若かりし大竹しのぶ    超マジメ! 超清純! 初めての男性と結婚! なのに「魔性の女」「あざとい」といわれてしまう業の深さ。

若かりし大竹しのぶ 超マジメ! 超清純! 初めての男性と結婚! なのに「魔性の女」「あざとい」といわれてしまう業の深さ。

超清貧な家に生まれ、高校1年生で芸能界入りした美少女は、清く正しく、そしてすごく押しの強い生き方を敢行。結果、自在に人を惑わし男を虜にする「魔性の女」と呼ばれるに至った。



成田空港でのラストシーンの撮影では、事前に許可をとったにもかかわらず別の映画のロケとバッティング。
空港の担当者は「男女7人夏物語」の撮影を中止させようとしたが、やめるわけにいかず怒鳴り合いの押し問答の末に撮影を強行。
すぐそばでスタッフが空港関係者をブロック中、階段を下りていく大竹しのぶを明石家さんまが見送るシーンが撮影された。
「男女7人夏物語」は、毎週金曜日21時から放送され、若い男女の気持ちがうまく描いた内容と大竹しのぶと明石家さんまのかけ合いが話題となり、最高視聴率は31%の大ヒット。

「男女7人夏物語」の収録が終わった後、大竹しのぶは家族3人で静岡県の下田温泉へ。
しかし運が悪いことにその日は「男女7人夏物語」のオンエア日。
「春治さんと二千翔に100%の愛情を注がないと・・・・」
と思いつつ、でも
「観たい」
葛藤の末、ホテルの部屋にあったテレビのスイッチをつけてしまった。
大竹しのぶは気づかなかったが、服部春治がドラマを観る妻をカメラで撮った。
後日、大竹しのぶは家族旅行の写真をみていて、その1枚に気づき、罪悪感を感じた。

一方で
「このドラマで役の幅が広がったんじゃないかと思う。
さんまさんに自分の違う一面を引き出してもらった」
と本人にはいわなかったが明石家さんまに感謝していた。
友人に
「さんまさんってすごく面白い人なの」
と話すと
「なんか嬉しそうに話してない?
しのぶ、人妻としてそれはまずいよ。
あなたには服部さんという大切なダンナ様がいるじゃない」
と注意されたが、当の服部春治は、
「3人で食事をしよう」
といった。
そして初対面で明石家さんまと意気投合。
その後も一緒にテニスを楽しむ仲となった。
こうして服部春治は、1986年も生き抜いた。
「もう大丈夫。
奇跡は起きる」
大竹しのぶはそう信じた。

1987年3月、大竹しのぶは映画の撮影で長崎から1週間に1回、東京に帰っていたが、あるとき服部春治をみて
(目が黄色い)
と感じた。
もし黄疸なら病気の進行を意味していて、すぐに病院で診てもらうと不安は的中し、再入院が決まった。
「早く帰りたい」
と思いながら長崎で仕事をこなし、すべての撮影が終わって東京に戻った日、服部春治は入院した。
大竹しのぶは医師に呼ばれ、
「ご自宅にはもう帰れないでしょう。
最後の入院だと思ってください」
と告げられ、呆然となったが、病室に戻ると服部春治の前で必死に平静を装った。
そして夜は「男女7人夏物語」のNGシーンをみながら明石家さんまとトークするという番組の収録のためにTBSへ。
自分の運命を呪った。
「こんなときに、よりによってバラエティに」

4月、「男女7人夏物語」の続編、「男女7人秋物語」の製作が決定。
撮影は夏からスタートするといわれ、大竹しのぶは、数日間、悩んだ末に出演を断ることにした。
それを誰よりも先に明石家さんまに、それも自分の口で伝えようとオフィスを訪ねた。
「今度のドラマ出られそうにないんです。
ごめんなさい」
怪訝そうな顔をする明石家さんまに
「悪いけど、理由は聞かないで」
と機先を制し
「本当にごめんなさい。
今回は他の女優さんと組んでお仕事してください」
「わかりました」
そう答えた明石家さんまは、その後、ドラマのプロデューサーに
「大竹さんに出演を断られてしまいました。
できれば別の女優さんで考えたいんですが・・・」
といわれたとき
「いやダメです。
大竹さんが出られへんのやったら僕も降ろさせてもらいますわ」
とキッパリと断った。
しかし大竹しのぶからドラマを降板したことを聞いた医師は、
「それはいけない。
服部さんに懸念を与えるようなことは避けた方がいいです。
奥さんは今まで通りふるまってください」
と反対。
服部春治も
「絶対にやるべきだよ」
といって大竹しのぶを「男女7人秋物語」に出演させ、明石家さんまに手紙を送った。
「僕が遊んであげられない分、秋からしのぶを楽しませてあげてください」

