ハイライト動画
岡山のジョー
岡山県倉敷市児島と瀬戸内海
辰吉丈一郎は
岡山県倉敷市児島阿津に生まれた
父、粂二は
ボクシング好きで
漫画「あしたのジョー」から「丈一郎」と名づけた
母は
丈一郎が1歳になるかならないかくらいの頃に家を出ていった
父は
赤ん坊を丈一郎を背負って働き
体調が悪く自分は食べられないのに
血を吐きながら丈一郎の食事だけは用意した
病院を行くよういわれても
丈一郎が1人になるのを恐れて行かなかった
あるとき父は5、6人のヤクザからケンカを売られ
「お前は危ないからちょっとここにおれ」
そういって丈一郎を自動販売機の上に置き
アッという間に全員を殴り倒し
「さあ帰ろうか」
といったという
そして10日間、留置場に入れられた
その間、家を出ていた母親が帰ってきて丈一郎の面倒をみた
粂二、丈一郎親子は
夜9時から
家にあったサンドバッグやボクシンググローブ、バット、木刀、バーベル
学校の校庭にある樹木や遊具でトレーニングをした
雨どいを伝って学校の3階までいったこともあった
イジメられっ子
丈一郎は
いじめられっ子だった
保育園の送迎バスに乗ると丈一郎だけ席がなかったり
砂場や池に突き落とされたり
飲めなかった牛乳を
他にも飲めない子供はいたのに
丈一郎だけ無理やり飲まされたり
耳そうじを丈一郎だけやってもらえなかったり
他の子供よりよくお尻を叩かれ
いじめられて泣いていていても怒られた
芋掘りのときも
「向うに行け」
といわれ
芋がないドブの近くで掘っていた
こんなことがずっと続き丈一郎は屈折してしまった
例えば
運動会のパン食い競走で
走るのが速いから
パンまではトップで走っていきながら
1番になるといじめられそうなので
そこでわざわざみんながパンをくわえるのを待って
自分が1番でないことを確認してからゴールに向かって走り
わざと負けたことを悟られないように
「くそっ」
とくやしがってみせた
イジメを克服
5歳の息子に父、粂二はいった
「ジョー
泣いても何でもいいから負けは認めるな
勝つとか勝たんとかの問題やない
とにかく負けを認めるな
とりあえずやってみい
そんなら自然と強くなるから」
この一言が
丈一郎の眠っていたなにかに火をつけた
あるとき
丈一郎は殴られた
でも泣きながらずっと気をつけをしていた
そしてずっと殴られていた
気味が悪くなったのか
嫌がらないから面白くなくなったのか
相手は殴るのをやめた
すると丈一郎はその相手を殴って泣かしてしまった
「・・君
今日泣いてん
ボク勝ったんやで」
「当たり前や
それが普通や
そんなことはこれからもあるやろ
自分を信じなアカンで」
これ以後
形勢は一気に逆転した
丈一郎は
運動会とケンカでは1番となり
ガキ大将となった
しかし自分より弱い者をイジメることはしなかった
すべてが楽しくなって
小学中学9年間は皆勤(遅刻、早退は多数)だった
丈一郎は
すべてのきっかけは
父、粂二の言葉だったという
「泣いてもいいから負けは認めるな」
それ以来、
そしていまでも
辰吉丈一郎は
自分のことを信用しているし
自分のことが好きだし
自分のことを尊敬している
11歳で3冠
倉敷市立赤崎小学校
小学校3年生で
はじめてアルコールを飲んだ
次の日起きたら頭が痛かった
マラソンの授業でゲエゲエ吐き
やたらペラペラ陽気にしゃべりまくった
4年生で
バイクをマスターした
父親が乗っていたカブで家の周りを乗り回した
5年生で
タバコを覚えた
父親のハイライトを吸い
クラクラするのが病みつきになった
番長
倉敷市味野中学
中学1年のとき
授業中に
1年A組~H組の廊下でロケット花火を打ったり
爆竹を鳴らして騒いだ
「ボンビー(貧乏)」
といってきた同級生を殴り
その家までついていき
爆竹を家の中に投げ入れたりした
2年になると
丈一郎は他校の番長とケンカをするようになった
修学旅行では
バスの中から挑発してきた広島県の中学生に対し
そのバスの中に乗り込んでいって
その前歯を追った
そして自身も
バスの窓から顔を出して
暴走族風のバイクや車を挑発し
食べかけの弁当を投げつけていた
中1ではじめて400ccのバイクに乗って以来
その虜になっていた
ある夏の夜
仲間たちと
工事現場にあったツルハシ、ハンマー
家にあった作業用のクワ
などを持ち
突然、暴走族の前に飛び出して
急停車する彼らに奇襲攻撃をかけた
暴走族は
車のボンネットに刺さったツルハシをみて
バラバラになって逃げていった
丈一郎たちは戦利品を分け合った
1番へのこだわり
「世間にはお前みたいなクズは山ほどおるが
お前という人間は1人しかおらん
1番になれ
自分の値打ちを上げろ
何のために生まれてきたんじゃ
ジョー
なんでもいいから1番になってみろ」
父にそういわれ丈一郎は1番を狙った
ケンカでは1番だったが
勉強でも1番を狙った
答案用紙は
名前も書かずに出した
後ろから1番を狙ったのだ
しかし暇だったので
先生の似顔絵を描いたところ
40点の特別ボーナスを与えられてしまったことがあった
以来、絵も描けなくなった
逆にカンニングをしたこともあった
いつもは名前も書かないのに
そのときは前の席の生徒の答案用紙を丸写しした
数日後
先生が名前と点数が読み上げられながらテストを返していった
「・・さん、40点」
・・くん、80点
和田晴男、65点
和田晴男、65点・・・
辰吉、お前やろ!」
音楽はヘビメタが好きだった
ラウドネスを音楽室でボリュームいっぱいにして聴き
気分を高めた
体育の授業は
酒やタバコで体がシンドイので
1人だけ黒い学生服で参加した
からだ動かすの嫌い
頭使うの嫌い
遊ぶの大好き
飯食うの大好き
そんな中学生だった
依田進悟先生
辰吉丈一郎の本を読む恩師・依田先生と父・粂二さん
中学1~3年
辰吉の担任はずっと依田進悟だった
丈一郎がなにかやらかすと
ほとんどの先生は問答無用で辰吉を100%悪者扱いしたが
依田先生だけは
辰吉の言い分も聞き
その上で諭すところは諭した
「ひたすら怖がられ嫌われる番長ではなく、
周囲の仲間やクラスメートに好かれる番長だった
ハシにも棒にもかからない本物のワルじゃなく
不良仲間たちも含めてみんな陰湿なところが皆無で明るかった」
(依田)
味野中学校同窓会
中3になり
多くの者が自分の進路について考えはじめたが
辰吉丈一郎にはヴィジョンがなかった
とにかく楽をしたかった
ある日依田先生はいった
「辰吉
お前ボクシングやってみたらどうや?」
家庭訪問のとき
父、粂二とスパーリングする丈一郎の姿をみたのが
この進言の動機だった
「普通に大人が想像する子供のボクシング遊びとはレベルが違っていた
テレビで見たモハメッド・アリにそっくりで
間違いなくボクシングの才能がある
この子にはこれしかないと直感した」
(依田)
依田先生は
大阪帝拳ジムに連絡をとり
仕事まで探した
少しの間、悩んだが
16歳になった辰吉は大阪行きを覚悟を決めた
「親父、出世するけん」
「行って来いや
旅費は出したるわ」
父は6000円を渡した
上阪