ナインティナイン 岡村隆史   後先考えない突破者だった時代

ナインティナイン 岡村隆史 後先考えない突破者だった時代

小学校ではオリンピックメダリストと同じ器械体操クラブに所属。中学ではブレイクダンス関西最強チームの切り込み隊長。高校サッカー、強豪校フォワード。そしてNSCの9期生へ。


しかし今度は、それを聞いた岡村が
「なんで優勝していないヘビイチゴが出てくんねん!」
と激怒。
それは
「9期生の中ではオレらが1番面白い」
というプライドからくる怒りだった。
「自分たちの力で人前に出ていくしかない」
後ろ盾がない岡村は「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」に積極的な気持ちで挑戦することを決めた。
通称「今宮えびす」は、毎年、夏、今宮えびす祭りの中で今宮えびす神社の境内で行われるイベント。
過去にダウンタウンも優勝(福笑い大賞、賞金20万円)したことがあるという、決して子供向けではないプロを目指す芸人による本気の賞レース。
現在ならいろいろな道や方法があるが、この頃の大阪の若手お笑い芸人がスターになるまでのストーリーは限られていた。

・賞レースで優勝
・テレビの仕事をもらう
・レギュラー番組をもらう
・「笑っていいとも!」や「スタードッキリ㊙報告」など全国区の人気番組に出る
・冠番組を持つ
・ゴールデンタイム進出

というのが既定路線。
これに乗ることができれば

・ギャラが上がる
・個人にマネージャーがつく
・新幹線がグリーン車になる
・弁当をオーダーできる
・仕事を選べる
・スタッフが共演者のOK、NGを確認してくれる
・スタッフが共演者を忖度してくれる
・出演者を代えられる

など特典がついてくる。
岡村は
「それがスターだ」
と思っていた。
が、今宮えびすで予選落ち。
「なんで落ちんねん!
なんかの間違いやろ」
近くにあったゴミ箱を蹴飛ばすほど怒ったが、「9期生の中ではオレらが1番面白い」という天狗モードから、一気に「なんとかしなければ」モードに切り替わった。

1991年3月、9期生の卒業公演を観にいったナインティナインは、吉本の若手芸人を仕切る中井秀範に
「ああ、お前らか。
NSCの授業料払わんと出世払いとか生意気なこというとんのは。
消したるわ」
といわれてしまう。
中井は、事前にNSCの講師から
「月謝払わんと退学させられたナインティナインいうコンビは絶対売れます」
と聞いていて
「楽しみやなあ。
けど(将来のために)1回、鼻折っといた方がエエな」
と思っていた。
そんな愛のムチだとわかるはずがない岡村は、
「そんなことできるんかい」
と憤った。
そして「爆笑GONGSHOW」、「爆笑BOOING」など若手芸人が出演する大阪の深夜番組を必ず観て、出演芸人をチェック。
「ヘビイチゴが出てるから、次は呼ばれるんちゃうかな?」
とソワソワしていたが、本当に仕事をもらえない時期が続いた。
そしてタクシー乗り場に並び、前に並んでいる見ず知らずの女性に話しかけ、目的地が同じ方向かどうかを確認。
「お金、半分払うから一緒に乗せてや」
と交渉し、乗せてもらったことがある。

1991年8月、同期のヘビイチゴがシュールなネタで深夜番組でレギュラーとなるのを目撃した岡村は、
「これ以上、差が開くのはマズい。
とりあえず(去年予選落ちした)今宮えびすで優勝せな」
と一念発起。
まずは先輩芸人に聞き込みをして今宮えびすで優勝するための情報を収集。
「そもそもコンクールの予選なんて何百人も集まったコンビの漫才をズーっとみせられるんやから、審査員が真剣にみてんのは最初の20組くらいや。
朝イチ会場いって発表順も10番以内に入らんとネタなんてみてもらわれへんよ」
というアドバイスに従って、当日、気合を入れてかなり早めに会場入り。
それでも8番目で
「上には上がいる」
と思った。
無事予選を通過し、その後も勝ち進んで決勝に残ったが、最終的に3位だった。
司会&審査員のオール巨人が
「3位はナインティナイン」
と発表した瞬間、喜びよりも
(エエッ!
俺らが1番ウケてたのに優勝違うんかい)
という気持ちの方が強く、それが顔や態度に出てしまい
「なんや、うれしないんか!
うれしそうな顔せえ」
と巨人に怒られ、あわてて笑顔で
「アッ、うれしいです。
ありがとうございます」
それでも納得できず授賞式の後、点数を確認。
すると審査員の点数だけでは4位で、子供審査員のポイントでなんとか3位になっていたことがわかり、
「そら、巨人師匠も怒らはるわ」
「エラい天狗やったなあ」
と素直に反省できた。
ちなみにこのときの優勝者(福笑い大賞)は、しましまんずだった。

