広島が愛して離さない男、走攻守の三拍子が揃った【野村謙二郎】!

広島が愛して離さない男、走攻守の三拍子が揃った【野村謙二郎】!

2000本安打を達成し、トリプルスリーも達成した広島カープが誇るスター選手の野村謙二郎はどんな人物だったのでしょうか。選手としても、監督としてもどん底だったチームを引っ張り上げた男の人柄に迫ります。


あの広島カープの顔、高橋慶彦を追いやった男!野村謙二郎

1966年9月19日生まれ
身長176cm、体重78kg
右投げ左打ち
ポジション:内野手

広島カープのリーダーとして、1990年代のチームを引っ張ってきた男。

打っても守っても走っても出来る選手で、2000本安打を達成し、トリプルスリーも達成したスター選手である
3度の盗塁王を獲得し、往年の高橋慶彦を彷彿させる選手であった。

野村謙二郎(のむら けんじろう)

野村謙二郎の獲得タイトル・主な表彰と記録

最多安打:3回 (1991年、1994年、1995年)※正式タイトル制定は1994年。
盗塁王:3回 (1990年、1991年、1994年)

ベストナイン:3回 (1991年、1995年、1996年)
ゴールデングラブ賞:1回 (1995年)
JA全農Go・Go賞:1回 (好走塁賞:2004年4月)

トリプルスリー:1回 (1995年)
通算初回先頭打者初球本塁打:7本 ※歴代1位

野村謙二郎のプレースタイル

初球から積極的に打ちに行くスタイルはこだわりを感じずにはいられない。走塁も守備も最高の選手であり、道具にもこだわりを持っていました。そのこだわりは、カープの後輩たちが真似をするほどのものであり、そこにも後輩から慕われる人柄も見え隠れするのです。

トリプルスリーの男。最強の遊撃手

最多安打3回、最多得点2回、トリプルスリー、通算2000本安打を達成するなど、特に現役時代前半は広島のリードオフマンとして大いに活躍した。当時は176cm、75kgと体格に恵まれてはいなかったが、それまで主にスラッガータイプの選手が達成していたトリプルスリーを成し遂げた時には、地道なトレーニングによる筋力強化を高く評価されている[26]。プロで実働10年間だった遊撃手での通算打率.293は1000打席以上ではセントラル・リーグ最高記録(2004年当時)であり、史上屈指の強打の遊撃手だった[38]。1995年に記録したシーズンOPS.940は、2002年の松井稼頭央に次いで遊撃手歴代2位、セントラル・リーグ遊撃手最高記録である。思い切りの良い打撃を持ち味とし、賛否両論はあったものの、初球から積極的にストライクを打ちに行った[77]。 深夜のメジャーリーグのテレビ中継を欠かさず見ると言う「メジャーリーグ・フリーク」だったこともあり、ダイナミックなプレーを意識し、三塁打のクロスプレーにはこだわりがあった[77]。なお、俊足を活かすため、高等学校の入学と同時に両打ちになったが、目標としていた左打ちには当初はならなかった[3]。バットはミズノテクニクスの名和民夫の作品を使用していた[78]。 プロ入り後はスイッチヒッターとしてやっていくつもりだったが、当時の監督である山本浩二、コーチの水谷実雄の前で右打ちを披露した所、5球で却下された[79]。よってプロでは一度も右打席には立っていないが、大学時代に出場したソウルオリンピックでは、ジム・アボットから右打ちでヒットを打っている[79]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E8%AC%99%E4%BA%8C%E9%83%8E

