METALLICAとは?
初期はスレイヤー、アンスラックス、メガデスと共に「スラッシュメタル四天王」と言われたが、その後様々な音楽を取り入れ、単にスラッシュメタルと語れない叙情性を持ったバンドに変わっていった。「問題作」の多さが取りざたされることも多いが、1990年代に全米アルバム総売り上げ4位、現在では世界中で1億1000万枚を記録するなど、ヘヴィメタル・バンドのトップに君臨し続けている。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第61位。
METALLCAの歴史①

METALLICA
1981年:ラーズ・ウルリッヒがジェイムズ・ヘットフィールドを誘いメタリカが結成。
1982年:アメリカのインディーズレーベル「メタル・ブレイド・レコーズ」で製作されていたコンピレーションアルバム『 Metal Massacre 』に提供するため「Hit The Lights」をレコーディング、その直後にデイヴ・ムステインが加入。
同年:オリジナル7曲入りデモテープ『No Life Till Leather』を制作。
Gのデイブと他メンバーに確執が生まれ、Bのロン・マクガウニーが脱退。
12月:新ベーシストとしてクリフ・バートンが加入。
1983年2月:サンフランシスコに拠点を移す。
4月:デイヴ・ムステインが解雇され、元エクソダスのギタリスト カーク・ハメットが加入。
7月:インディーズ・レーベルメガフォースよりアルバム『血染めの鉄槌(キル・エム・オール) - Kill em All - 』でデビュー。
KILL 'EM ALL 『血染めの鉄槌』
METALLCAの歴史②
1984年:ヴェノムのサポートとしてヨーロッパツアーを行う。
6月に2ndアルバム『ライド・ザ・ライトニング - Ride the Lightning - 』発表.
12月~:欧米ツアーを行う。
メジャー・レーベルエレクトラとの契約を獲得し、Qプライムとマネージメント契約を締結。
1985年8月:イギリス・ドニントンパークで開催されたモンスターズ・オブ・ロックに出演。
1986年3月:3rdアルバム『メタル・マスター - Master of Puppets - 』発表(メジャーデビュー)、ビルボード29位にランクイン。50万枚以上の売り上げを記録し、メタリカ初のゴールド・ディスクを獲得。
9月27日ベーシストのクリフ・バートンがヨーロッパツアー中のスウェーデンでバスのスリップ事故により死亡。
翌28日にツアーをキャンセルしアメリカに帰国。
10月7日クリフの葬儀参列後、ベーシストのオーディションを行い、元フロットサム・アンド・ジェットサムのジェイソン・ニューステッドがメタリカに迎えられる。
1987年8月:初期のカヴァー曲をレコーディングした『メタル・ガレージ - The $5.98 E.P. Garage Days Re-Revisited - 』(EP)を発表。
RIDE THE LIGHTNING 『ライド ザ ライトニング』
MASTER OF PUPPETS 『メタル・マスター』
クリフバートン(Clifford Lee "Cliff" Burton, 1962年2月10日 - 1986年9月27日)
METALLCAの歴史③
1988年9月:4thアルバム『メタル・ジャスティス - ...And Justice for All - 』発表。収録曲『One』では映画「ジョニーは戦場へ行った」とのコラボレーションで初のミュージックビデオを発売。
しかしベースの音量が小さい、ドラムの音が電子音の様に聴こえることなどで物議を醸した。
このアルバムのツアーではジャケットの女神像の巨大セットが作られ、崩れ落ちる仕掛けがあった。
1989年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門に「ワン - One - 」がノミネートされる。
1990年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門で「ワン - One - 」が受賞。グラミー賞授賞式においては、フォーマルスーツの慣例を無視してジーンズ姿で登場した。ただしカークは素敵なジャケットを着用していた。
10月より、アルバム制作にとりかかる。
1991年8月:5thアルバム『メタリカ - Metallica - 』(通称ブラック・アルバム)を発表。全米初登場1位を4週連続獲得し、全世界で2000万枚を超える大ヒットを記録。
1992年8月8日:ガンズ・アンド・ローゼズとのスタジアムツアーで「Fade to Black」のオープニング、特効の事故が発生し、ジェイムズが腕や顔などにII〜III度の大やけどを負う。しかし事故後わずか17日でステージへと復帰。その後の4週間はヴォーカルのみを担当し、リズム・ギターをメタル・チャーチのギタリスト、ジョン・マーシャルが代行した。
...AND JUSTICE FOR ALL『メタル・ジャスティス』
METALLICA『メタリカ』(通称:ブラックアルバム)
METALLICAの歴史④
1996年6月:6thアルバム『ロード - Load - 』を発表。全英・全米1位を記録。
1997年11月:7thアルバム『リロード - Reload - 』発表。
全米1位を獲得するものの、2作続けてのこの路線にスレイヤーは「メタリカは死んだ」と発言した。