5月に入ると服部春治は体の数値が良くなって退院。
医師に
「この状態で退院できた患者さんは初めてです」
といわれ、大竹しのぶは
(奇跡が起きた!!)
と思った。
しかし7月に再び入院。
それ以降は急激に悪化し、自分で立てなくなるほど弱ってしまった。

大竹しのぶは病院から仕事に通った。
病室では、ずっと服部春治の手を握り、寝るのは「奇跡の人」の稽古の休憩中に舞台装置のベッドで少し横になるだけ。
ある日、稽古を終え、帰ろうとするとスタッフに呼び止められ、振り向くと大きなケーキと
「おめでとう」
という声。
そこで初めて自分の30歳の誕生日であることに気づいた。
みんなに祝福されて嬉しいがツラく、やっとの思いで笑って、ケーキを一口食べた後、
「本当にごめんなさい」
といって稽古場を飛び出した。
病院に着くと看護師に呼び止められた。
心電図をつけなければならないというが、そんなことをすれば病状がわかってしまう。
「心電図つけなくちゃいけないんですか?」
「ごめんなさいね。
ほんとは必要ないんだけど、今日は人手が足りなくて」
「えーそんなぁ」
打ち合わせ通りにやりとりすると服部春治は
「しのぶ、いいんだよ。
病院にも事情があるんだから」
作戦は成功した。
翌朝8時、稽古場に向かわなければならず
「じゃ、いってくるね」
「ちょっと待って。
そこの引き出しの中をみて」
服部春治にいわれて引き出しの中をみるとラッピングされた箱があり、開けるとカルティエのペンダントが入っていた。
「誕生日おめでとう。
自分で買いに行けないから姪っ子に頼んだんだ」

入院10日目、大竹しのぶは「奇跡の人」のプロデューサーと演出家、テリー・シュライバーに事情を説明し、1日2回の稽古を1回してほしいと頼んだ。
すると
「これは人に命を吹き込む芝居です。
この芝居をすることであなたにも観ている人にも命が与えられるのです。
だから頑張りましょう」
といわれた。
それから間もなく服部春治はモルヒネ注射が必要な状態になり、医師は
「会わせたい人がいるなら今のうちに会わせてあげてください」
といい、それまで事情を知らされなかった服部春治の母親や仕事の関係者が病室へやって来た。
大竹しのぶは、一睡もしない日が続き、夜、病室で服部春治の手を握っていると周りがグルグル回って、2人だけ静止しているような不思議な感覚に陥ったこともあった。
最後の夜、危篤状態になったときも強く手を握り締め、息を引き取るのを見届けた。
そのとき二千翔は、
「泣いちゃダメよ」
といいながら祖母や叔母のホッペを叩きながら病室を歩き回っていた。

こうして服部春治は47歳でこの世を去った。
告別式のとき、祭壇の前で二千翔が
「お父さん、飛んできて」
といったので
「飛んできてくれた?」
と聞くと
「ここにいるよ」
といって自分の胸をトントンと叩いた。
それから時折、遠くを見つめるような目をしていた二千翔が、あるときポツリといった。
「今日、お父さん、お空にお家建てたね」
そして不思議なことに眉間の、服部春治と全く同じ場所にホクロができた。

服部春治の告別式から1週間後、大竹しのぶは「奇跡の人」の舞台に復帰。
それを観にいった明石家さんまは楽屋を訪れ、
「カーテンコールのとき、表情みてわかりました。
もしかしたら大竹さんに仕事をさせるために服部さんはいなくなったのかもしれない。
あんたはずっと仕事をしていく人なんや」
といった。
明石家さんまは、何度かお見舞いにいったが、自らの死期が近いことを悟った服部春治から密かにいわれた。
「僕がいなくなってから、しのぶのことを面倒みてやってくれ」
一方、大竹しのぶは、服部春治の死後、夜になると涙がこぼれて眠れなくなった。
睡眠薬を飲んだこともあったが、すると今度は朝起きられなくなり、あるとき
「起きて、起きて」
と必死に叫ぶ二千翔の声で目が覚めた。
父親を失った息子が朝、目覚めない母親に恐怖にかられたのをみて
「どんなことがあっても薬は飲んではいけない」
と誓った。
そして夜、眠れないと強い孤独感を紛らわせるために友達に電話。
しかしいくら親しい友人でも毎晩かけるわけにはいかなかった。

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