次に目指したのは「ABCお笑い新人グランプリ」
通称、「ABCお笑いグランプリ」あるいは「ABC」は、過去の優勝者(最優秀新人賞)に宮川大助・花子、トミーズ、ダウンタウンらがおり、優勝=売れることが約束されたビッグタイトル。
岡村は様々な策を練った。
1つ目の策は、審査員の好きな若手芸人になること。
新野新、香川登志緒、藤本義一らの好きそうな若手芸人を

・勢いがある
・声が大きい
・テンポがいい
・舞台を大きく使って汗をかく

と分析。
2つ目は、それに合致するネタづくり。
持ちネタのコントにしゃべりを足して漫才スタイルに。
さらにテンポをよくして、岡村が動けるようにアレンジ。
矢部は、ツッコむときの間や動きなど細かい部分まで意識。
持ち時間は5分だったが、
「4分55秒きっかり」
に漫才が終わるように何度も練習した。
3つ目は、衣装。
雨上がり決死隊、FUJIWARA、バファロー吾郎、トゥナイト、よゐこなどが一緒に出場することがわかっていたが、
「この中でスーツを着るコンビは、トゥナイトさんだけ。
それ以外はTシャツ、ジーンズなどラフな衣装でコントをするはず。
他のコンビニ比べ、知名度が低い自分たちが目立つためにはきれいなスーツを着てコントではなく漫才をする必要がある」
と先輩から舞台衣装を借りた。

さらに「ABCお笑い新人グランプリ」では、ネタの前にコンビの推薦人として有名芸人のコメントがVTRで流れる。
岡村はオール巨人に、その推薦コメントをお願いした。
快諾した巨人は
「あの子らは、いごきがすごい。
いごきに注目」
とコメント。
岡村は、巨人が「動き」のことを「いごき」というのが面白くて笑ってしまった。
推薦VTRが終わり、ついに生放送の本番が始まった。。
「思う存分やるだけ」
舞台袖から勢いよく出ていくといきなりアクシデント発生。
あるはずのセンターマイクがない。
岡村は焦ったが、
(何かいわんと始まらない)
と思い、咄嗟に
「マイクがないんですけどもね。
どうしたんでしょうね」
このひと言が客と審査員の心をつかんだ。
マイクはスタッフの単なる置き忘れだったが、まるで仕込みのような効果を発した。
その後のネタも練習通りに漫才ができた。
結果、

最優秀新人賞:ナインティナイン
優秀新人賞:雨上がり決死隊
審査員特別賞:よゐこ、トゥナイト
新人賞:FUJIWARA、バファロー吾郎

と見事、ビッグタイトルを獲得。
岡村は司会の桂三枝にマイクを向けられると感極まって号泣した。

岡村はお笑いをやっていることを父親に秘密にしていた。
高校を卒業後、ずっと同じ会社で働き、ずっと
「手堅い職業についてくれ」
といい続ける安定志向の強い父親に、お笑いをやっているとはいえなかった。
しかしABCお笑い新人グランプリは、日曜日の昼から夕方まで生放送されていて、岡村家のテレビにも長男が映った。
「なんや?
隆史が漫才しとる!」
父親は驚き、優勝が決まるとさらにたまげた。
岡村が帰宅すると机の上に手紙が置いてあった。
「おめでとう。
今日、テレビで漫才をしているのを観ました。
ビックリしました。
優勝したということは努力もしたと思います。
でもあくまで趣味にとどめていくように。
あなたの本業は学業ですので、まず大学で勉強することを最優先にしてください」
岡村は
「本気で反対してる!」
と思った。

