はじめに
1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)以来、日本では国際的なものを含む博覧会が各地で開催されるようになりました。万博と言えば大阪万博というほど、イメージの強い大阪万博。その後も日本では国際万博が開催されていますが、どうにも大阪にはかなわない。ということで大阪万博以降に開催された国際万国博覧会を紹介したいと思います。
1975年「沖縄国際海洋博覧会」
1975年(昭和50年)沖縄返還、沖縄県の日本本土復帰記念事業として開催されたのが、沖縄国際海洋博覧会です。沖縄県国頭郡本部町で183日間の会期で開催されました。略称は「沖縄海洋博」「海洋博」です。
テーマに「海-その望ましい未来」を掲げ、日本を含む36か国と三つの国際機関が参加し、特別博としては当時史上最大規模となりました。会場規模は、100万m2(うち陸域75万m2、海域25万m2)。博覧会会場は海岸沿いの非常に細長い敷地だったので、会場内のアクセス向上策として自動案内軌条式旅客輸送システム(AGT)の路線が運行され、新交通システムが日本で初めて試験的に導入されました。
この万博に合わせて、ホテル日航那覇グランドキャッスル(現・ダブルツリーbyヒルトン那覇首里城)や、沖縄ハーバービューホテルなどの大型ホテル、ゼファー那覇タワーなどの観光施設も建設されました。

ゼファー那覇タワー
那覇タワー - Wikipedia
万博会場の展示施設の中で最大の目玉とされたのが、未来型海洋都市のモデルとなる人工島「アクアポリス」でした。
世界初の海上実験都市として、また未来の海上都市をイメージして建造された構造物で、海洋博のシンボルとしてメイン会場になっていて、プロデューサーは手塚治虫です。半潜水型浮遊式という構造をなすことから「世界でも例を見ない」施設として当時注目されました。
アクアポリスの主甲板には、48台のテレビ受像機を組み合わせたスクリーンや仮設舞台を持つ「アクアホール」・食堂・医務室・機械室・展示区画・宿泊施設、その上の上甲板にはヘリポートや水耕栽培エリアを持つ「アクア広場」が設けられました。アクアポリスと陸上とは、長さ約250 mの「アクア大橋」で接続されていました。
このアクアポリスは、「海上都市」として海洋汚染を起こさないよう、アクアポリス内で出たごみを無煙焼却する装置や汚水処理装置・海水の淡水化装置などが設置されていたそうです。
場内の展示区画は「海に親しむ」をテーマとした「魚のクラスター」、「海に生きる」をテーマとした「民族・歴史のクラスター」、「海に開く」をテーマとした「科学・技術のクラスター」、「海を行く」をテーマとした「船のクラスター」の4つで構成されていました。

アクアポリス
アクアポリス - Wikipedia

アクアポリス
沖縄国際海洋博覧会 - Wikipedia

沖縄国際海洋博覧会シンボルマーク
沖縄国際海洋博覧会 - Wikipedia

マスコットキャラクター「オキちゃん」
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1985年「国際科学技術博覧会」
1985年エネルギー問題を中心とした科学技術博覧会として開催されたのが、国際科学技術博覧会です。通称・略称は、「科学万博」、「つくば万博」、「つくば科学万博」、「つくば '85」などです。主に筑波研究学園都市の茨城県筑波郡谷田部町御幸が丘(現在のつくば市御幸が丘)をメイン会場として、184日間にわたって開催されました。
テーマは「人間・居住・環境と科学技術」とし、日本を含む48ヵ国と37の国際機関が参加しました。首都圏で行われた万博という開催場所の地の利も手伝って、総入場者数は当時の特別博覧会史上最高入場者記録となっています。会場面積は101.6ヘクタール。
メイン会場は、茨城県筑波郡谷田部町御幸が丘(現在:つくば市御幸が丘)で、A~Gのブロックに分かれており各国のパビリオンがありました。現在は筑波西部工業団地 及び Dブロック跡地が科学万博記念公園となっています。
サブ会場は、茨城県新治郡桜村吾妻(現在:つくば市吾妻)二丁目9番地。現在は、つくばエキスポセンターとなっています。

