スカルマンは石森先生お気に入りのキャラですか「既存のキャラでは新鮮味に欠ける」とか「正義のヒーローがドクロというのは気持ち悪い」と批判されてしまったのです。
その後石森先生は数十枚のラフ画を描かれましたがなかなか一つに決められない。
そこで、当時五歳だったご長男・丈くんに絵をみてもらったところ「僕、これがいい」とえらんだのがバッタをモチーフにしたデザインだったのです。
パッタは指でプチッとすぐにつぶれる小さい生き物。
でも石森先生には故郷の宮城源登米郡(現・宮城源登米市)の田園風景が記憶の底にあったのだと思います。
美しい自然の中を群れ成してとぶバッタこそ平和の象徴だと思われたのでしょう。
こうして「仮面ライダー」が誕生したのです。
しかし…決して快調なスタートとは言えませんでした。
苦境をバネにまさしくライダージャンプ!
紆余曲折した企画でしたが、なんとか撮影にこぎつけた「仮面ライダー」。
しかし撮影が始まってもピンチが何度かやってきます。
藤岡弘の負傷
制作サイドでは本郷は死んだことにしようという意見もありましたが、平山亨は「子どもの夢を壊す」と断固反対。
「ショッカーを追って海外に行った」という設定にして、新たに佐々木剛さんが演じる仮面ライダー2号・一文字隼人が登場するという形にして番組を続け、藤岡弘の復帰を待ったのでした。
そして2016年は45周年!
「怪我の功名」とはまさにこのこと。
藤岡さんが復帰して、2号ライダーとの「ダブルライダー」という設定は当時の子どもたちをわくわくさせました。
そしてこれがきっかけで仮面ライダーシリーズが現在まで至ったわけです。
「日本には仮面ライダーがいる」
なんて誇らしいんでしょう!
昭和に生まれてよかった!