劇団ひとり  喜劇と悲劇は紙一重

劇団ひとり 喜劇と悲劇は紙一重

高校生のとき、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の素人参加企画に応募し、テレビ初出演。そのままプロの世界へ。ハードボイルドに生き抜いた若手時代。


昼は、建設業やファストフード店でアルバイト、夜は高校という生活を送っていた高校時代。
ある日、「ごっつええ感じ」を観終わり、フジテレビから日本テレビにチャンネルを替えると「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の高校生がネタを競い合う「お笑い甲子園」の出場者募集の告知が流れた。
10秒くらいの映像だったが、面白半分で友人とハガキを出した。
するとテレビ局から連絡があってオーディションを受けることになり。
「最近は熟女ヌードが流行ってるね」
「あんなババアが脱いで気持ち悪ぃな」
という悪口から
「俺も有名人になりたいな」
「どんな人になりたい?」
「やっぱりC.C.ガールズかな」
「おい、俺がいってるのはなりたいだよ。
それは「やりたい」だろ」
という下ネタまで、生まれて初めてつくった1分程度のネタで合格。
「バーテックス」をいうコンビ名でテレビ初出演を果たし、「お笑い甲子園」関東代表に。
何度か「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に出演しているうちに
「お笑い、本気でやるなら紹介するよ」
といわれ、太田プロダクションに入った。
しかし相方は
「トラックの運転手をやりたい」
といったため、「バーテックス」は解散。
別の友人を誘って新しく「スープレックス」というコンビを組み、千葉県の実家から新宿区四谷にある「泣く子も黙る太田プロ」まで片道1時間かけて通った。

太田プロに入ると、まず
「ネタ見せに出るように」
といわれた。
太田プロは月1回、ライブを開催していて、ネタ見せは、その予選。
ネタ見せに2回合格すると、太田プロ主催のライブに出られるというシステムだった。
ネタ見せは、狭い会場に数十組の芸人が集まり、中央のわずかなスぺースで数分のネタをみせ、演出家や放送作家から
「声が小さい」
「オチが弱い」
「下ネタはいうな」
「滑舌が悪い」
「目が死んでる」
などアドバイスとダメ出しをもらう。
彼らに
「じゃ、また来月」
といわれたら不合格。
「じゃ、また来週」
といわれたら1次審査合格。
さらに2次審査を通るとライブ出演となる。

ネタ見せ会場に芸人が集まると
「周りは全員敵」
他の芸人が面白くても笑わないが、ネタをトバしたり、かんだり、ミスをすると遠慮なく失笑するという異様な雰囲気。
スープレックスも初めてのネタ見せで必死につくった3分の漫才は、失笑だけだった。
その後もネタ見せを受けては落ちるを繰り返し、1度も合格することができなかった。
そんなときに他の芸人に、
「別のお笑いライブのネタ見せがある」
と誘われた。
そのネタ見せ会場は新宿歌舞伎町の裏手にある公園。
参加者は5組で、全員のネタ見せが終わると、主催者の男は
「ウン、面白い。
全員合格!!」
参加者はみんな手を取り合って喜んだが
「ライブの参加費は1人3000円ね」
といわれ、一気に冷めた。
それでもライブに出たいのでお金を払った。
ライブ当日、会場は郊外のマンモス団地の中に建つ公民館。
主催者の男の指示で出演者たちは
「お願いします」
「500円です」
と団地を回って30人ほど集客したが、
「結果は散々で、500円でもボッタクリといわれる筋合いの内容だった」
数ヵ月後、再び公園でネタ見せがあり、前回に比べて倍近くの芸人が集まったが、やはり
「ウン、面白い。
全員合格」
違ったのは
「参加費は1人5000円ね」
と値上がりしたことと、ライブが開催されなかったことだった。

太田プロのネタ見せは、なかなか受からなかった。
初めて1次審査を通過するのに数ヵ月、2次審査を通るのに半年以上かかった。
初めてライブに出ることになり、当日は早朝から新宿のライブハウスの近くにある寺で必死に練習。
出番が来て、ステージに立つ司会者にコンビ名を呼ばれると無我夢中で出ていき無我夢中で漫才。
「最近の女子高生はよ、こんな短いスカートはいちゃてんだよな」
「ああ、確かに短いね」
「それがよお、自分で短いスカートはいてるくせに階段とかで隠すんだよな。
馬鹿野郎。
やらせろ馬鹿野郎」
必死につくって必死に練習したネタだったが、50人ほどいた客席は誰も笑わず静まり返っていた。

