いぶし銀のプロ野球選手たち
プロ野球はプロスポーツなので、お客さんがその人目当てでくるようなスタープレイヤーは必要不可欠です。王、長嶋に始まり、江川、清原、松井、ダルビッシュ…今では大谷とオーラ漂うスタープレイヤーはプロ野球界にとってなくてはならない存在です。しかし、スタープレイヤーだけでは野球は成立しません。黄色い声援はなくとも、通をうならせているいぶし銀選手も、スター同様になくてはならない存在であることは間違いありません。そこで、ここでへ90年代に活躍したいぶし銀選手を紹介します。
川相昌弘
1984~2003 読売ジャイアンツ
2004~2006 中日ドラゴンズ
通算:1909試合 打率.266 犠打533
犠牲バンド533はギネス記録にもなっている「バント職人」。自分を犠牲にしてバントで味方の塁を進める姿勢は、真のプロだった。巨人を戦力外になった時は、ファンから多くのクレームが球団に入るほどファンにも愛されていた存在。
現在は、巨人の1軍ヘッドコーチ。
川相昌弘 - Wikipedia
山本和範
1980~1981 近鉄バッファローズ
1983~1995 南海(ダイエー)ホークス
1996~1999 近鉄バッファローズ
通算:1618試合 打率.283 安打数2216 本塁打175
顔面はいぶし銀と言うよりはインパクト大ですが、2度もリストラ(戦力外)に遭いながら、不屈の闘志で再び第一線に這い上がったまさに「リストラの星」。
ここぞと言う時の勝負強さが光り、記録も素晴らしいが、それ以上に記憶に残る名バイプレイヤー。
1996年のオールスターの代打ホームランは語り草。
土橋勝征
1987~2006 ヤクルトスワローズ
通算:1464試合 打率.266 本塁打79
数字だけを見てしまっては平凡ですが、諦めず何度もファールにして打てる球を待ち続けるなど、いぶし銀と言えば土橋!と言うプロ野球ファンも少なくないはず。今では珍しいメガネ選手の一人としても有名。
ヤクルト一筋19年。
現在は、ヤクルト二軍外野守備走塁コーチ。
宮本慎也
1995~2013 ヤクルトスワローズ
通算:2162試合 打率.282 犠打408
2001年にはNPB記録となる67犠打を記録するなど、川相引退後の犠打職人。
また打撃以上に守備のスペシャリストとして幾度となくピンチを救った。
自分の年俸を下げてでも、2軍球場のフェンスを作るよう申し出るなど、内外でチームプレイに徹するお手本のような人。
現在は、解説者として活躍中だが、早く監督として現場復帰して欲しい。
宮本慎也 - Wikipedia
辻発彦
1984~1995 西武ライオンズ
1996~1999 ヤクルトスワローズ
通算:1562試合 打率.282 出塁率.352
秋山・清原・デストラーデといわゆるAKD砲がホールランを打ちまくっていた西武黄金時代に、1番打者として驚異の出塁率を誇っていた名バイプレイヤー。流し打ちを得意とし、飄々とヒットを量産する姿はまさに職人芸。また、守備の名手としてもうなるプレーの連続だった。
現在は、中日ドラゴンズ内野守備走塁コーチ。
吉永幸一郎
1990~2000 ダイエーホークス
2001~2003 読売ジャイアンツ
通算:1250試合 打率.278 本塁打153
正捕手のイメージは薄いですが、貴重な補欠捕手そして代打の切り札として劇的な一発を放つ雰囲気を持った選手。
プロ野球選手には似つかわしくない体型ながら、インコースのバッティングは定評があった。どのチームも欲しいであろう貴重な名バイプレイヤーだった。
遠山奬志
1986~1990 阪神タイガース
1991~1994 ロッテマリーンズ
1998~2002 阪神タイガース
通算:393試合 16勝22敗5セーブ
1998年に阪神に復帰してからの印象が強い左のワンポイントリリーフ。
特に、永遠のライバルである巨人の不動の4番松井秀喜キラーとして、松井の打席になると登場し、虎ファンを盛り上げていた。
清川栄治
1984~1991 広島東洋カープ
1992~1997 近鉄バッファローズ
1998 広島東洋カープ
通算:438試合 13勝10敗12セーブ
広島そして近鉄と、左の貴重なリリーフとしてフル稼働していた名バイプレイヤー。前述の遠山同様、数字には残らないが、地味でも貴重な働きをしていた印象が残る選手。
現在は、埼玉西武ライオンズで投手コーチ。
以上となります。他にも「何故、この選手を出さないのだ!」と思う人もいると思いますが、それぞれの価値観と言う事でご了承下さい。
今の現役選手の中からも十数年後、記録ではそこまでではなくとも記憶に残っているような名バイプレイヤーは出るでしょうか?