大竹しのぶも、正義感に燃えて、先頭に立って何かをするのが好きだった。
「小さな親切」運動で農家をしている同級生の家からリアカーを借り、
「廃品回収にご協力ください」
と叫びながら町内を回ったり
「私たちの力でビアフラ(独立後、凄惨な戦争をしていた国)をなんとかしなくちゃ」
といって毎週日曜日、街頭募金に立った。
かなりのお金が集まって、得意顔で教師の報告したが
「募金をするには許可がいるんだから、そんなことしちゃいけません」
と怒られ、そのいい方にショックを受けた。
「もう少し子供の気持ちを汲んでくれても・・・」
クラスで話し合った結果、文化祭の出し物が「リア王」に決定。
脚本と演出を任された大竹しのぶは、毎日、放課後、図書館に居残りして、原作からストーリーとセリフを抜粋していった。
1週間後、脚本が完成したが、せっかく全員が出演できるようにつくったのに、出たくないという男子が現れ、帰ろうとした。
大竹しのぶは許せず、追いかけてカバンを取り上げ
「みんなで練習してるんだから戻りなさいよ」
演出家として、配役は自分が独断で決めるのではなく投票で決めることにした。
結果、コーデリア王女役に選ばれた。
脚本家、演出家、そしてリア王に最も愛される末娘、コーデリア役とほぼ独壇場。
目立ちたがり屋の本領を発揮して張り切って練習。
結果、「リア王」は絶賛を浴びた。
東京にいる親せきが仕事を紹介してくれた。
それは病弱な父親でもできる倉庫の仕事で、家族で住める寮もついていた。
「清貧で自然を愛し神の前で平等」
というキリスト教の言葉が好きな父親は自然豊かな土地から離れたくなかったが、母親に
「だったら離婚してください。
子供を連れて東京に行きます」
といわれ江戸川区へ引っ越し、椅子に座って本を読みながら倉庫番の仕事をした。
中3で転校生となった大竹しのぶは環境の変化に
「自分の居場所がない」
「エネルギーを発散する手段がない」
悶々と日々を送っていたが、スポーツ万能、成績優秀というクラスで1番モテていた男子と初デートを体験。
一緒に下校して、途中、公園でおしゃべりするだけだったが、恋人気分を味わった。
中3の秋から始まった清い交際は高校へ進学すると自然消滅した。
1973年、大竹しのぶは、
都立高校の1年生のときに欠かさずみていたオーディション番組「スター誕生!」から、森昌子、桜田淳子、山口百恵が「花の中三トリオ」として大ブレイクするのをみて
「自分より1コ下の中学生がスターになってる」
と驚き、
「私も「スター誕生!」に出たいなあ」
と思った。
人気アイドルグループ、フォーリーブスのリーダー、北公次が初主演するドラマ「ボクは女学生」で、北の相手役が一般から募集されているのを知ると妹と一緒に応募し、オーディションを受けた。
5700人中11人の合格者の中に入ったが、与えられたのは女子生徒役で、大勢いる脇役の1人だった。
撮影はすぐに始まると聞いて
「なるべく学校を休まないでいいようにしてください」
と頼んだが、聞き入れてもらえず、中間テストまで学校を欠席しなければならなくなった。
「こんな生活を送っていていいのだろうか?」
と悩んでいると脚本家に
「プロダクションに入った方がいいよ」
とアドバイスされた。
いわれるがまま芸能事務所に入り、テストがあると訴えたが無視され、嫌気がさして
「ドラマの収録が終わったらやめる」
と決めた。
しかしそんなことは知らない事務所は、映画のオーディションを受けるように指示。
所属している以上、従わねばならず、学校を休んで会場へ。
映画の名前は「青春の門」
田中健演じる主人公の恋人、牧織江役のオーディションだった。
面接審査で
「ちょっと横を向いてみて。
うん、横顔は浅田美代子に似てなくもないな」
といわれ、イヤイヤ受けていたのにうれしくなってしまった。
数日後、事務所から面接に通ったことを知らされた。
こうして無名ながらヒロインに抜擢され、それから1ヵ月間、吉永小百合、仲代達也、小林旭らと一緒に九州で撮影。
東京に戻った後も学校に通いながらスタジオ撮影を行った。
1974年12月、ラブシーンの撮影があった。
ラブシーンどころか、まだ男の子と手をつないだこともなかった17歳の大竹しのぶは、シーンと静まり返るスタジオで服を脱いで裸になって田中健と抱き合った。
「青春の門」の撮影をしているとき、事務所の指示でNHK朝の連続テレビ小説「水色の時」のオーディションを受けて合格。
NHK朝の連ドラ、最年少ヒロインとなった。
週5日、東京でリハーサルか長野で撮影があった。
長野県の日は学校に行けなかったが、東京の日は、1度も遅刻せず高校3年生として登校。