結局、岡村が立命館大学に通えたのは1回生のみ。
2回生になると、東京の仕事も増え、1年間で取れた単位は4つ。
父親にとがめられ大喧嘩になった。
「東京で仕事が始まってるから試験受けられへんねん」
「イヤイヤ。
お前出てへんやん。
テレビ忙しいいうて全然みいひんやないか!」
「イヤイヤ。
東京ローカルやからこっちではやってないから!」
「このまま大学いかないなら金をドブに捨ててるようなもんや。
どないすんねん」
押し問答が続いたが、最後は父親に
「お笑いなんてうまくいくはずないやから、大学だけは卒業してくれ」
といわれ、休学することになった。
休学といっても無料になるわけではなく、父親は学費は払い続けた。
結局、岡村は立命館大学に8年間在籍。
「辞めるんやな?」
と父親に確認された後、中退。
卒業はできなかった。
その頃はすで岡村は全国区で売れていたが、大阪の実家は
「ここが岡村の家や」
とファンが集まったり、ピンポンダッシュされたり、車や家にイタズラをされたりした。

ABCお笑い新人グランプリで優勝後、すぐにナインティナインは吉本に
「NGKに出たい」
と直訴。
それは認められ、日本最大級の演芸場、NGK、つまりなんばグランド花月の舞台に1週間立つことになった。
しかし初日の月曜日、いきなり事件が発生。
「ナインティナイン - ハイヒール - 中田カウス・ボタン」
という若手からベテランへ、ベーシックな順番だったのに、当日にハイヒールの都合で
「ハイヒール - ナインティナイン - 中田カウス・ボタン」
に変更。
大先輩に挟まれる形になった岡村は
「そんなアホな」
その上、持ち時間は「10分」と聞いていたのに、スタッフに
「15分あるから」
といわれてしまい、10分のネタしか用意していなかったナインティナインは焦った。
しかしどうすることもできないまま本番が始まってしまった。
ハイヒールが出ていたとき盛り上がっていた客席が、ナインティナインが出ていった途端、シーンと静まり返った。
ネタが始まっても年齢層高めの客は何をしても笑わない。
焦った2人は早口で次のネタ、次のネタとしゃべり通し、
「どうも、ありがとうございました」
といって舞台を降りると、スタッフが飛んできて
「何してるねん、お前ら。
まだ7分や。
7分しかやってへんやんか!」
と激怒された。
中田カウス・ボタンもまだスタンバイできていないので、仕方なく緞帳が下り
「しばらくの間、休憩させていただきます」
とアナウンス。
その後も6日間も、すべての出番でスベり続けた。
悪夢のような1週間が過ぎた直後、岡村はNGKで毎日公演している吉本新喜劇からオファーを受けた。
そしてステージ上で池乃めだかと小っさいオッサン同士、向かい合い、めだかが
「オウッ!
吉本にもやっとエエのが入ってきたな」
というとドカーンと笑いが起こった。

大阪の若手芸人が売れるためには漫才コンテストに出て勝つ必要があったが、中でも

・ABCお笑い新人グランプリ
・NHK新人演芸大賞
・上方お笑い大賞

は3大メジャータイトル。
ABCを獲ったナインティナインは、次に「上方お笑い大賞」に出場することを決めた。
読売テレビで放送される上方お笑い大賞は、過去の大賞受賞者に、桂三枝、横山やすし・西川きよし、今いくよ・くるよ、上岡龍太郎、月亭八方らがいた。
岡村は
「策を練って確実に1位を獲る」
とデータを収集し

・審査員は、お笑いのプロだけでなく、作家や評論家など文化人もいる。
・客層は、年配者が多い。

と分析。
「こういう審査員や客から笑いをとるにはコントではなく漫才」
と決定。
ネタは、誰もが知っている「昔話」を題材にして、中高年世代にもわかるボケをちりばめた。
しかし結果は

大賞:桂ざこば
金賞:横山たかし・ひろし
銀賞:雨上がり決死隊

と入賞ならず。
岡村は
「コントはダメ。
若い人向けの笑いはダメといった考えに囚われてしまった。
完全に自分の策に溺れてしまった」
と反省。
何より悔しかったのは
「雨上がり決死隊が受賞したこと」
だった。

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