関本四十四(1968〜1978)
生年月日:1949年5月1日
出身地:新潟県糸魚川市
出身校:新潟県立糸魚川商工高等学校
入団:1967年ドラフト10位
所属球団:
- 読売ジャイアンツ (1968〜1975)
- 太平洋クラブライオンズ (1976)
- 横浜大洋ホエールズ (1977〜1978)
新潟県出身のプロ野球選手の中で、最初に顕著な活躍をした選手といえば、関本四十四でしょう。
糸魚川商工時代は、甲子園出場はなかったものの、巨人からドラフト10位指名を受けプロ入りを果たします。一軍初登板は、入団4年目の1971年。先発ローテーションの一角として巨人の優勝に貢献し、勝ち星こそ10勝11敗と負け越しながらも、防御率2.14はリーグ5位で新人王を獲得しました。1974年には防御率2.28で、最優秀防御率のタイトルも獲得しています。1975年に、直訴して背番号を20番から44番(名の四十四に因んだもの)に変更したエピソードは有名です。
三輪悟(1970〜1980)
生年月日:1945年9月18日
出身地:新潟県新潟市
出身高校:新潟市立工業高等学校
入団:1969年ドラフト2位
所属球団:
- 西鉄ライオンズ→太平洋クラブライオンズ (1970〜1974)
- 広島東洋カープ (1975〜1980)
三輪悟は、新潟市立工業高等学校を卒業後、社会人野球を経て、ドラフト2位指名で西鉄に入団。しかし、ちょうど「黒い霧事件」でチームが混乱している時期で、ある意味、最悪のタイミングでした。ところが、1年目の1970年、チームが事件により主戦投手を失う中、急遽先発ローテーションに抜擢されます。オールスターにも監督推薦で出場し、ルーキーイヤーは大活躍でした。その後、1975年に広島に移籍しています。
ライオンズ時代は、西鉄から太平洋クラブへと変わる低迷期で毎年負け越しでしたが、広島に移籍してからは、貴重なリリーフ投手としてリーグ優勝に貢献しました。
今井雄太郎(1971〜1991)
生年月日:1949年8月4日
出身地:新潟県長岡市
出身高校:中越高等学校
入団:1970年ドラフト2位
所属球団:
- 阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブス (1971 - 1990)
- 福岡ダイエーホークス (1991)
今井雄太郎は、新潟県出身のプロ野球選手の中で、名実ともにナンバーワンの選手、と言っても過言ではないでしょう。
中越高等学校を卒業後、社会人野球を経て、ドラフト2位指名で阪急に入団します。ノミの心臓と呼ばれるほど気が小さく、入団して5年間でわずか2勝。しかし、酒を飲むと豹変し、気が大きくなることがわかり、それを機に才能が開花します。
そして、1978年8月31日のロッテ戦ではNPB史上14人目の完全試合を達成しました。この年初めて二桁勝利を記録し、上田阪急の4連覇にも貢献しています。以後は、阪急の主戦投手として先発ローテーションを守り続け、1981年には19勝で最多勝利、1984年には21勝、防御率2.93で、最多勝利と最優秀防御率のタイトルを獲得しました。
小林幹英(1998〜2005)
生年月日:1974年1月29日
出身地:新潟県新潟市
出身高校:新潟明訓高等学校
入団:1997年ドラフト4位
所属球団:
- 広島東洋カープ (1998 - 2005)
小林幹英は、新潟明訓高等学校を卒業後、専修大学、プリンスホテルを経て、ドラフト4位指名で広島に入団します。広島では、初年度から大活躍。いきなり開幕初戦の中日戦に大野豊をリリーフし、2回無安打無失点で初勝利を挙げます。4月はなんと月間MVPを獲得。その後も、リリーフ投手として活躍し、終わってみれば、9勝6敗18セーブ、防御率2.87と、ルーキーとは思えない成績を残しました。新人王が期待されましたが、その年は結局、川上憲伸が獲得。その代わりに、高橋由伸、坪井智哉らとともにセントラル・リーグ特別表彰を受賞しました。
2001、2002年は、50試合以上に登板するなど、その後は中継ぎとして貢献。2005年に、現役生活8年で引退しています。翌2006年には広島のコーチに就任し、2023年現在も活躍中です。
星野順治(1998〜2008)
生年月日:1974年6月18日
出身地:新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)
出身高校:新潟県立新潟商業高等学校
入団:1997年ドラフト4位
所属球団:
- 福岡ダイエーホークス→福岡ソフトバンクホークス (1998 - 2008)
星野順治は、新潟県立新潟商業高等学校を卒業後、NKKに入社。社会人野球での活躍が評価され、ドラフト4位指名でダイエーに入団します。2年目の1999年には、早くも先発ローテーションの一角を担い、10勝を挙げ、福岡ダイエーとしての初優勝・初日本一に貢献。中日との日本シリーズでも、第4戦先発で6回1/3を無失点に抑え、日本一に王手をかける値千金の勝利を挙げました。
