このプロ根性!昭和ならではの、もの作りの気持ちの熱さが伝わってきます!
だから私たちの心をぐっとつかんだのだと、今さらながらに理解しました。
慟哭する孔明、悲しみの雨。人形にはありえない、ずぶ濡れの演出。
画面構成のダイナミックさとともに、忘れてならないのは、人の内面・心の機微の表現。
特に物語の終盤になると、あれだけ華々しく戦い、野心と生命力に満ちていた英雄たちが、ひとり、またひとりと死を迎えていきます。
雨の中、慟哭する孔明。
後世、「水魚の交わり」という言葉が残っていますが、これは玄徳の「自分は魚、孔明は水。水なしに魚は生きられない。」という言葉から生まれたものです。
そこまで玄徳に言わしめたほどの信頼関係で結ばれた主従。
その主君を亡くす悲しみ、後を託される重責はいかばかりだったでしょう。
それを表現するために、慟哭の声をあてる役者、人形の肩を震わす操演者、双方が自分にできうる最高の演技をされていたと思います。
さらにそれらの演技を最大に生かすために、採用されたどしゃぶりの雨。
この場面に雨がどうしても欲しかった気持ちはわかりますが、水に弱い「人形」にとってこんな無謀な演出はありません。
実際、この撮影が終了する頃には、川本さん渾身の孔明人形のカシラが溶ける寸前!
スタッフが大慌てて乾かし、寸でのところで事なきを得たそうです。
人形操演者の気迫!『死せる孔明生ける仲達を走らす』
孔明と司馬仲達
亡き劉備のために、蜀を守り抜きたいと願う孔明。
自分の死後、どうやって好敵手・司馬仲達の目を欺くか、孔明は病床にあって考え抜きます。
『死せる孔明生ける仲達を走らす』のところで、ディレクターが息を引き取った孔明の目をつむるように言ったそうです。
ところが、孔明をつかっている人形操演者の南波さんは、「孔明は目をつむったりしないわ!」と頑強につむることを拒み、仲達がひいてからやっと目をつむる、という演技をしました。
操演者も人形と一体化し、渾身の演技。見ていて引き込まれるわけです。
観ていて鳥肌が立つようでした。
「三国志」から生まれた格言
「三国志」から生まれ、今でも残って使われている格言がたくさんあります。
例えば
三顧の礼 何度も足を運んで礼を尽くして迎え入れること
千載一遇 千年に一度の出会い
泣いて馬謖を切る 信頼していた部下が背いて失敗を犯した時に、泣く泣く処分をすること
水魚の交わり 孔明を軍師として迎え入れたのは魚が水を得るように切っても切れない仲
など、いろいろあります。
本編のお話とは別に、この格言・ことわざだけをクローズアップして、「ことわざ三国志」という番組も3回に分けて放送されました。
「ことわざ三国志 第三回 千載一遇」
では、最後の方で小池玉緒さん本人が登場して歌っています。
今でも人形たちに会える 飯田市川本喜八郎人形美術館
『三国志』の人形たちは、川本さんのご厚意で飯田市に寄贈され、飯田市川本喜八郎美術館ができました。
今でも展示されています。
飯田市川本喜八郎人形美術館
飯田市川本喜八郎美術館の方のツイッターの中で、こんな一文がありました。
『先ほど大河ドラマ「真田丸」のポスターが届きました。長野県の施設という事でこちらにも届いたのですが、実は脚本を担当された三谷幸喜さんは人形劇三国志の大ファンでもあるので、ここに真田丸のポスターが届くというのはとても嬉しい事です(^^)』
ここにも人形劇三国志のファンの方がいたんだと思うと嬉しくなりました。
ひとつの作品が誰かに感動と影響を与え、またその人が、新たな作品を作ったり、何かを成し遂げたりする。
素晴らしい連鎖を生み出していく、昭和の職人魂に敬意を表したいと思います。