走る将軍と呼ばれたロッテ一筋の男。西村徳文

西村徳文(にしむら のりふみ)
西村徳文の獲得タイトルや主な表彰と記録
首位打者:1回 (1990年)
最多盗塁:4回 (1986年 - 1989年)
ベストナイン:2回 (1985年:二塁手、1990年:外野手)
ゴールデングラブ賞:2回 (1985年:二塁手、1990年:外野手)
串間市民栄誉賞(2010年 制定第1号)
正力松太郎賞(2010年)
オールスターゲーム出場:5回 (1985年、1987年、1988年、1990年、1993年)
西村徳文のプレースタイルは・・・。

ダイヤモンドを疾走する将軍
プロに入ってから得たスイッチヒッター。右打者だった西村徳文の左打ちを獲得するのは並大抵なものではなかった右の方が力が強いことから、バットの握りまで変えたバッティングを体得することで、左打席での内野安打を生むことが出来るようになった。
4年連続で盗塁王を獲るなど、足を使った記録はプロの中では、優れた成績を残している。とにかく、技術のこだわりは強く、特にスタート方法は低重心で左足と右足を交わらせてスピードを上げていく方法を武器に、スパイクシューズも他の人より200g軽いものを使用したり、球場の土の状態によって、スパイクを替えたり、ダイヤモンドを走り回っていました。
それだけ、プロとして足にこだわりがあったのです。
西村徳文のプロに入る前の軌跡
ロッテに入団後の活躍
プロに入り、俊足を生かすためにスイッチヒッターへの転向。いわゆる左ボックスへ立ち、少しでも一塁ベースに近づくことを勧められた。
有名な選手ではなかったことから、凡退すると嫌味を首脳陣から言われたものです。努力の甲斐もあって、3年後のシーズンには足、打撃の美味さを評価されて、1軍に定着、活躍を続けました。
翌、1985年には、ベストナインにゴールデングラブ賞と初タイトルも獲り、1986年から4年連続で盗塁王も獲得している。
当時にロッテには、主将制度は存在せず、まとめ役は決まっていなかった。そこで、1989年に選手会長に就任し、西村がロッテ選手のまとめ役となったのだった。
まとめ役になったその年のオープン戦で、西村は右手有鈎骨を骨折。開幕から1軍を外れることとなり、5月に復帰した時には水上善雄・上川誠二・森田芳彦と好調な選手がセカンドを守っており、西村に戻ってくる場所はなかった。
そこで、西村徳文はセンターに転向することになり、それ以降、外野手として一軍スタメンを守ることとなった。
1990年には、またもやオープン戦でのケガ。シーズン序盤には左足首の捻挫など、度重なる負傷で盗塁数は激減したが、足を切り捨て、打撃方法の改造でパ・リーグで初となるスイッチヒッターでの首位打者を獲得した。
1995年には、西村の代わりに諸積兼司が頭角を表し始め、翌年の1996年にはレギュラーの座を明け渡すことなる。
その頃からか、若手の指導へ周るようになり、1997年10月12日のシーズン最終戦を引退試合として、現役生活に幕を閉じた。引退試合の外野席には「ダイヤモンドのスピードランナー 疾風のように行け、走れ西村、16年間ありがとう」という横断幕が掲げられたほど、ロッテのファンに愛された選手だと言える。
ロッテ・マリーンズを日本一にした男!!
現役引退してからは、若手育成に努め、1998年には内野守備走塁コーチ。1999年には外野守備走塁コーチとロッテの守備走塁を、指導してきました。2004年にはボビー・バレンタイン監督誕生ともに、選手からの人望をかわれて、ヘッドコーチに就任。2010年にはバレンタイン監督の後任としてロッテ監督に就任するまでなりました。

就任1年目となる2010年シーズンには、シーズン前の予想を誰もが最下位と予想する中で、チームのスローガンを「和」とし、開幕から4カード連続で勝ち越すなど、周囲の予想を覆し、貯金を10に乗せるなど、誰もが優勝かと思い来や、後半戦になると、選手の疲労や主力選手の離脱などから7連敗と、順位を落としていった。
しかし、自らも審判へ抗議し退場処分をうけるなど熱血漢を示すことで、3位を確保し、3年ぶりのクライマックスシリーズへの切符を手にしました。
そのクライマックスシリーズでは、チームが一つになることで、2位の西武と行い勝ち越し。シーズン1位のソフトバンクとの試合も勝ち抜いて、プロ野球史上で初となるシーズン3位からの日本シリーズ出場権を勝ち取ることとなる。まさに、現代の下克上を成し遂げた瞬間でした。
日本シリーズで中日ドラゴンズと戦ったが、勢いに乗っているロッテが負けるはずもありません。4勝2敗1分で5年ぶり4度目の日本一となりました。
監督一年目での日本一は、これはロッテとしては、60年ぶりの快挙でして、下克上を成し遂げた功績として、串間市民栄誉賞をはじめとする正力松太郎賞など数々の賞を受賞しました。
その後も、2年間監督を続け、結果はあまり芳しくはなかったが、31年間在籍したロッテを退団することとなりました。
来年の2016年のシーズンにはオリックスのヘッドコーチに就任することなり、下克上の西村が何か旋風を巻き起こすかもしれません。
