岡山から新大阪まで5500円
一気に500円になった
依田先生が探してくれた仕事先は「京橋かまぼこ」
わかるのはそれだけで
電話番号も住所も持たず出てきていた
「おっさん
京橋かまぼこって知ってるか?」
辰吉は新大阪駅で周囲の人に誰彼かまわず聞いた
聞かれた人はみんな
剃り込みの入った丸刈りでヤクザ風の服を着た男を無視した
しかし親切な人もいた
「なんだそりゃ?」
「店の名前や」
「京橋かまぼこっていうくらいやから京橋にあるんとちゃうか
ここの電車に乗って
その次で環状線に乗り換えて
そうすれば京橋に出るはずや」
「そうか
ほんなら行ってくるわ」
大阪駅のおっさん
おっさんのいうとおり電車に乗ると大阪駅に着いた
そして環状線のホームまではすんなりいった
後は京橋がどっちにあるのか
また通りがかりのスーツを着た人に聞いた
「おっさん
なあ、おっさん、京橋って知らん?」
「誰にもの言うてんや、お前」
「誰にってお前しかおらんからお前に言うてんねん」
「お前、人にものを尋ねるのにそんな言い方あるか」
「何やとー
人が親切に聞いてんのに
お前答えんか!
もうええわ
お前には頼まんへんわ」
そしておっさんを殴った
その後
別の人に行き方を尋ね
なんとか京橋の駅に着いた
ポケットの残金は50円になった
駅を出て人の多さに驚いた
「何や、祭りか
えらいときに来てしまった・・・」
しかしお祭りにしてはおかしい
みんなスーツを着ていた
また道を行く人に尋ねた
「京橋かまぼこってどこ?」
「店の名前はわからんけどかまぼこ屋なら商店街にあったで」
歩いていくと京橋かまぼこがあった
「岡山から来たもんです
辰吉いいます」
大阪駅のおっさんとはエラい違いだった
次の日、初出勤した
「辰吉
お前、これ持って行け」
「持って行けってそれ何や
偉そうな口きいて
人にもの頼むのに持って行けはないやろ」
「バイトの人間がなにぬかしとんねん
はよう持って行かんかい」
「バイトもクソもあるか
人にもの頼むときはお願いしますっていうもんやろが」
大阪駅のおっさんとはエラい違いだった
強烈なアルバイト店員
少し仕事に慣れてくると
どうやってサボるか
どうやって手を抜くか
そればかり考えた
配達の通り道にパチンコ屋があった
やりすぎると帰りが遅くなりバレてしまうかもしれないので
ほどほどに打っていた
しかしあるときバレた
「お前なにしとってん
急ぎの荷物持って行ってもらおうと思って待っていても帰って来んし
配達先に連絡してももう20分前に帰ったっていうし」
「パチンコやってただけや」
「仕事中にそんなのするな
ええかパチンコしちゃアカンで」
その後もパチンコ屋に通った
そしてまたバレた
「お前
またパチンコやってたやろ」
「やってへん、パチンコやってへん」
「じゃあ20分もどこで何しとった」
「スロットやってた」
「・・・・」
京橋かまぼこは半年でクビになった
かつて辰吉が働いていた京阪電車の京橋駅構内にある「うどん・そば秀吉」
その後
立ち食いそば屋、トラック助手、パチプロ、サウナ
なんでもやった
大阪帝拳ジム
大阪についた翌日
京橋かまぼこで初仕事したあと
大阪帝拳ジムにいった
「まあ見学しとれ」
そうトレーナーにといわれ
ジムに上がろうとしたところ
「お前生意気や
態度がデカい
(バシッバシッ)」
と竹刀で叩かれた
クツのまま上がろうとしたためだった
「合計25回
今でもハッキリ覚えている」
(辰吉)
それが西原健司トレーナーだった
西原健司トレーナー
翌日も
正座させられた上、説教を聞かされた
その次の日は
「掃除に手抜きしおって
お前ら正座して反省せんか!」
「オレ今来たばかりや」
「アホ
口答えするな
お前は追加じゃ」
次の日は
誰かがトレーニングをサボったということで
「腹筋1000回!」
を言い渡された
「それはないやろ
1000回なんてむちゃくちゃや
オレ仕事やってここ来てるんや
ただでさえシンドイのに腹筋1000回なんてむちゃや
だいたいオレ、ジムに来てまだ3日目やん
そもそも1000回なんてあんたもできひんやろ
自分でできんこと他人にいうたらアカンやろ」
「アホンダラ!(バチーン)」
平手が飛んだ
「お前は口答えしたから1000回を1週間や」
最初に日は何とかクリアしたが
2日目以降なおさらハードになってきた
尻の皮がむけ
腹筋痛でセキもクシャミもできない
なんとかやり抜いたあと
西原トレーナーはボクシングを教えてくれるようになった
「左は世界を制すいうくらいや
左ジャブの満足に打てんやつになにができる」
4ヶ月
西原トレーナは
毎日毎日とにかく左ジャブの練習ばかり繰り返した
ある日、
初めてスパーリングをした
辰吉は1分ほどで相手をKOした
倒したパンチは右ストレートだった
「お前
そんなパンチ教えてへんがな
(パシーン)」
「でもやれいうから
左ジャブだけで勝てるわけないやん」
「言われたとおりやっといたらエエんじゃ
このバカタレが
(バシッ、バシッ)」
数日後
またスパーリング
そしてまた1ランドで相手を倒した
今度は左だった
ただし左フックだった
「アホ、
誰が左フック教えた!