その後もときどき太田プロのライブに出演したが、それはあくまで「新人コーナー」
「勉強させてもらっている」
という身分なのでノーギャラ。
初ギャラは、2時間ドラマのエキストラだった。
脱サラした中年の落語家がお笑いコンクールに出場するというドラマで、コンクールの出場者役として数十人の若手芸人が集められた。
プロとしてテレビでネタをやるのは初めてなので、毎晩公園で気合を入れて練習。
撮影当日、
「お願いします」
スタッフから声がかかると芸人たちは一斉に移動。
横一列に並んで立つと前にレールが敷かれてあった。
「よーい、スタート」
監督がいうと
「はい、どーも」
と練習してきたネタを開始。
隣の芸人も、その隣の芸人も、全員がしゃべり出した。
するとレールの上をカメラが移動し
「はい、オッケー」
自分が映ったのは一瞬で数日間の練習は何だったのかと肩を落としながらスタジオを後にした。
数週間後、事務所に行って給料袋をもらった。
入っていたのは2000円。
スタジオまでの交通費と事務所までの交通費を引くと赤字だったが、地元、千葉に戻って友人とファミレスへ。
支払いのときにわざわざ封筒を取り出して
「ギャラで払おうかな」
自分のセリフがたまらなかった。

他の事務所のライブに呼ばれても、ギャラは2000円くらい。
しかもそれが毎日とか週数回というわけではなく月に数えるほどしかない。
ギャラが出る仕事は少ないくせに、ネタ見せやライブの手伝いなどはたくさんあるので、できるアルバイトは限られた。
そんな苦しい状況で助かるのが「営業」だった。
学園祭やデパートなでのイベントに行ってなにかやれば、新人でも数万円のギャラがもらえ、月に数本の営業があればバイトをしなくてよかった。
しかしそういう仕事はツラい現場が多かった。
成人式で若者の前で必死にネタをすると、笑うどころか、
「わー元気」
「久しぶり」
と旧友との再会で盛り上がってみてもらえない。
「誰もみてないですね」
と自虐ネタすら黙殺された。
会社にいわれて埼玉県の地方の駅にいくと黒服の男たちにハイエースに乗せられ、しばらくすると舗装されていない山道を走り出した。
「山奥で殺されるんじゃないか」
と不安になったが、やがて真っ暗な山奥に突如、怪しいビルが現れた。
その中の飲み屋の小さなステージが現場だったが、目の前の数十人のホステスはみんな東南アジア系のニューハーフ。
それに対して日本人の客は数人と圧倒的に少なかった。
ネタを始めると
「日本語ワカラナイヨ」
「ユックリ、シャベッテヨ」
と片言の日本語でリクエストが飛んできた。
それに応えてゆっくり丁寧にやっていると180㎝はある大柄なニューハーフが
「アー、Sexシタイネ」
さすがにそれには応えられなかった。
同じ飲み屋でもカウンターしかない店での営業では、バーテンと一緒にカウンターの中に立った。
客は男が1人だけいて、ウイスキーを静かに飲んでいる。
「なに?」
「あ、いや、僕ら芸人なのでネタをみてほしいんですが・・・」
「・・・・うん」
「はい、どーも。
いやいや最近はですね・・・」
50㎝ほどの至近距離で行われる漫才を、男はグラスの中の氷を見つめながら聞いた。


1人暮らしなどする余裕はなく、ずっと千葉の実家に住んでいたが、終電を逃すと3000円を払ってサウナの仮眠室で100人くらいの男たちと一緒に雑魚寝。
少し割高になるが、カプセルホテルに泊まるときもあり、1畳ほどだが個室であることは大きく、中にビールとつまみを持ち込んで、備え付けのテレビをイヤホンで楽しんだ。
100円を払うと有料チャンネルも観れるということで、少し恥ずかしかったが受付にいってお金を払った。
イヤホンをつけて観ていると、ナンパものが流れていて、街で女性を探していたAV男優が
「発見!」
といって道の向こうに走っていこうとしたが転倒。
道端の草むらに頭から突っ込むのをみて思わず笑ってしまった。
深夜なのであわてて口を押さえたが、上下左右、周囲のカプセルから笑い声が聞こえた。
女好きで、キャバクラ、風俗に通いつつ、結婚相手を探す合コンにも参加。
告白から別れまで大好きな恋愛の妄想をしつつ、様々な演出を行い、口説き文句は、
「今夜は劇団ふたりになっちゃおうか?」
同じ芸人のはなわに来たファンレターを盗み読み、そのエロい内容をみて差出人の女性に連絡して関係を持ったり、彼女の実家で彼女の下着をつけて家の中をウロウロして
「お義父さん、お義母さんに見つかるかも」
とスリルを楽しんだり、デリヘルを利用した事を根本はるみにラジオでバラされて彼女にフラれたりした。

