「人形劇 三国志」を知っていますか?
もともと「三国志」とは、古代中国(3世紀頃)で繰り広げられた三国(魏・呉・蜀)の興亡を、陳寿が書き記した記録です。
それを1300年ごろに羅貫中が「三国志演義」という歴史物語として書き表しました。
漢王朝の血を引く青年劉備(りゅうび)が、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)とともに、曹操(そうそう)、孫権(そんけん)といった英雄・豪傑を相手に戦い、天下統一と漢王朝の再興を目指すという内容です。
小説・マンガ・アニメ・映画・ゲームなど、今までにも様々な形で題材として扱われてきたので、「三国志」をご存知の方は多いと思います。
1980年代、NHKでは「三国志演義」をもとに、人形劇『三国志』を制作しました。
放送期間は1982年(昭和57年)10月2日から1984年(昭和59年)3月24日まで。
毎週土曜日、夕方6時からNHK総合テレビで、1話45分、全部で68話放映されました。
「人形劇の大河ドラマ」を作る!
『ひょっこりひょうたん島』や『プリンプリン物語』、『新八犬伝』など、数々の名作を送り出したNHK人形劇。
しかし「人形劇は子ども向け」という世間一般の認識を打ち破るために、『人形劇の大河ドラマ』を目指すという理念を打ち出します。
題材は『三国志』。
人形・衣装・舞台セット・音楽・脚本そして演出など、大人も楽しめる、より質の高いものを追求しようと、1980年代当時の、時代の先端をゆくクリエーターたちが集められました。
脚本は『太陽にほえろ!』などのシナリオを手がけた小川英さんと田波靖男さんが担当。
オープニングとエンディングのテーマ曲は細野晴臣さんが作曲。
そして一番肝心な人形の製作は、人形美術家 川本喜八郎さんに白羽の矢が立ちました。
時はきた。人形美術家 川本喜八郎
この時すでに57歳だった川本さん。
映像化の話もないのに、自ら人形の「首(かしら)」を作り続けていた、三国志への秘めたる情熱は、「臥龍」と呼ばれた諸葛亮孔明に通じるものを感じます。
天に昇る時を待ち、伏している人材「臥龍」。
最高の題材に出合い、今まで培ってきた円熟した技術と力が遺憾なく発揮される機会に恵まれ、川本さん自身「至福の時間」と表現されたように、この時期、まさに天に昇る龍のような気を発しながら仕事をされていたのだろうと推察します。
登場人物(人形)と作り手のこだわり、命を吹き込む声優陣
人形の声は専門の声優ではなく、すべて俳優が担当し、声だけを先に収録。
人形はその声に合わせて動かすというやり方を取っていたそうです。
劉備玄徳(りゅうび げんとく)
赤兎馬に乗った関羽雲長(かんう うんちょう)
怪力無双 張飛翼徳(ちょうひ よくとく)
下がり眉の張飛
不世出の軍師 諸葛亮孔明(しょかつりょう こうめい)
限界ギリギリの果てに生まれてくる、芸術品の底知れぬ素晴らしさ。
「私が孔明だ」という言葉に、これ以上なく納得できる人形ではないでしょうか。
曹操孟徳(そうそう もうとく)
何かをたくらむ時の三白眼曹操
孫権仲謀(そんけん ちゅうぼう)
川本喜八郎 Official WEB SITE
タイトル音楽と映像の魅力
三国志のテーマ
細野晴臣 詞・曲
小池玉緒 唄
オープニングは、砂漠を思わせる波打つ紋様の黄砂から始まります。
それらが強い風に煽られ、やがてタイトルの「三国志」の文字が、砂の中からゆっくり浮かび上がる仕掛け。
古いところでは「ウルトラQ」、新しいところでは「真田丸」のように、オープニングにこだわる作品は、名作が多いように思います。
番組の進行役は、異色の「紳助・竜介」
ダイナミックな画面を作るための裏側の努力
人形劇には、「蹴込み」という人形操演者を隠すための黒い衝立があります。
それまで人形劇というのは、「蹴込み」を境にして、人形もセットも「向こう側にあるもの」でした。
ところがこの「三国志」では、「蹴込み」を取り払い、360度あらゆる方向から撮影できるようにする、という手法がとられたそうです。
ディレクター佐藤和哉さんのアイデアだそうですが、「操演者が隠れる衝立はあってあたりまえ」という思い込みを一蹴した、素晴らしい考えだと思いました。
さらにこの時代、カメラの小型化・リモ―トコントロール化の技術が進んでいきます。
今まで以上に、細かいところや、今まで見られなかった角度から撮影されるようになるため、人形たちは、よりリアルな演技を求められるようになりました。
特に、「三国志」は人と人との駆け引きが多い乱世のお話のこと。
人間の役者と同じように、眉をひそめる、肩を落とす、策略をめぐらせる、目が泳ぐ・・・などの表現が重要になってきます。
人形の動きにこだわり、照明の当て具合や顔の向き、肩や腕の動き、仕草まで計算していたそうです。
悲しいときは肩をがっくりと落とし、首をうなだれ、怒ったときは肩をいからせる・・・。
複雑な動きができる人形と、それを操る人形操演者が一体になって、この難題をクリアしていったのだと思います。
掟破り!本物の火と水を使った演出『赤壁の戦い』
映画「レッドクリフ」にもなった「赤壁の戦い」。
魏の曹操が大敗を喫する、三国志の中でも非常に大きな戦いです。
大量の船で圧倒的な力を見せつける曹操の水軍。
しかしにわか船乗りの兵士たちは、船酔いする者が続出。軍師の「連環の計」の進言を受け、すべての船と船を鎖でつなぎ、船の揺れを抑えようとします。
船は揺れなくなりましたが、同時に動くこともできなくなり、敵に火を射かけられて大火事に。
曹操は多くの犠牲を払って退却を余儀なくされるというものです。
実写版映画での「赤壁の戦い」のワンシーン
さて、この場面を人形劇で再現するとなったらどうでしょう。
ちょっと考えただけでも身震いしてきます。
人形劇での「赤壁の戦い」のワンシーン
その船の帆柱は炎をあげて燃え落ちるのである。操演者は、黒子に水をかぶって人形を操演していた。今のようにCGを使わなかったために、全てが緊張の連続で、終わった時には一同拍手で祝ったものである。
川本喜八郎OFFICIAL WEB SITE(モバイル版)~回想「三国志」~
このプロ根性!昭和ならではの、もの作りの気持ちの熱さが伝わってきます!
