岡村はお笑いをやっていることを父親に秘密にしていた。
高校を卒業後、ずっと同じ会社で働き、ずっと
「手堅い職業についてくれ」
といい続ける安定志向の強い父親に、お笑いをやっているとはいえなかった。
しかしABCお笑い新人グランプリは、日曜日の昼から夕方まで生放送されていて、岡村家のテレビにも長男が映った。
「なんや?
隆史が漫才しとる!」
父親は驚き、優勝が決まるとさらにたまげた。
岡村が帰宅すると机の上に手紙が置いてあった。
「おめでとう。
今日、テレビで漫才をしているのを観ました。
ビックリしました。
優勝したということは努力もしたと思います。
でもあくまで趣味にとどめていくように。
あなたの本業は学業ですので、まず大学で勉強することを最優先にしてください」
岡村は
「本気で反対してる!」
と思った。
結局、岡村が立命館大学に通えたのは1回生のみ。
2回生になると、東京の仕事も増え、1年間で取れた単位は4つ。
父親にとがめられ大喧嘩になった。
「東京で仕事が始まってるから試験受けられへんねん」
「イヤイヤ。
お前出てへんやん。
テレビ忙しいいうて全然みいひんやないか!」
「イヤイヤ。
東京ローカルやからこっちではやってないから!」
「このまま大学いかないなら金をドブに捨ててるようなもんや。
どないすんねん」
押し問答が続いたが、最後は父親に
「お笑いなんてうまくいくはずないやから、大学だけは卒業してくれ」
といわれ、休学することになった。
休学といっても無料になるわけではなく、父親は学費は払い続けた。
結局、岡村は立命館大学に8年間在籍。
「辞めるんやな?」
と父親に確認された後、中退。
卒業はできなかった。
その頃はすで岡村は全国区で売れていたが、大阪の実家は
「ここが岡村の家や」
とファンが集まったり、ピンポンダッシュされたり、車や家にイタズラをされたりした。
ABCお笑い新人グランプリで優勝後、すぐにナインティナインは吉本に
「NGKに出たい」
と直訴。
それは認められ、日本最大級の演芸場、NGK、つまりなんばグランド花月の舞台に1週間立つことになった。
しかし初日の月曜日、いきなり事件が発生。
「ナインティナイン - ハイヒール - 中田カウス・ボタン」
という若手からベテランへ、ベーシックな順番だったのに、当日にハイヒールの都合で
「ハイヒール - ナインティナイン - 中田カウス・ボタン」
に変更。
大先輩に挟まれる形になった岡村は
「そんなアホな」
その上、持ち時間は「10分」と聞いていたのに、スタッフに
「15分あるから」
といわれてしまい、10分のネタしか用意していなかったナインティナインは焦った。
しかしどうすることもできないまま本番が始まってしまった。
ハイヒールが出ていたとき盛り上がっていた客席が、ナインティナインが出ていった途端、シーンと静まり返った。
ネタが始まっても年齢層高めの客は何をしても笑わない。
焦った2人は早口で次のネタ、次のネタとしゃべり通し、
「どうも、ありがとうございました」
といって舞台を降りると、スタッフが飛んできて
「何してるねん、お前ら。
まだ7分や。
7分しかやってへんやんか!」
と激怒された。
中田カウス・ボタンもまだスタンバイできていないので、仕方なく緞帳が下り
「しばらくの間、休憩させていただきます」
とアナウンス。
その後も6日間も、すべての出番でスベり続けた。
悪夢のような1週間が過ぎた直後、岡村はNGKで毎日公演している吉本新喜劇からオファーを受けた。
そしてステージ上で池乃めだかと小っさいオッサン同士、向かい合い、めだかが
「オウッ!
吉本にもやっとエエのが入ってきたな」
というとドカーンと笑いが起こった。
大阪の若手芸人が売れるためには漫才コンテストに出て勝つ必要があったが、中でも
・ABCお笑い新人グランプリ
・NHK新人演芸大賞
・上方お笑い大賞
は3大メジャータイトル。
ABCを獲ったナインティナインは、次に「上方お笑い大賞」に出場することを決めた。
読売テレビで放送される上方お笑い大賞は、過去の大賞受賞者に、桂三枝、横山やすし・西川きよし、今いくよ・くるよ、上岡龍太郎、月亭八方らがいた。
岡村は
「策を練って確実に1位を獲る」
とデータを収集し
・審査員は、お笑いのプロだけでなく、作家や評論家など文化人もいる。
・客層は、年配者が多い。
と分析。
「こういう審査員や客から笑いをとるにはコントではなく漫才」
と決定。
ネタは、誰もが知っている「昔話」を題材にして、中高年世代にもわかるボケをちりばめた。
しかし結果は
大賞:桂ざこば
金賞:横山たかし・ひろし
銀賞:雨上がり決死隊
と入賞ならず。
岡村は
「コントはダメ。
若い人向けの笑いはダメといった考えに囚われてしまった。
完全に自分の策に溺れてしまった」
と反省。
何より悔しかったのは
「雨上がり決死隊が受賞したこと」
だった。