事務所の先輩にダチョウ倶楽部がいた。
芸人として存在があまりに大きく、年齢も2回りも違うため、なかなか近づくことができなかったが、ラジオを見学しにいって、その打ち上げで距離が縮まった。
飲み会が始まって最初は恐れ多くて話せなかったが、思い切って悩みを打ち明けた。
「実はインポなんです」
「ハハハッ。
そうか。
お前いいヤツだな」
これで一気に打ち解けて、上島竜平の草野球チームや飲み会にも参加。
野球のチーム名も飲み会の名前も「竜平会」だったが、飲み会には交通費片道分だけを持って参加。
腹いっぱい飲み食いし、帰りはタクシー代をもらい、アッという間に体重が10kg増えた。
飲んでいて上島竜兵が
「アッ、この風景みたことがある。
デジャブ」
といおうとして
「アッ、この風景みたことがある。
アジャパー」
というのは聞き流したが、2軒目にマジックバーにいき、テーブルマジックをみてみんなが驚いている中、
「俺、今のなんかタネがあると思うな」
と当たり前のことを何度もいわれると
「ちょっと黙ってろよ」
と注意した。
上島竜平と劇団ひとりは「男はつらいよ」の大ファンで
「でもよ。
寅さんもかわいそうだよな」
「あの人、素直じゃないですからね」
と寅さんに同情して号泣する2人をみて、枝豆を運んできた店員は必死に笑いをこらえた。
また上島竜平と劇団ひとりは共に泣き芸が得意。
劇団ひとりの泣き芸はメンタームのリップクリームを直接目に塗るという仕込みが必要で、あまりにウケてあまりにやりすぎたために目の調子が悪くなり、医師からドクターストップがかかったこともある。

オゴッてもらってばかりなので、上島竜平の誕生日に若手でお金を集め、DVDプレーヤーと「男はつらいよ」のDVDセットをプレゼント。
上島竜平は嬉しそうに持って帰ったが、数日後の深夜、電話がかかってきた。
「あのよ、DVDがつなげなくてさ。
困ってんだよ」
(面倒だな)
と思いつつ、断ることもできず自宅へいき
(どうしてこんなことができないんだ)
と思いながら、赤白黄の3本の線をテレビに挿して作業終了。
「悪いねえ。
せっかくだからみていけよ」
上島竜平はそういって、ビデオで「北の国から」を再生。
それもいきなりクライマックスシーンだけを流して
「なっ感動するだろ?」
劇団ひとりには、田中邦衛がなぜ鮭を持っているのか、そして上島竜兵がなぜDVDを使わないのかわからなかった。
後に大沢あかねと結婚するとき
「お世話になってる竜平さんに」
と保証人を頼んだが、上島竜兵の歯切れが悪いので
「何か不都合でもあるんですか?」
と聞くと
「いや、それってさ。
あの、もしもさ、2人が離婚とかしたときに俺が慰謝料払ったりするのかな?」
と気まずそうにいうのをみてあきれた。
「いい歳なのにいい加減で無責任で情に厚い。
そんな大人になりたいかといわれると決してなりたいとは思わないけど、みてる分には憧れる」

「スープレックス」がライブで人気を得ると、少しずつテレビの仕事も入ってきた。
ワイドショーの中で使われる再現VTRの仕事が入り、さまざまなロケーションでさまざまな角度からワンカットずつ撮影するという未知の世界を体験。
たとえ再現VTRといえども、真剣に行われる撮影の雰囲気に必死に演じていたが
「次のカット、オッパイなめの彼氏!」
とADがいい、淡々とセッティングが始まると
(オッパイをナメる?)
と驚愕。
誰にも相談できずに緊張し、戸惑う自分に比べ、堂々としている女優をみてさらに驚いた。
最後に
(よし、思い切りなめよう)
と決意したが、「なめる」とは、「対象物越しに撮影する」ということで、「オッパイなめの彼氏」とは「女優の胸越しに男を撮る」ということだということを知るとガッカリ。
その後、ずっと
「オッパイなめたい」
と思いながら撮影をしていた。