その後も、2001年に13勝、2005年に8勝を挙げるなど、先発投手としてチームの躍進に貢献し、2008年に引退。2023年からは、ソフトバンクのコーディネーター(投手)を務めています。
加藤健(1999〜2016)
生年月日:1981年3月23日
出身地:新潟県北蒲原郡聖籠町
出身高校:新潟県立新発田農業高等学校
入団:1998年ドラフト3位
所属球団:
- 読売ジャイアンツ (1999 - 2016)
加藤健は、新潟県立新発田農業高等学校の3年生の夏、甲子園に出場。初戦で敗れるも、ドラフト3位指名で巨人に入団します。新潟県出身では珍しい高卒ルーキーの誕生で、因みに、新発田農でバッテリーを組んだ投手・富樫和大は社会人野球を経て、日本ハムに入団しています。
現役時代は巨人一筋で、17年間も在籍しましたが、出場試合数はわずか185試合。常に阿部慎之助の二番手捕手という役割ながら、"困った時のカトケン" と言われ、信頼される存在でした。骨にヒビが入っても出続けたこともあったほどで、加藤は二番手捕手の心得について次のように話しています。
準備、確率、思い切りが大事だと知った“奇跡の初本塁打”|野球|日刊ゲンダイDIGITAL
その他の新潟県出身選手
その他の新潟県出身のプロ野球選手です。プロ在籍5年以上で、新潟県内の高校を卒業した選手という条件を付けていますが、堀越高校に留学した猪俣隆は含めています。
一昔前に比べ、近年は、新潟県出身のプロ野球選手が増えてきているのがよくわかります。
因みに、馬場正平とはプロレスラー転向前のジャイアント馬場のことで、新潟県三条市の出身の投手でした。
選手名 | 所属球団 |
---|---|
馬場正平 | 読売ジャイアンツ(1955 - 1959) |
黒坂幸夫 | ヤクルトスワローズ (1977 - 1982) |
渡辺浩司 | 日本ハムファイターズ (1982 - 1997) |
猪俣隆 | 阪神タイガース (1987 - 1997) 中日ドラゴンズ (1998)
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栗山聡 | オリックス・ブルーウェーブ (1997 - 2001) 中日ドラゴンズ (2002 - 2003)
オリックス・ブルーウェーブ (2004)
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本間忠 | ヤクルトスワローズ→東京ヤクルトスワローズ (2000 - 2006) |
今井啓介 | 広島東洋カープ (2006 - 2017) |
横山龍之介 | 阪神タイガース (2007 - 2012) |
髙橋洸 | 読売ジャイアンツ (2012 - 2017) |
飯塚悟史 | 横浜DeNAベイスターズ (2015 - 2021) |
池田駿 | 読売ジャイアンツ (2017 - 2020) 東北楽天ゴールデンイーグルス (2020 - 2021)
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笠原祥太郎 | 中日ドラゴンズ (2017 - 2022) 横浜DeNAベイスターズ (2023)
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綱島龍生 | 埼玉西武ライオンズ (2018 - 2021) |
椎野新 | 福岡ソフトバンクホークス (2018 - 2023) |
渡邉雄大 | 福岡ソフトバンクホークス (2018 - 2021) 阪神タイガース (2022 - 2023)
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鈴木裕太 | 東京ヤクルトスワローズ (2019 - 2023) |
2024年も現役!新潟県出身のプロ野球選手
新潟県出身のプロ野球選手で、2024年も現役の選手は次の通りです。
この中で、筆者が個人的に注目しているのは、佐渡島出身初のプロ野球選手、巨人の菊地大稀投手。佐渡高校時代はドラフト指名漏れで悔しい思いをしましたが、桐蔭横浜大学で実績を挙げ、巨人からの指名を勝ち取りました。2023年は、チームが不調の中、50試合に登板し、4勝4敗1セーブ11ホールドで、防御率は3.40。中継ぎとしての役目をしっかり果たしました。今後の巨人の復活には欠かせない投手の一人でしょう。
選手名 | 所属球団 |
---|---|
漆原大晟 | オリックス・バファローズ (2019 - 2023) 阪神タイガース (2024 - )
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知野直人 | 横浜DeNAベイスターズ (2019 - ) |
菊地大稀 | 読売ジャイアンツ (2022 - ) |
佐藤琢磨 | 福岡ソフトバンクホークス (2022 - ) |
滝澤夏央 | 埼玉西武ライオンズ (2022 - ) |
荘司康誠 | 東北楽天ゴールデンイーグルス (2023 - ) |
田中晴也 | 千葉ロッテマリーンズ (2023 - ) |