3時間目の授業が終わるとダッシュで渋谷のNHKのスタジオへいき、24時までリハーサル。
大竹しのぶは、「青春の門」と「水色の時」の演技で、ブルーリボン賞、テレビ大賞の新人賞を獲得した。
ドラマ、映画、NHKドラマに続き、CM[も初体験、
初にして1975~1983年まで起用され、自己最長となる風邪薬の「ルル」のCMは、毎年、1週間かけて撮影された。
結局、まともに高校に通ったのは1年生の途中までだったが、3年生はイベントで熱くなった。
文化祭では、クラスで20分間の短編映画を作成。
シナリオから主題歌まですべてを生徒でつくり、大竹しのぶは主人公を演じた。
「これが私の記念すべき初主演映画」
クラスで合唱祭の曲を決めるとき、「流浪の民」を提案。
ロベルト・シューマン作曲の4重唱、かつ
「宴寿(うたげほが)い賑わしや」
「女立(おみな)ちて忙しく」
「厄難(なやみ)祓う祈言(ねぎごと)を」
「語り告ぐる嫗(おうな)あり」
「愛(めぐ)し乙女舞い出(いで)つ」
「東空(ひんがし)の白みては」
など訳詞が文語体(古い時代の言語)という難しい曲だったが、
「ありきたりの選曲じゃなくて、レベルが高い歌にした方が絶対にみんなビックリすると思います。
きっと優勝できるはず。
だからコレにしよう」
と熱弁。
「そんな歌知らねえよ」
「なにいってるんだよ」
と反対意見も出たが
「練習すれば大丈夫。
私を信じて」
と説き伏せた。
大竹しのぶは、ソプラノのソロも担当することになった上、提案者として練習を仕切り、放課後になると率先して机を片づけてスペースをつくって
「サッ、練習しよう」
みんなの前で担任に
「先生、もし優勝したら私たちの合唱曲をレコードにしてくれませんか?」
と約束を取りつけてモチベーションを高め、本番前日、
「みんな、家から白いシーツを持ってきて。
制服で歌うのはつまらないでしょ。
シーツを衣装にして歌おう」
といい、当日、全員が白いシーツを巻いて肩に赤いバラをつけた。
結果、優勝。
しばらくして担任は1ヵ月分の給料を使って、生徒1人1人にソノシート(塩化ビニール製の薄くて柔らかいレコード)を贈った。
短大に進学した春、映画「天保水滸伝、大原幽学」、ドラマ「たぬき先生騒動記」をかけ持ちしていたところ、さらにレコードデビューが決定し
「ウソでしょ?」
と驚いた。
それは阿久悠作詞、大野克夫作曲の「みかん」という曲だった。
東京のスタジオで深夜までドラマの収録。
それから車で千葉に向かって、翌日、映画のロケ。
ほとんど寝られない中、カメラマン助手に
「アンパンマンみたいな顔でカメラの前に立たないんで欲しいんですけど」
といわれ、
「グサッと来た」
ドラマと映画の合間に「みかん」で歌番組に出たり、キャンペーンで各都市を回った。
あまりの忙しさに気持ちに余裕がなくなっていき、ある日、1人で夜道を歩いていたとき空を見上げるとタメ息が漏れた。
そこにはキラキラと星が輝いていて
「私、星をみる余裕もなかったんだ。
こんな生活やめなくちゃいけない」
翌日、事務所に
「辞めさせてください」
しかし許されなかった。
恋愛や男子とは、まったく縁がなかった。
短大の親友、メグとマコも同じで、コンパで即席カップルが消えていくと
「フケツー」
「許せなーい」
とささやきあっていた。
そんな中、「若きハイデルベルヒ」という舞台が始まって間もなく、恋人役の歌舞伎役者、2歳上の中村勘九郎から
「近いうちに絶対、一緒に遊びに行こうよ。
しのぶちゃんはどこ行きたい?」
と誘われ
20歳の大竹しのぶは一瞬ためらった後、
「遊園地」
「じゃあ、お芝居のオフの日にいこう。
明後日はどう?」
こうして中3以来、5年ぶりのデートすることが決定。
約束をしてしまったものの、2人きりで遊園地に行くことを想像すると気が重くなった。
「ボーイフレンドでもない男の人と2人きりで会うなんて常識から明らかに外れている」
かといって断るのも悪いので、
「メグかマコを連れていこう」
当日、勘九郎は、弁当と称してお手伝いさんが詰めたお重を持参。
それがかさばったため、待ち合わせ場所からタクシーで谷津遊園地へ。
到着すると3人で観覧車に乗って食べた。
大竹しのぶは「若きハイデルベルヒ」のラストシーンで勘九郎に
「あなたが殿下なのね」
といいながら造花を渡していたが、最終日に
「本物のお花をあげたい」
と白いトルコ桔梗を買っていった。
それを受け取った勘九郎は、枯れるのを恐れて冷凍庫に入れた。
奇妙な3人デートはメグとマコが入れ替わりながら続き、後楽園や豊島園、いろいろな遊園地を巡った。