「ボキャブラ天国」で若手お笑い芸人が次々とブレイクする中、「スープレックス」も出演すべくオーディションを受けたが落選。
それでも空前のお笑いブームによって学園祭などのイベントに引っ張りダコ。
そういった仕事で確実に人気を獲得し、舞台に立てばワー、キャーいわれ、仕事が終わり劇場を出ると多数の出待ちがいて、事務所にファンレターが山のように送られてくるようになった。
太田プロのライブも「新人コーナー」を卒業して「本出場」できるようになり、ギャラも発生。
そして正式に太田プロの所属タレントになった。
タレントの給料は、

・会社のように決まった額の固定給をもらう「給料制」
・働いたら働いた分だけもらえる「歩合制」

があり、売れる前は「給料制」、売れたら「歩合制」というのが一般的。
このときの固定給は月5万円だった。
まったく同時期、猿岩石も太田プロの所属タレントとなった。
関東芸人としては、アンタッチャブル、ふかわりょう、劇団ひとり、オアシズ、アンジャッシュ、ハリウッドザコシショウなども同期で、ライブや営業、オーディションで一緒になることも多かった。
(関西ではココリコ、中川家、ケンドーコバヤシ、藤井隆、陣内智則などが同期)

1996年3月、
「半年間スケジュールが白紙であること」
という募集条件で内容は明かされないまま、バナナマン、TIMらと共に番組オーディションを受けたが、最終的に選ばれたのは猿岩石だった。
その番組は
「みたいものをみる。
したいことをする。
会いたい人に会う」
という3つのコンセプトのもと、さまざまな無茶に挑戦するバラエティ番組「進め!電波少年」だった。
4月13日、猿岩石の2人は、アイマスクと大音量のヘッドホンをつけられて香港島に連れていかれた。
これが初めての外国だったがいきなり
「これから香港からロンドンまでヒッチハイクで行ってもらいます」
といわれ、「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」が始まった。
アジアは、香港、中国、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、インド、ネパール、パキスタン、イラン、トルコ。
ヨーロッパは、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、フランス、イギリス。
有料の乗り物の使用は禁止。
移動はヒッチハイクと徒のみ。
野宿、絶食当たり前。
あるときは山を登り、あるときは川を渡り、あるときは砂漠を越える「香港-ロンドン ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」旅は、社会現象的人気を獲得した。

劇団ひとりは、その活躍がうらやましくて仕方なく、猿岩石の人気が高まるほど嫉妬心は増幅。
そんな中、突然、ゴールデンタイムの特番への出演オファーが舞い込んだ。
企画名は「新人のお笑いコンビが世界各国を貧乏旅行」
完全に猿岩石のパクリ。
同期のパクリ番組に出るのは惨めだったが、
「2番煎じがブレイクするかもしれない。
全力でニセ猿岩石になる」
と気持ちを切り替えた。
そんな強い決意とは裏腹に、世界一周といいながら香港、インド、ロンドン、ニューヨークを飛行機を使って1週間で回るという中途半端な企画内容で、1週間のうち、ホテルに泊まれたのは2日だけで、その他は飛行機で睡眠。、
香港ではヘビの生き血を飲み、インドでは喋る木をみにいき、ロンドンでは腹の上にタランチュラを乗せ、ニューヨークでは空手ができるという猿に腕を噛まれて出血。
猿岩石の足元にも及ばなかった。

結局、スープレックスは6年で解散。
新しい相方が見つからない中、タレントの優香が一般公募で芸名を決めたことを知り、インターネットの掲示板に
「僕の芸名を決めてください」
と書き込んだ。
100件ほど反応があり、その中で「カツカレー」が気に入り、太田プロに新しい芸名として伝えると
「未来がみえない」
と却下された。
次に自分で考えた
「波打際立夫(なみうちぎわたちお)」
を提出するも
「意味がなさすぎる」
と却下。
先輩であるデンジャラスの安田和博に相談し
「好きな俳優とかいる?」
と聞かれ
「ロバート・デ・ニーロ」
と答えたところ
「炉端出二郎(ろばたでにろう)」
を提案してもらったが、これも却下。