(バシン、バシン、バシン)」
西原トレーナーは元プロ選手だった
とにかくボクシングに対しては尋常ではない情熱を持っていた
ジムでは厳しかったが
外に出るとほんとうに優しい人だった
辰吉が食べるものに困っていた頃
よく弁当をつくって持ってきてくれた
大久保淳一トレーナー
3度目のスパーリングの相手は
アマチュアの全日本1位で
しかも体重も2階級重たい選手だった
「でもオレ、倒したら
西原先生に「そんな打ち方教えてない」ってまた怒られるんやからやめときますわ」
「そんならオレがこの打ち方教えるわ」
そういって大久保淳一トレーナは左ボディを教えた
「左ボディ打ちはな
相手がこうきたら左にシフトして
こっちをそのまま突き出すようにして打てばいい」
スパーリングが始まって1分もたたない頃
相手は右わき腹を押さえて倒れた
アマチュアデビュー
六車卓也の世界タイトルへの挑戦が決まり
和歌山県の白浜でトレーニングキャンプが行われることになり
辰吉も同行した
キャンプの目的は体力の底上げ
選手は
体力をつけるため
よくトレーニングしてよく食べて
体力と体重を増やし
キャンプ後、試合までキツい練習をしながら体重を落としていく
だからキャンプ中だけは
普段はウエイト管理にうるさい西原トレーナーも
よく食べることが推奨した
辰吉は1回にドンブリ9杯食べた
キャンプが終わったころには体重は60kgになっていた
直後
西原トレーナーが試合が決まったことを辰吉に告げた
「辰吉、試合決まったで」
「いつですか」
「3日後や」
「・・・」
「バンタム(52.163-53.524kg)で決めたで」
「西原先生
それやったらボク5kgオーバーですわ」
「どアホ!ボクサー失格や」
「メシ食えいうたんは・・・・」
「口答えすんなボケ!(バシン、バシン)」
この日から絶食し挑んだアマチュアデビュー戦は
1RKO勝ち
大久保トレーナーに教わっていた顔面への左フックで決めた
世界ランカーを圧倒
六車卓也の対戦相手、
世界ランキング2位のアサエル・モランが来日し
大阪帝拳ジムで公開スパーリングが行われることになった
そしてモランのマネージャーが
アマチュアのグリーンボーイ(キャリアの少ない選手)を要求したので
辰吉がその相手としてリングに上がった
スパーリングは3Rの予定だったが
辰吉がモランが鼻血を出させたため2Rで中止された
その後の試合でも
モランは六車に5RでKO負けした
16歳の辰吉は思った
「六車さんが5Rならオレは3Rで倒せる」
アマチュア日本チャンピオン
17歳で全日本社会人選手権大会で優勝し
ここまで11勝(11KO、RSC(レフリーストップ))
国体にも
大阪代表として出場した
そのとき廊下で
こちらを睨んで凄んでいる沖縄代表だった渡久地降人(後のピューマ渡久地)に
「もうかってまっか」
といわれたので
「オレらアマチュアやから儲かへん」
と答えた
するとなぜか渡久地がさらに怒りはじめ
わけはわからないが辰吉もムカつき
一触即発となった
渡久地は
「文句あっか」
といったのだった
初めて負ける
国体後
翌年のソウルオリンピックの代表選考会も兼ねた全日本アマチュア選手権が行われ
辰吉は1回戦で負けた
保育園以来、11年ぶりの敗北だった
ショックは大きく
誰にも何もいわず
岡山に逃げ帰り
誰にも会わず1ヶ月過ごした後
大阪に戻った
しかしジムには行けず
することもなく公園に住んだ
ダンボールで小屋をつくり
自動販売機の
つり銭口の忘れものと
機械の下の落しものを探したりした
徳丸るみ
白千館
ある日
ふと入った喫茶店に
後に夫人となる徳丸るみがウエイトレスをしていた
その後何度も通い
デートに誘った
「アンタ、仕事は?」
「プータローや」
「なりたいもんなんかあるんやろ?
夢が」
「できたらボクサーや
世界チャンピオンになりたい」
「あるんならエエがな
そういうのプータローとは言えへん
ただアンタの言うてることをするか、せえへんか、それだけの問題や
やったらエエやん」
「もう1度ボクシングに賭けてみよう
這い上がってみせる」
辰吉はジムに戻った
1年のブランクだった
復帰戦は大阪府民祭という大会
3戦3KO、RSC
この後プロに転向するので
アマチュアでの成績は
19戦18勝(18KO、RSC)1敗となった
やがて2人は同棲をはじめた
辰吉丈一郎18歳
るみ21歳だった
渡辺二郎とスパーリング
プロデビューを控え
大阪帝拳ジムの先輩
渡辺二郎とスパーリングをした
3R
辰吉は渡辺をロープに押し込むシーンもあった