映画『ひまわり』とは

『ひまわり』(原題: I Girasoli)は、1970年に公開されたイタリア・フランス・ソビエト連邦・アメリカ合衆国の合作映画です。主演はソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ。
ソフィア・ローレン

この作品でヒロイン・ジョバンナを好演したソフィア・ローレン(Sophia Loren)は、1934年9月20日生まれイタリア出身の女優です。1950年代初頭、ヨーロッパ映画の端役としてキャリアをスタートさせ、後の夫カルロ・ポンティによって見いだされました。1957年公開の『島の女』や『黒い蘭』などでイタリアのみならず、国際的なスターと見なされるようになり、デビュー当初のセックスシンボル的な存在から徐々に実力が認められていきます。

1960年代までにはハリウッドやヨーロッパにも活動の幅を広げ、『ふたりの女』(1960年)でアカデミー主演女優賞を受賞。世界中でトップスターそしてビューティーアイコンとしても高い人気を誇りました。その後も『ああ結婚』『ひまわり』『特別な一日』『昨日・今日・明日』など様々な作品に出演し、1994年に『プレタポルテ』、2009年にはミュージカル映画『NINE』と今でも現役で活躍しているイタリアを代表する伝説の大女優です。また日本でも大人気でこれまで4度来日。2008年には『SMAP×SMAP』の名物コーナー「ビストロスマップ」にゲスト出演したこともありましたね。
私生活では、1966年にイタリア映画界の大物映画プロデューサー、カルロ・ポンティと紆余曲折を経て正式に結婚。2007年にカルロが亡くなるまで、22歳という年の差をもろともせず、50年以上にわたり愛を貫きました。指揮者のカルロ・ポンティ・ジュニア、映画監督のエドアルド・ポンティの2人の息子がいます。最新作はNetflixのオリジナル映画『これからの人生』(2020年)。
マルチェロ・マストロヤンニ

この作品でアントニオ・ガルビアーティを好演したマルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni)は、1924年9月28日生まれフォンターナ・リーリ出身、ローマとトリノ育ちの俳優です。第二次世界大戦にイタリア軍の兵士として参戦し終結後の1945年に演劇界へ。巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督に見いだされ俳優としてのキャリアをスタートさせました。また「映像の魔術師」の異名を持つフェデリコ・フェリーニ監督作品の常連でもあり名作『甘い生活』で国際的な知名度を得ると、その後も『8 1/2』『女の都』『インテルビスタ』とタッグを組み続けます。

典型的な「イタリアンプレイボーイ」を演じることが多く、二枚目でありながらどこか人間味溢れる演技で世界中の映画ファンを虜に。ソフィア・ローレンとは『ひまわり』以外にも『バストで勝負』や『昨日・今日・明日』『ああ結婚』『特別な一日』『プレタポルテ』など多くの作品で共演した名コンビでしたね。また数々の賞に輝いた性格俳優でもありました。
私生活では、数々の女性と浮名を流しましたが、結婚はイタリア人女優のフローラ・カラベッラとの1度だけ。しかし長年にわたるフランス人女優カトリーヌ・ドヌーヴとの愛人関係は有名で、子供は妻との間に一女、ドヌーヴとの間にも一女(のちに女優となるキアラ・マストロヤンニ)をもうけています。1996年、すい臓がんにより72歳で死去。葬儀は国葬扱いで行なわれ、多くの共演者やファンが駆けつけたという。イタリア映画を代表する二枚目スターでした。
ヘンリー・マンシーニ

映画『ひまわり』で音楽を担当したヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini)は、1924年4月16日生まれオハイオ州クリーブランド出身、ペンシルベニア州育ちのイタリア系アメリカ人です。『ひまわり』の主題曲はマンシーニ作品の中でも特に評価が高く、世界中で大ヒットした名曲です。幼い頃よりフルート奏者の父親から英才教育を受け、ハイスクール卒業後は名門ジュリアード音楽院に進学。1952年、ユニバーサル映画に入社すると徐々に頭角を現し、1960年代からは主にオードリー・ヘプバーン作品で注目されるようになったほか、『ピンク・パンサー』シリーズで知られるブレイク・エドワーズ監督の作品にはほとんど関わりました。
また映画音楽家として『ティファニーで朝食を』をはじめ数々の作品で「グラミー賞」「アカデミー作曲賞」に輝いています。人気シリーズ『刑事コロンボ』のテーマもマンシーニ楽曲。温厚な人柄で人望も厚かった彼の晩年は後進の育成に注がれたという。そして1994年6月、膵臓および肝臓癌のため死去。70歳でした。
ヴィットリオ・デ・シーカ
ヴィットリオ・デ・シーカ(Vittorio De Sica)は、1901年7月7日生まれフロジノーネ県ソーラ出身の映画監督・俳優です。ネオレアリズモ(イタリアンリアリズム)の一翼を担ったことでも知られ、映画『ひまわり』は冷戦期のソビエト連邦において初めて撮影された西側諸国の作品。監督として「カンヌ国際映画祭」でグランプリ、「ベルリン国際映画祭」で金熊賞、そして「アカデミー外国語映画賞」を2度も受賞しているほか、俳優としても『武器よさらば』(1957年)で「アカデミー助演男優賞」にノミネートされた奇才。1974年に73歳で死去しました。