「自分が演じるキャラクターを劇団員として、それを1人で演じる」
という意味を込め
「劇団ひとり」
がしぶしぶ認められた。
ピンになって困ったのは誰もツッコミを入れてくれないこと。
例えば女子アナウンサーに
「パンツみせて」
といったとき、相方が
「変態か」
とツッコんでくれれば、ウケるかウケないは別として話は成立する。
しかしボケだけだと本当の変態で終わってしまった。
そうならないように
「パンツみせて・・・・なんちゃって」
と自分で自分にツッコミを入れると、さらに変態になってしまった。

またコンビを解消すると収入がゼロになったので、アルバイトを開始。
引っ越しのアルバイトではハードな作業に始まって1時間もしないうちに嘔吐。
年下から
「テメエ、そんなもん、客にみられたら殺すからな」
と怒鳴られ、半泣きで
「すいません」
その後もアゴで使われ、帰宅途中、コンビニで発泡酒を買って道端で飲みながら
「俺のサクセスストーリーはここからはじまった」
と自分でナレーションをつけた。
交通警備員のアルバイトでも赤い棒を振りながら止まった車に
「すいません」
と頭を下げたが、謝る相手がいるうちは、まだ楽だった。
まったく車が通らない現場ではずっと立っているだけで
「俺は何をしてるんだろ」
と自分の存在が無意味に感じ、むなしい気持ちになった。
そして交通量が多い現場に入ると張り切って働いてしまい、帰りはむなしい気持ちに。
やがて
「暇はつらいんだ」
と気づき、1人でシリトリをしたり、目を開けたまま寝ようとしたり、過去1週間食べたものをすべて思い出そうとしたり、とにかく暇を潰そうとした。
1番のヒットは、頭の中で「ミッション:インポッシブル」のテーマを鳴らしながら、その家の住人や通行人、現場作業員に見つからないようにしながら、家の玄関の前に置いてある猫除け用のペットボトルの水を捨て、公園で新しい水に入れて戻すという遊び。
水を捨てているときに住人が出てきて、あわてて戻し、水が半分になったペットボトルのすぐ横を住人が歩いていくという映画さながらのシチュエーションもあり、ドキドキしながらミッション完了に1時間以上かかった。

ピンになって初めての仕事は、日光江戸村に遊びに来た男女からカップルを誕生させるというイベントで、約1ヵ月半、集められた数十名の芸人と一緒に江戸村近くの寮に泊まり込んだ。
そして朝、バスに乗って村に着くと、まず着替え。
顔を真っ白に塗り、白い着流しを来て、背中に羽を背負って「和天使」となる。
仕事は、男女をめぐり合わせて、初対面で緊張する2人の会話を盛り上げること。
カップルを成立させるとボーナスとして園内で100円で販売されている「おひねり券」を大量にもらえた。
しかし人見知りの劇団ひとりは、初対面の2人と会話が続かず、無言で下を向いてしまい、気まずい空気が流れた。
かといってサボっていると怒られるので園内を駆けずり回って仕事をしているフリをした。
成立したカップルは、夜になると江戸時代の拷問を再現した施設の中を歩いて肝試しを行う。
芸人たちは天使の衣装を脱ぎ捨て、ボロボロの着物を着て、石の上に正座させられたり、三角木馬の上に乗せられ、カップルを驚かせた。
劇団ひとりは、暗闇の中、青白く塗った顔で苦悶の表情をして人形の横に微動だにせず立ち、カップルが至近距離に来るまで我慢した後、叫び声をあげながらかけよった。
多いときは1日に100回くらいやることもあったが、驚かないカップルは皆無。
そのうち
「ひょっとしたら大きな声に驚いているだけで、いっている内容まで聞いてないのでは?」
という疑問がわき、思い切って
「青い空」
「エビドリア」
などと叫んでみたが、驚かないカップルはおらず、勝率は100%、無敗のままだった。


その後、しばらくして長野放送の「土曜だ!ぴょん」で、ピンとして初めてレギュラー獲得。
毎週土曜、夕方の生放送番組で、リーゼント、サングラス、スカジャン、そしてウサギの耳をつけ、いろいろな場所から生中継レポート。
その後、ピンとして芸の模索が続き、現在の基本姿勢は
「人生は近くでみると悲劇だが、遠くからみると喜劇である」
という喜劇王、チャールズ・チャップリンの言葉を少しアレンジし
「喜劇と悲劇は紙一重」
事実、自虐ネタは圧倒的な破壊力を持っている。

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