メイン会場の航空写真
国際科学技術博覧会 - Wikipedia

いばらきパビリオン
国際科学技術博覧会 - Wikipedia

TDKふしぎパビリオン
国際科学技術博覧会 - Wikipedia

つくばエキスポセンター
つくばエキスポセンター - Wikipedia

国際科学技術博覧会シンボルマーク
科学万博 バッジ3種/コスモ星丸/つくば万博/国際科学技術博覧会/expo85/昭和レトロ古いシンボルマーク/1985昭和60年/当時物/UFO/マスコット(キャラクター)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - オークファン(aucfan.com)

マスコットキャラクター「コスモ星丸」
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1990年「国際花と緑の博覧会」
国内博覧会として開催する方向だった大阪市市制100周年事業と国の政策が合致し、1990年に国際万国博覧会として開催されたのが国際花と緑の博覧会でした。大阪府大阪市鶴見区と守口市に跨る鶴見緑地で、183日間の会期で開催されました。この万博は、アジアで初めて開催された国際園芸家協会 の国際園芸博覧会でもありました。会場面積は約140ヘクタール。略称は、「花の万博」、「EXPO'90」などです。
テーマに「花と緑と人間生活のかかわりをとらえ 21世紀へ向けて潤いのある豊かな社会の創造をめざす」を掲げ、日本を含む83カ国と55の国際機関、212企業・団体が参加しました。
総来場者数は特別博覧会史上最高を記録しています。当時はバブル景気真っただ中で、民間企業からの寄付金の総額は国際博覧会史上最高を記録するなど、民間からの参加が順調に推移した博覧会でした。
会場は、会場中央の大池「いのちの海」を取り囲む花一杯のエリアを「野原のエリア」、企業出展の大規模なパビリオンや飲食店・遊園地ゾーンなどが建ち並ぶ賑やかなエリアを「街のエリア」、「国際庭園」が点在する異国色豊かなエリアを「山のエリア」にと3つに分けられていました。

国際花と緑の博覧会会場
国際花と緑の博覧会 - Wikipedia
多くの来場者を記録したこの万博ですが、開催時期には記録的な猛暑となり、アスファルトが敷き詰められた博覧会会場の暑さは尋常ではなく、会場内の最高気温は38度近くになったそうです。そのため、博覧会協会は人工雪を降らせたり、会場内のあちこちに氷柱やクーラー付きのテーブルを設置したりと「暑さ対策」に追われ、この「暑さ対策」に投じられた金額は3億円とも言われています。
また、台風の当たり年となり、台風19号が関西地方に上陸し、この影響で博覧会会場は、午後3時半で閉場となったりもしました。閉会式の9月30日にも台風20号の影響で暴風雨となりましたが、特別博覧会史上、最も多い入場者数を記録し、日本で行われた国際博覧会の中でも1970年の大阪万博に次ぐ記録となっています。

咲くやこの花館と鶴見緑地展望塔(いのちの塔)
花博記念公園鶴見緑地 - Wikipedia

国際花と緑の博覧会シンボルマーク
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マスコットキャラクター「花ずきんちゃん」
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おしまいに
今回は「花と緑の博覧会」までを調べましたが、2005年にも愛知県愛知郡長久手町(現:長久手市)及び豊田市を開催地として日本国際博覧会が開催されましたね。「愛・地球博」とも言われています。この博覧会は、まだ記憶に新しいのではないでしょうか。キャラクターマスコットは、モリゾーとキッコロ。マスコットだけ紹介しておきます。今後も日本のどこかで万博が開催されるでしょうから楽しみにしていたいと思いました。

長久手会場北ゲートの壁に描かれたモリゾーとキッコロ
2005年日本国際博覧会 - Wikipedia