「光村図書出版」と聞くと思わず懐かしい気持ちになりませんか?
「どこかできいた…」?そうです、教科書の出版社、特に国語は光村図書の教科書を使っている学校が多いです。三輪民子さんの「平成 23 年度版小学校国語教科書検討」によると、光村のシェアは60%だそうです。「教科書の思い出」を共有しやすいのもうなずけます。
さて、その光村の小学校の国語の教科書、習っている当時はなんの気なしに読んでいたと思いますが、改めて振り返ってみるとすごい執筆陣なのです。
この記事では「文芸編」「挿絵編」と分けて光村の国語の教科書って意外とすごいことをご紹介したいと思います
光村図書の国語の教科書は凄かったんだ!【挿絵編】
■日本の歌謡曲の大御所が書いた「ガラスの小びん」
6年生の教科書に掲載された「ガラスの小びん」の作者は阿久悠さんです。
そう、日本を代表する作詞家、レコード大賞受賞曲を何度も受賞され、日本の歌謡曲の隆盛期を支えたお一人です。
「ガラスの小びん」

阿久悠
「ガラスの小びん」は教科書のための書き下ろしです。
一時期、歌謡曲は子供には聞かせてはいけないもの、と言われていました。その歌謡曲の作詞家が、日本の小学生の教科書用に書き下ろすなんて…まさに歌謡曲の底上げを図ってくれた方なのですね。
■「キャンディ・キャンディ」の原作者!「赤い実はじけた」
新学期が始まると、教科書に名前を書きますよね。保護者の方もお手伝いしたことはあると思うのですが、この「名木田恵子」の名前をみて驚かれた方もいらっしゃるのでは…

名木田恵子
別名に「水木杏子」とありますが、これは名作少女漫画・アニメの「キャンディ・キャンディ」の原作者の方。つまり、「名木田恵子=水木杏子」、つまり、この「赤い実はじけた」を書いた方は「キャンディ・キャンディ」の原作者なのです!
「赤い実はじけた」が掲載されていたころ、そのお子さんのお母さんは「キャンディ」の直撃世代だったはず。
当時「なかよし」にも「水木杏子(本名・名木田恵子)と書かれてたのでわかる人はわかると思うのですが…気づいた方、いらっしゃいましたか?

■テレビドラマ脚本家の第一人者が書いた!「映像を見る目」
ミドルエッジ読者の皆様なら「岸辺のアルバム」「思い出づくり」「ふぞろいの林檎たち」は忘れらない作品として挙げられると思いますが、それらを書いた脚本家・山田太一さんも教科書に書き下ろしています。

「映像を見る目」

山田太一
「映像を見る目」は5年生の教科書に昭和61年から掲載されていますから、当時の5年生は昭和50年生まれ。
山田太一さんはがっつりその頃から大活躍されていましたよね。
歌謡曲同様、昭和50年代前後はドラマもあまり教育上よろしくないと思われていましたから山田さんのご寄稿は画期的です。「映像を見る目」、保護者の方はごらんになったのかなあ…
■阿川弘之唯一の児童文学「きかんしゃやえもん」
資料がないため正確な掲載年度はわかりませんが、筆者が一年生のころ教科書に載っていたのが「きかんしゃやえもん」です。昭和45年ごろまでは掲載されていたようです。

きかんしゃやえもん
作者は阿川弘之さんです。硬派な作品で知られている阿川さんが児童文学を書かれるのはとても珍しいことですよね。実際、阿川さんは児童文学はこれ一作だけなのだそうです。
![阿川 弘之(あがわ ひろゆき、1920年(大正9年)12月24日 - 2015年(平成27年)8月3日)は、日本の小説家、評論家。
広島県名誉県民。日本芸術院会員。日本李登輝友の会名誉会長。文化勲章受章。代表作に、『春の城』『雲の墓標』のほか、大日本帝国海軍提督を描いた3部作(海軍提督三部作)『山本五十六』『米内光政』『井上成美』など。
阿川は『私の履歴書』では、〔私の「履歴」を一と言で記せば、「地方の平凡な中流家庭に生まれ、小学校から大学まで、ごく平坦平凡な学生生活を送り、戦争中は海軍に従軍して多少の辛酸を嘗めたが、戦後間もなく志賀直哉の推輓により文壇に登場、以来作家としてこんにちに至る」、これだけである〕と回顧している]。法学者の阿川尚之は長男、タレント・エッセイストの阿川佐和子は長女。(wikipediaより)](/assets/loading-white-036a89e74d12e2370818d8c3c529c859a6fee8fc9cdb71ed2771bae412866e0b.png)
阿川弘之
往々にして児童文学やアニメ・特撮などの子供向け作品は「子供向け」の体裁を借りて作者や脚本家・監督が一般の小説やドラマでは批判されそうなことを表現する手段として用いることがあります。
阿川さんは一時期「新幹線批判」をしていたのですが、その思いをこの作品に込めたのではないでしょうか…。
さて、続く2作品は執筆者の凄さとはまた別に、作品についてトリビア的なことをご紹介したいと思います。
■隠れた名作「ゼッケン67」
1972年は「ミュンヘンオリンピック」と「札幌冬季オリンピック」が開催されました。
その影響なのでしょう、その前後、わずか5年間ですが掲載されていた作品があります。

「ゼッケン67」
「ゼッケン67」は東京オリンピック10000m競争で三周遅れながらも最後まで走りぬいたセイロン(現・スリランカ)の選手のお話です。
これは作家が書いたものではなく、光村の編集部の方が書かれたそうですが、普通の記録文なのに感動した方は多いのです。
わずか5年間の掲載にもかかわらず、今でも根強い人気のある作品です。
■問題作!?「かさこ地蔵」
さて、こちらは児童文学者の岩崎京子さんが書かれた「かさこ地蔵」です。
画像のコメントをごらんになっていただいくとおわかりだと思いますが、一旦掲載が中断されています
一部の児童文学者からの情報ですがその理由は「作品が時代に合わないから」だったそうです。
へー?何が?どこが?まじめに働くこと、信仰心(not宗教)を持つことのどこが時代に合わないのでしょうか。
当時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が刊行されたころです。日本人はここで勘違いしてしまったのでしょうか…
児童文学者たちの抗議によって復活したと聞きました。国語の教科書には民話もぜひ載せてほしいですよね。
思い出いっぱいの光村教科書!
いかがでしたか?国語の教科書って凄いですよね!懐かしく感じていただけたら幸いです。今回は小学校の教科書について書かせていただきましたが、機会あれば中学校の教科書もおさらいしてみたいです。