1998年11月:カヴァー曲を集めたアルバム『ガレージ・インク - Garage Inc. - 』発表。
1999年11月:サンフランシスコ交響楽団との競演ライヴアルバム『シンフォニー&メタリカ - S&M - 』発表。
2000年4月:ナップスターを相手取り、著作権侵害、デジタル音楽ソフトの違法使用及び不正組織防止条例の違反で訴えを起こす。
2001年1月:ベーシストのジェイソン・ニューステッドが脱退。
2003年2月:新ベーシストとして元スイサイダル・テンデンシーズ、オジー・オズボーンバンドのロバート・トゥルージロが加入。
6月、8thアルバム『セイント・アンガー - St. Anger - 』発表。来日公演で大成功を収める。ロバートがオーディションにより加入したのは、このアルバムがほぼ完成した後であり、このアルバムでベースを弾いているのは、90年代からのプロデューサーであるボブ・ロックである。
2004年:8thアルバム『セイント・アンガー』が完成するまでの3年間に密着した(1600時間もの膨大なテープを編集した)映画『メタリカ:真実の瞬間- Some Kind of Monster -』が製作され、日本では2005年7月より限られた劇場でのみ上映された。
LOAD『ロード』
ReLOAD『リロード』
St. Anger『セイント・アンガー』
METALLICAの歴史⑤
2006年8月:サマー・ソニック06へ出演。『メタル・マスター - Master of Puppets - 』の発表から20周年を迎えるこの年を記念して、アルバム全曲を曲順通りに演奏した。
2006年12月:1989年から2004年までの間にリリースされた21曲のPVを収録したDVD、「ザ・ビデオズ 1989-2004」が発売される。ビルボードビデオチャート3位。
2008年9月:9thアルバム 「デス・マグネティック - Death Magnetic - 」発表。プロデューサーが、前作までのボブ・ロックからリック・ルービンに代わる。世界25ヶ国でアルバムチャート1位、オリコン初登場3位。
2009年4月4日:ロックの殿堂入りを果たす。スピーチは、親交が深いレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーが務めた。またジェイソンも参加して「Master of Puppets」「Enter Sandman」の2曲がライブ演奏された。さらに初代ベーシストであるロン・マクガヴニーと、クリフ・バートンの両親、その他メンバーの親族150人も授賞式に訪れた。ツアー中で参加出来なかった元メンバーのデイヴ・ムステインも、受賞を祝福する声明を贈った。
2010年9月25日・26日:さいたまスーパーアリーナにて4年ぶりの来日公演を行う。
2011年10月:ルー・リードとのコラボアルバム「Lulu」を発表。
2013年12月8日:米コカ・コーラ・ゼロがスポンサーになり南極大陸(キングジョージ島)公演が行われた。
2014年:「1年で、7大陸全てでコンサートを行った唯一のバンド」として、ギネス世界記録に認定された。
Death Magnetic『デス・マグネティック』
ナップスター論争
2000年4月に、メタリカがナップスターおよび大学3校を相手取り、著作権侵害、デジタル音楽ソフトの違法使用及び不正組織防止条例の違反で訴えを起こしたのが発端。一部のユーザーから「メタリカはBIGになって金の亡者となった」と非難を受ける一方、ミュージシャン側からは「メタリカの主張に賛同する」という動きが出るなど、一連の社会問題に発展。
2000年7月にナップスターの運営するウェブサイトに対して北カリフォルニア連邦地裁が閉鎖命令を下すものの、2001年2月にサンフランシスコ第9巡回区連邦控訴裁判所が北カリフォルニア連邦地裁の判決を覆し、サイトの継続を認める判決を下す。
2001年7月に、メタリカとナップスターが双方歩み寄る形で決着(詳細は公表されず)。
(Wikiより転載)
個人的にはMETALLICAを支持しますね。まあこの問題は、ずっと続く案件なんでしょうけど、立場によって白になったり黒になったりするんですよね。ユーザーからしてみれば、セコイ事言うな!って事なんでしょうけど、アーティスト側からみれば命削って作り上げた作品を違法に無料DLするなって事ですからね。大事なのは違法ってところです。
罪の意識が薄いんでしょうけど、1人1人の金額は大した事が無くても、多人数がやれば莫大な損害になるって事を考えて欲しいですね。
映画 Some Kind of Monster『メタリカ 真実の瞬間』
2001年のジェイソン脱退から、St.Anger完成までのドキュメンタリーです。ジェイソン脱退後、原因にもなった閉塞感を打開する為、撮り始められた作品。順調に進むと思われた撮影ですが、メンバー間の確執、ジェイムズのアルコール中毒など問題山積みでアルバム制作が中断してしまいます。
メンバーだけでは無く、解雇された元メンバー、デイブ・ムスティン(現メガデス)の後悔の念。プロデューサーボブロックの苦悩までしっかり描かれています(St.Angerのベースはボブロックが弾いている)
140分と長い作品ですが、モンスターバンドのリアルな姿を見る事が出来ます。
Gのカーク・ハメットのバランサーになろうとする姿がとても健気です。
※いかがだったでしょうか?最も成功を収めたメタルバンドMETALLICA。
興味がある方は是非アルバムを聴いてみて下さい