はじめに
1979年から1982年頃までテレビの演芸番組を中心としたお笑い(漫才)ブーム。この期間を「漫才ブーム」と言ったり、この時に活躍した芸人たちを「お笑い第二世代」と言ったりしています。
しかし「漫才ブーム」と「お笑い第二世代」はほんの少し時期がずれるようです。
まず「漫才ブーム」は1980年代前半の「花王名人劇場」や「THE MANZAI」が起爆となり漫才のブームとなりました。この後に「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも!」などの番組でたくさんのお笑い芸人たちが人気となりました。このひょうきん族や笑っていいとも!で活躍した芸人は主にコントグループやピン芸人で、彼らを「お笑い第二世代」と称すようです。
漫才ブームとお笑い第二世代
漫才ブームの仕掛け人として名が挙がるのが、朝日放送テレビマンの澤田隆治です。
関西で培ったお笑いの知識や人脈を生かして演出・プロデュースを担当したのが「花王名人劇場」(関西テレビ・フジテレビ系)でした。この番組で放送した横山やすし・西川きよし、B&B、星セント・ルイス出演の「激突!漫才新幹線」がヒットします。
またもう一人ブームの仕掛け人として名が挙がるのが、フジテレビテレビマンの横澤彪です。
彼は「THE MANZAI」で、漫才コンビが漫才を披露するというシンプルな番組を従来の古臭い演芸番組のスタイルを捨て、舞台セットをポップなものにしたり、出演者はベテラン勢を1~2組程度に留め若手コンビを中心にしたりと、若者にも受け入れられるテレビ向けの漫才の確立に成功しました。
この二番組をメインとして漫才のブームが起こったのですね。そして漫才コンビだけでなく、若手芸人たちがぞくぞくとテレビに起用されたのが「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも!」になっていきます。
「オレたちひょうきん族」ではコントや小芝居、「笑っていいとも!」ではクイズなどの進行を芸人が務めるなどしました。この時ブレイクした芸人をお笑い第二世代と称するようです。
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漫才ブームで名が挙がる芸人
たった1,2年だった「漫才ブーム」でしたが、このとき関西芸人と関西弁が広く認知されたのでした。そしてブームで人気を集めた芸人たちがこちらです。
B&B(島田洋七 島田洋八) 1975年結成
島田洋七が、相方を4度変えたコンビ名で、洋八とは三代目B&Bとなる。
「お笑いスター誕生!!」で初代グランドチャンピオンとなり、漫才ブームの火付
け役となりました。漫才師で初めて全国ネットのレギュラー「笑ってる場合で
すよ!」の総合MCを務めたのも彼等です。
ツービート(ビートきよし ビートたけし) 1972年結成
改名に次ぐ改名でツービートとなり、下積み時代を経て「ライバル大爆笑!」で
テレビ初出演を果たします。いままでとはスタイルの違う新世代の漫才師を
一つのムーブメントとしてはじまった「THE MANZAI」に出演。
島田紳助・松本竜介 1976年結成
京都花月の中席でデビュー。NHK上方漫才コンテストで優秀敢闘賞を受賞。
「THE MANZAI」に出演し漫才ブームを牽引しました。当時は若い世代にだけ
受ける漫才」を目指し、リーゼントヘアにつなぎの作業着という不良少年
ファッションで「ツッパリ漫才」をしていました。
横山やすし・西川きよし 1966年結成
京都花月で初舞台を踏みます。演芸ブームで世に出て人気者になり、漫才ブーム
では東西のリーダー格として頂点に達しました。
やすし・きよし
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星セント・ルイス 1971年結成
ツービートらを抑えてNHK漫才コンクールで優勝。社会風刺をネタにした独特の
漫才で一躍人気漫才コンビとなりました。オープンシャツにノーネクタイ、
革ジャンやタイトなマンボズボン、ダービーハットにブーツといったファッショ
ンで新進の漫才コンビが古臭い漫才師の服装を改めるきっかけとなりました。
今いくよ・くるよ 1970年結成
島田洋介・今喜多代に弟子入りし、うめだ花月で「スエ子・正子」のコンビ名で
出演しました。鳴かず飛ばずの2人でしたが「花王名人劇場」でくるよのお腹を
叩くところがウケ、放送後からテレビやラジオその他からの出演依頼が殺到し、
本格女流漫才師として日の目をみました。
おぼん・こぼん 1965年結成
大阪福島商業高校の同級生でコンビを結成し、学生漫才師としてデビュー