野村謙二郎 - Wikipedia

野村謙二郎のプロ入りするまでの軌跡

大分県立佐伯鶴城高等学校へ進学すると、俊足を生かすために右打ちから両打ちに転向した[3]。1年の秋からエース投手になり、それ以来は3番・投手として、同期のチームメイトである若林重喜などとクリーンアップを組んだ。また、野村は2年の秋から3年の夏までエース投手兼主将を務めるが、3年の夏の大分大会の準決勝戦で敗れ[4]、3年間とも春と夏の全国大会の出場を逃した。 駒澤大学に進学すると、当時の監督だった太田誠にセンスを見込まれて打者に転向し、外野手になる。当時は鉄拳制裁も決して珍しくない厳しい指導の一方で、1年の時は左翼手か右翼手としてプレーし、リーグ戦に起用されている[3]。2年の時の春季リーグ戦からは中堅手のレギュラーになり、同年の秋季リーグで初めて中堅手としてベストナインに選ばれる[5]。3年の時の春季リーグ戦では大石大二郎が記録した17盗塁を塗り替える18盗塁のシーズン記録を達成し、2季連続でベストナインに選出された[6]。また、3年の時には日米大学野球とアジア野球選手権大会で日本代表に選ばれ、その頃からプロ入りを意識するようになった[3]。秋季リーグ戦では二塁手にも挑戦したため、二塁手としてもベストナインに選ばれている[7]。 4年の春から4年の秋までは主将を務めた。4年の時には再び日米大学野球で日本代表に選ばれるだけでなく、春季リーグ戦では22年振りにリーグ通算記録を更新する52個目の盗塁を決めるなどで完全優勝の原動力となり、満票で最高殊勲選手とベストナインに選出された[8]。また、4年の時には大韓民国で開催されたソウルオリンピックで大森剛や同期の笘篠賢治と一緒に3人のみの大学生選手として野球日本代表に選ばれる[9]。ちなみに笘篠とは後にプロでもチームメイトになった。このオリンピックではレギュラーに良い選手が揃っていたため、野村は主に代打で起用され、決勝戦を含む3試合で9打数、2安打の成績を残す[10]。決勝戦の対アメリカ合衆国代表戦では途中出場で1安打を放つも、一打逆転の場面ではジム・アボットに抑えられた[10]。 大学での通算成績は、89試合出場、325打数103安打、打率.317、10本塁打、48打点、52盗塁。他にはベストナイン4回の受賞経験がある。なお、全日本大学野球選手権大会には2度出場し、3年の時には松永幸男(九州東海大学)と対戦した。大学野球界屈指の野手という評価を得て[11]、石毛宏典2世とも呼ばれ[12]、1988年のドラフト会議では重複指名が予想されていた[12]。結果として広島東洋カープに単独1位で指名され、まずは外野手として広島に入団し、プロ入りを果たした。広島は川崎憲次郎も1位候補として検討していたものの、スカウトマンたちの強い推薦もあって野村を指名した[11]。担当スカウトマンは渡辺秀武で、契約金6000万円、年俸600万円で入団契約を結んだ[13]。背番号は「7」に決まった。

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野村謙二郎 - Wikipedia

小学校から高等学校までは投手だったが、大学で外野手になり、プロ入り2年目の年から内野手になった。また、プレーでの思いやりを重視し、特にプロ入り1年目の年は正田との連係プレーを徹底的に練習した[15]。打球が飛んで来る回数や併殺、中継に絡む機会が多いため、打者が打つ瞬間以外は常に360度全方向に注意していた[82]。 広島がかつて本拠地としていた広島市民球場は土のグラウンドだったため、イレギュラーバウンドが多く、平常心を保ち、腰を落としてしっかり捕球することを心がけた[82]。また、自分の肩が強くないと考えてスローイングを課題に挙げ、ダッシュなどでカバーすることを意識していたという[15]。必ずしも守備の名手という印象を持たれていないが[83]、1990年代前半にはレンジファクターでリーグトップの数値を複数年に渡って記録(1992年、1994年、1995年)するなど、打球をアウトにする能力は高かった[83]。 グラブについてはプロ入り2年目の年から同じグラブを7年間も使うほど強いこだわりを持ち、同じタイプのグラブを使った後輩には井生崇光や甲斐雅人、石橋尚登などがいる[30]。また、野村のグラブをベースにしたグラブを江藤と東出が使用し、木村拓也も野村のグラブを参考にしていた[

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広島東洋カープに入団後の活躍ぶりはすごかった。

1989年の入団1年目のシーズン。初出場は代走でした。1年目のシーズンは内野ではなく、左翼手で活躍しました。

2年目のシーズンからは、長年の名遊撃手、高橋慶彦の移籍に伴って、外野手から内野手へと転向。遊撃手のレギュラーへと抜擢される。オープン戦ではエラーも多く、周囲の心配を招いたが、レギュラーシーズンに入ると、攻守ともに大活躍。打って、走って、守ってと最高のシーズンとなりました。盗塁に関しては、33盗塁と初のタイトルを獲得。

リーグ優勝を果たした1991年には、31盗塁の2年連続盗塁王。170安打の最多安打にベストナインと優勝への大きな原動力となった。まさに走攻守で大活躍した選手である。

90年代の広島の内野を守る姿

1994年から広島東洋カープのキャプテンになって、チームを引っ張っていくことになった。実質、7年間もキャプテンを続けており、1994年には首位打者を獲る宣言をするなど、自ら積極的なスタイルでチームを引っ張っていくのです。

そして、1995年のシーズンは、長男も生まれたということもあり、先頭打者で塁に出ることだけだはなく、長打にも集中していました。その結果、打率.315、32本塁打、30盗塁とトリプルスリーを達成するのです。自身初となる30本塁打越えを達成し、リーグ2位の成績を残し、守備も優れた年で、これも初受賞となるゴールデングラブ賞を受賞しました。チームを引っ張るどころか、試合でも大活躍する最高の貢献をする年となったのです。

以降もリーダーシップを買われて、プロ史上でも13人目の2億円プレイヤーとなるなど、山本浩二の次期監督を指名されるなど、広島カープに高く評価される選手となっていきました。

2000年ぐらいのシーズンからは、怪我に泣かされ、リハビリを余儀なくされるなど、思うようなシーズンを越せない日々が続きました。成績はいい結果は残せていませんが、選手を引っ張る気質と、ここぞとばかりの打撃を買われ2005年のシーズンまで現役で活躍しつづけました。

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