だから私たちの心をぐっとつかんだのだと、今さらながらに理解しました。
慟哭する孔明、悲しみの雨。人形にはありえない、ずぶ濡れの演出。
画面構成のダイナミックさとともに、忘れてならないのは、人の内面・心の機微の表現。
特に物語の終盤になると、あれだけ華々しく戦い、野心と生命力に満ちていた英雄たちが、ひとり、またひとりと死を迎えていきます。
雨の中、慟哭する孔明。
後世、「水魚の交わり」という言葉が残っていますが、これは玄徳の「自分は魚、孔明は水。水なしに魚は生きられない。」という言葉から生まれたものです。
そこまで玄徳に言わしめたほどの信頼関係で結ばれた主従。
その主君を亡くす悲しみ、後を託される重責はいかばかりだったでしょう。
それを表現するために、慟哭の声をあてる役者、人形の肩を震わす操演者、双方が自分にできうる最高の演技をされていたと思います。
さらにそれらの演技を最大に生かすために、採用されたどしゃぶりの雨。
この場面に雨がどうしても欲しかった気持ちはわかりますが、水に弱い「人形」にとってこんな無謀な演出はありません。
実際、この撮影が終了する頃には、川本さん渾身の孔明人形のカシラが溶ける寸前!
スタッフが大慌てて乾かし、寸でのところで事なきを得たそうです。
人形操演者の気迫!『死せる孔明生ける仲達を走らす』
孔明と司馬仲達
亡き劉備のために、蜀を守り抜きたいと願う孔明。
自分の死後、どうやって好敵手・司馬仲達の目を欺くか、孔明は病床にあって考え抜きます。
『死せる孔明生ける仲達を走らす』のところで、ディレクターが息を引き取った孔明の目をつむるように言ったそうです。
ところが、孔明をつかっている人形操演者の南波さんは、「孔明は目をつむったりしないわ!」と頑強につむることを拒み、仲達がひいてからやっと目をつむる、という演技をしました。
操演者も人形と一体化し、渾身の演技。見ていて引き込まれるわけです。
観ていて鳥肌が立つようでした。
「三国志」から生まれた格言
「三国志」から生まれ、今でも残って使われている格言がたくさんあります。
例えば
三顧の礼 何度も足を運んで礼を尽くして迎え入れること
千載一遇 千年に一度の出会い
泣いて馬謖を切る 信頼していた部下が背いて失敗を犯した時に、泣く泣く処分をすること
水魚の交わり 孔明を軍師として迎え入れたのは魚が水を得るように切っても切れない仲
など、いろいろあります。
本編のお話とは別に、この格言・ことわざだけをクローズアップして、「ことわざ三国志」という番組も3回に分けて放送されました。
「ことわざ三国志 第三回 千載一遇」
では、最後の方で小池玉緒さん本人が登場して歌っています。
今でも人形たちに会える 飯田市川本喜八郎人形美術館
『三国志』の人形たちは、川本さんのご厚意で飯田市に寄贈され、飯田市川本喜八郎美術館ができました。
今でも展示されています。
飯田市川本喜八郎人形美術館
飯田市川本喜八郎美術館の方のツイッターの中で、こんな一文がありました。
『先ほど大河ドラマ「真田丸」のポスターが届きました。長野県の施設という事でこちらにも届いたのですが、実は脚本を担当された三谷幸喜さんは人形劇三国志の大ファンでもあるので、ここに真田丸のポスターが届くというのはとても嬉しい事です(^^)』
ここにも人形劇三国志のファンの方がいたんだと思うと嬉しくなりました。
ひとつの作品が誰かに感動と影響を与え、またその人が、新たな作品を作ったり、何かを成し遂げたりする。
素晴らしい連鎖を生み出していく、昭和の職人魂に敬意を表したいと思います。