しました。デビュー当時はうめだ花月などに出演。「お笑いスター誕生!」で
グランプリを受賞、「花王名人劇場」などに出演していました。
おぼん・こぼん
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オール阪神・巨人 1975年結成
岡八朗門下で巨人は1974年に、年下である阪神は1975年に弟子入りしました。
ブレデビューしたのは「ヤングおー!おー!」で「高田・南出」と言うコンビ名で
でした。今のコンビ名は「ヤングおー!おー!」での一般公募により決まった
ものです。漫才のスタイルは正統派のしゃべくり漫才です。
ザ・ぼんち(ぼんちおさむ 里見まさと) 1972年結成
ともにタイヘイトリオに師事しコンビ結成。なんば花月中席で初舞台を踏みま
した。「花王名人劇場」や「THE MANZAI」などに出演し、たちまち全国的な
人気を獲得しました。
ザ・ぼんちと西川のりお・上方きよし
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西川のりお・上方よしお 1975年結成
映画「ブルース・ブラザース」のように黒いスーツ、ネクタイ、靴、サングラス
ソフト帽の出で立ちで漫才ブームの人気漫才師となりました。ブーム後もお笑い
第二世代とともにテレビで活躍しました。
太平サブロー・シロー 1976年結成
漫才トリオ・レツゴー三匹に師事し、新世界新花月からデビューしました。
共にものまねを得意としており、サブローの横山やすし、シローの西川きよしの
ものまねは2人を代表するネタで「ものまね漫才」の新たなジャンルを開拓しま
した。
春やすこ・けいこ 1976年結成
松竹芸能タレント養成所で二人は出会いました。たまたま養成所の漫才部の稽古
風景を見学することになり、そこで会社から組めと言われコンビを結成。
新花月にて「三橋泰子・出垣恵子」の本名で初舞台を踏みました。その後海原
千里・万里が解散したのを機に「ポスト千里・万里」として期待され、当時人気
だったピンク・レディーにあやかって漫才界のピンク・レディーとして人気を
得ました。
春やすこ・けいこ
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お笑い第二世代と言われる芸人
お笑い第二世代と明確に位置付けられた芸人はおらず、当時、お笑いBIG3と呼ばれたタモリ、ビートたけし(ツービート)、明石家さんまが中心となったテレビ番組に出演していた芸人たちが、第二世代となるように思います。その中には、もちろん漫才ブームでブレイクした漫才師も含まれますね。
ですので、「笑っていいとも!」や「オレたちひょうきん族」でブレイクした芸人たちを上げてみます。
笑福亭鶴瓶
笑福亭松鶴の11番弟子として入門。若手時代はアフロヘアーにオーバーオール
という落語家らしくないスタイルを通していました。ラジオのパーソナリティ
などを務め「森田一義アワー 笑っていと!」のレギュラーとなり、全国的に
ブレイクしました。
関根勤
「ぎんざNOW!」の「素人コメディアン道場」で初代チャンピオンとなり、
その時の審査員だった浅井企画社長・浅井良二に見出され、芸能界デビュー
を果たします。全国的にブレイクしたのは「森田一義アワー 笑っていいとも!」
のレギュラー出演がきっかけです。
小堺一機
大学在学中「ぎんざNOW!」の「素人コメディアン道場」で第17代チャンピ
オンとなり、芸能界入りしました。その後、関根勤とコンビを組みライブ
ハウスの舞台に立つ一方で「欽ちゃんのどこまでやるの!?」人気を獲得しま
した。
山田邦子
高校生のときから素人参加番組の常連で「笑ってる場合ですよ!」の
「お笑い君こそスターだ!」でバスガイドのネタを披露しチャンピオンに
なり、このバスガイドネタでブレイクしました。
山田邦子
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ヒップアップ(島崎俊郎 川上泰生 小林進) 1979年結成
「笑ってる場合ですよ!」の「お笑い君こそスターだ」で勝ち抜き、同番組
からデビューしました。特番時代の「オレたちひょうきん族」には第1回から
レギュラー出演していました。
九十九一
漫談家の滝あきらの門下から「滝たかし」の芸名でデビュー。
ほどなくして「滝シード」に改名するも1年ほどで滝あきらの下を離れ、
上岡龍太郎に預かられます。同時に「九十九一」に改名し、「お笑いスター
誕生!!」に出場しグランプリを獲得してブレイクしました。
九十九一(スーツ姿)
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