ダービー後は、2冠目を狙い菊花賞を目標とする。しかし、虚弱体質は相変わらずで、ステップレースとしていた京都新聞杯を予定していたが、調整が間に合わず翌週のカシオペアSへ出走。ここで2着と初黒星となる。続く菊花賞では直線抜け出すもダンスインザダーク、ロイヤルタッチに交わされ3着となった。その後は脚部不安を発症しわずか5戦での引退となった。
種牡馬時代
おわりに
わずかキャリア3戦でのダービー制覇この衝撃は今でも忘れられない。また、対照的だったのが2着ダンスインザダーク騎乗の武豊騎手だ。この当時数々のG1を勝っていたトップジョッキーだったがダービーは勝てずにいた。そんな中最大のチャンスが訪れていたはずである、しかし音速の末脚に屈する事となった。この辺が競馬の面白さであり難しさなのかと痛感させられたそんなレースだった。そして、虚弱体質に悩まされながらも競走馬の頂点に立ったフサイチコンコルド凄さは私の記憶から消えることはないだろう。