「チューリップ」について軽く説明しましょう!
昭和世代の人たちは知らない者はいないだろう、ニューミュージック界の旗手として先導した福岡出身の「チューリップ」。
福岡県の博多といえば海援隊、かぐや姫、甲斐バンドなどのビッグなアーティストたちが数多く誕生した地でもあることから、海外紙では『日本のリバプール』などと評価されています。チューリップはそんな彼らと肩を並べて後々まで数多くの名曲を残し、貢献してきたビッグなアーティストといえます。
チューリップ
WELCOME TO THE ECCENTRIC AVENUE “Returns”
チューリップ メンバー編成
当時ビートルズに影響を受けた財津和夫氏がアマチュア時代にビートルズと同じスタイルでバンドを形成。
ほとんどの楽曲を財津が担当していますが、基本メンバー全員が作詞、作曲、ボーカルを手がけている実力派の集まりでもあります!
メンバーチェンジも今日に至るまで何度かされていますが、ウィキペディアによると、メンバーの編成が次のようになっています。
Amazon.co.jp: TULIP: アルバム、ディスコグラフィー、バイオグラフィー、写真
チューリップが分裂して結成された「オールウェイズ」
1986年10月21日、キングレコードよりシングル「好きさ」、アルバム「ALWAYS BE TRUE」でデビュー。
THE ALWAYS
FPようこ ダイアリー (株式会社 生活設計FPワーク)
ウィキペディアには、財津さんのアマチュア時代のエピソードのひとつに、「うまいプレイヤーを自分のバンドへ引き入れるバンドつぶしの財津」と記載されています。いわゆるヘッドハンティングを衝動的にされていたようで、つまりはこと音楽に対する情熱とプロ意識の強さゆえに暴走してしまうところからメンバーとの温度差が生じていたことがうかがえます。
1985年に安部さん、姫野さん、伊藤さんの脱退によりチューリップのオリジナルメンバーが分裂し、財津さんのみとなってしまったのに、さらにその脱退メンバーでの「オールウェイズ結成に及んだ決定的な理由は!?
これがなかなかハッキリとした裏付けになるようなネタが見つからなかったというのが正直なところです。
でも・・・ね、ほら、アレですよ。分裂というくらいだから、あれだけメンバー脱退チェンジを繰り返してきてるのだからメンバーの間で何かがあったくらいは大体察しがつきますよね。
ファンの皆さんもなんとなく暗黙の了解のようです。
追求してみてもそれはやはり当人たちの問題でありまして、それこそ彼らはアマチュアの時から互いの家に寝泊まりしていた仲良しなのだから、長年音楽を一緒にやって行くうちに音楽性のズレなど生じてもそれはやはりお互いにミュージシャンとして認めざるを得ない・・・オールウェイズのメンバー編成はちょうどその時の音楽の方向性がシンクロした者同士の仲間だと筆者は解釈します。
財津和夫
財津 和夫(ざいつ かずお、1948年2月19日 ~ ) ボーカル・ギター・キーボード
ガールズちゃんねる - Girls Channel -
福岡県福岡市出身。
5人兄弟の末っ子として生まれる。
高校時代にビートルズに憧れ、ギターを独学で学び、大学時代に同級生の吉田彰とともに1969年、「フォーシンガーズ」を結成。
1971年バンド名を「チューリップ」と改名。
名だたるミュージシャンを世に出したあの伝説の音楽喫茶「照和」を拠点に活動、徐々にその才能を展開していった。
メジャーデビューを目指す彼は、当時ビートルズのレコードを手がけた東芝音楽工業(現EMIミュージック・ジャパン)ディレクターの新田和長を頼ってに自らデモテープを持ち込んで売り込み、1972年、東芝音工よりシングル『魔法の黄色い靴』でレコードデビューを果たす。
チューリップの活動と並行し、1978年にソロデビューを果たしている。
ソロ音楽活動と同時に、作曲家として木之内みどり、同郷である松田聖子と藤井フミヤ、沢田知可子など多くのアーティストに楽曲を提供し、多技にわたって活躍している。
zaitsukazuo.com:財津和夫オフィシャルサイト
「オールウェイズ」 メンバー紹介
彼らのプロフィールと現在を略歴でご紹介します。
1989年、伊藤薫氏の脱退後、チューリップ初代ドラマーである上田雅利氏の加入を機に、バンド名を「THE ALWAYS」に変更しています。