あの広島カープの顔、高橋慶彦を追いやった男!野村謙二郎

野村謙二郎(のむら けんじろう)
野村謙二郎の獲得タイトル・主な表彰と記録
最多安打:3回 (1991年、1994年、1995年)※正式タイトル制定は1994年。
盗塁王:3回 (1990年、1991年、1994年)
ベストナイン:3回 (1991年、1995年、1996年)
ゴールデングラブ賞:1回 (1995年)
JA全農Go・Go賞:1回 (好走塁賞:2004年4月)
トリプルスリー:1回 (1995年)
通算初回先頭打者初球本塁打:7本 ※歴代1位
野村謙二郎のプレースタイル

トリプルスリーの男。最強の遊撃手
野村謙二郎のプロ入りするまでの軌跡
広島東洋カープに入団後の活躍ぶりはすごかった。
1989年の入団1年目のシーズン。初出場は代走でした。1年目のシーズンは内野ではなく、左翼手で活躍しました。
2年目のシーズンからは、長年の名遊撃手、高橋慶彦の移籍に伴って、外野手から内野手へと転向。遊撃手のレギュラーへと抜擢される。オープン戦ではエラーも多く、周囲の心配を招いたが、レギュラーシーズンに入ると、攻守ともに大活躍。打って、走って、守ってと最高のシーズンとなりました。盗塁に関しては、33盗塁と初のタイトルを獲得。
リーグ優勝を果たした1991年には、31盗塁の2年連続盗塁王。170安打の最多安打にベストナインと優勝への大きな原動力となった。まさに走攻守で大活躍した選手である。

90年代の広島の内野を守る姿
1994年から広島東洋カープのキャプテンになって、チームを引っ張っていくことになった。実質、7年間もキャプテンを続けており、1994年には首位打者を獲る宣言をするなど、自ら積極的なスタイルでチームを引っ張っていくのです。
そして、1995年のシーズンは、長男も生まれたということもあり、先頭打者で塁に出ることだけだはなく、長打にも集中していました。その結果、打率.315、32本塁打、30盗塁とトリプルスリーを達成するのです。自身初となる30本塁打越えを達成し、リーグ2位の成績を残し、守備も優れた年で、これも初受賞となるゴールデングラブ賞を受賞しました。チームを引っ張るどころか、試合でも大活躍する最高の貢献をする年となったのです。
以降もリーダーシップを買われて、プロ史上でも13人目の2億円プレイヤーとなるなど、山本浩二の次期監督を指名されるなど、広島カープに高く評価される選手となっていきました。
2000年ぐらいのシーズンからは、怪我に泣かされ、リハビリを余儀なくされるなど、思うようなシーズンを越せない日々が続きました。成績はいい結果は残せていませんが、選手を引っ張る気質と、ここぞとばかりの打撃を買われ2005年のシーズンまで現役で活躍しつづけました。
才能を見いだされ、カープの優秀な指導者へと成長

監督就任の凛々しい姿
2010年から、広島東洋カープの監督に就任し、11年連続となるBクラス脱却、優勝を目指しシーズンに臨み、平均得点や盗塁数、エラーの数など、機動力、守備面の復活を達成。広島らしい攻撃を戻したが、投手の故障を招くなど、防御率が悪くなった部分で投手王国だった広島からは遠ざかる形となったシーズンを過ごしました。
2014年まで指揮を獲り、2年連続Aクラス入り。74勝を上げる球団史上2番目の勝利数を残すこととなる。
野村謙二郎に惹かれて・・・
小学生のころから、キャプテンを務めて、周りの選手や、チームの雰囲気を常に気にしていた人物である。新井や金本、外国人選手のエルトレッドたちも、野村のおかげと口を揃えていうことからも、野村謙二郎と言う人物の人柄を伺える。
とことん。負けていたチームを救ったのは、選手の活躍ももちろんだが野村の人柄、リーダーシップ性が成しえた技なのではないでしょうか。