市民が支えたプロ野球球団、球界のお荷物から優勝まで

市民が支えたプロ野球球団、球界のお荷物から優勝まで

広島の象徴は何かと聞けば、世界遺産の原爆ドームに宮島(嚴島神社)に加え、広島交響楽団・サンフレッチェ広島、そして広島カープの3大プロの存在が。そして、このうちで一番の古い歴史を誇るのが、広島東洋カープなんです。


ファンの熱い思いが支えた球団

カープ女子という言葉が流行語になってから、結構年月も経ちました。今では普通の存在になったカープ女子、そしてチームもチケットが満足に確保できないくらいの人気球団になりました。長らくプロ野球を見ているファンなら、ご存じの方も多いとは思いますが、広島カープが戦後早々に創設されてからの数年間は、本当に「ヤバかった」という言葉がピッタリだったのです。

資金もなく、選手も揃わず、なぜ今まで存続することができたのでしょうか。それは、関係者やファンの「熱い思い」が、チームを支え続けたからなんです。資金難でにっちもさっちも行かなくなった時でも、監督や選手たちだけでなく広島市民が一丸となって奔走し、不可能にも思えた資金調達法を駆使して、見事に球団存続を勝ち取ったのです。

広島県民の夢を抱いて

広島カープが誕生したのは、昭和24年(1949年)のことでした。既にプロ野球は始まっていたのですが、なぜ遅れて広島に新球団が創られたのでしょうか。それには、日本の歴史と切り離せない理由があったのです。広島カープ誕生の約8年前、1941年に日本は太平洋戦争に突入していきます。そして1945年、アメリカ軍が原子爆弾を広島と長崎に投下。甚大な被害が出たのは、誰もがご存じのこと。そして終戦後においても、生き残った人々は放射線からの影響と戦いながら、復興を目指して頑張ったのです。

ただ、全てを奪われてしまった人たちは、なかなか気持ちの切り替えもできず、街全体が無力感に包まれてしまっていました。そんな時、戦後人気を集めだしていたプロ野球リーグに広島からの球団を参戦させ、広島の街や人に勇気を与えようという考えが生まれたのです。

開幕寸前なのに、お金がないし選手がいない

今も昔も、プロ球団運営は膨大な費用が捻出できる大企業と決まっています。カープ創設でも同じ事で、中国新聞社や地元の企業などが運営について話し合いを重ねたそうです。ところが被爆地である広島には、体力のある大企業はありませんでした。そこで、球団創設の中心人物の一人だった広島出身で元山梨県知事の谷川昇が、行政庁である広島県と広島市民で広島カープを支えていこうと、プロ野球史上初めてという、市民球団としての運営を目指したのです。

まさに市民の球団となった広島カープ、しかしなんと開幕3か月前の状態で、まだ選手どころか監督も決まっていませんでした。そんな状態の中で、広島出身の石本秀一が、広島復興の願いを背に監督を引き受けたのです。石本という人物は、選手時代に2度甲子園を経験し、広島商業の監督として4度の全国制覇を果たしているんです。更には、職業野球でも2度の日本一を経験した名将でした。

苦難の時代の始まり

自分なりに新球団の構想を抱いて球団関係者と対面した石本でしたが、そこでお金がない上に、誰一人選手も集まっていないという最悪の状況が知らされることになります。この時の石本の驚きは想像もできませんが、選手がいなくてはチームにならず試合ができません。広島カープの船出とともに、資金難・選手集めなどといった様々な苦難が乗り越えて行かなければならなくなりました。

すでに各球団によっての選手の獲得合戦が活発に行われていましたが、資金力のないカープでは選手の獲得は困難を極めました。それに加え、石本しか野球界に人脈がないので、石本個人がツテを頼って全国を奔走します。結局は、計算できる選手は元巨人にいた白石勝巳の一人だけで、他は既に峠を越えたベテラン選手か入団テストに参加してきた無名の選手ばかりでした。

運営資金が尽きても

そんな状態で開幕を迎えたのですから、なかなか勝てないのはやむを得ないことでしたが、早々に運営面の資金繰りが苦しくなってきます。遠征費を出すことも厳しくなり、給料の支払いも遅れてきました。石本はもう球団を頼れないと痛感し、自ら地元企業を回って出資のお願いを続けたのです。こんな状況では勝てるはずもなく、チームはリーグ最下位。悪いことに、大洋ホエールズとの合併話も計画されます。しかし石本は、合併後にはカープの選手が皆クビなると、カープの存続を訴えて猛抗議をしたのです。

これを知った地元の人たちは、カープを支えるために声を上げだしたのです。そこで石本は、球団の存続費用を市民の募金に頼ろうと計画。球場入り口のところに、大きな樽を2つ、ドカンを置いたのです。これで市民に募金を呼びかけ、資金を調達しようとしました。これが俗にいう樽募金で、カープの名物になりました。樽のお金が溜まると、市民代表が石本にお金を渡すというセレモニーも行なわれ、これが恒例行事となっていったそうです。

市中ではボランティアが必死で募金を呼び掛けました。この時、リーグの理事会から衝撃の通達が届きます。勝率が3割を割った時は球団を解散するというもので、2年連続最下位の広島を解散させてしまおうという魂胆が見え見えでした。まあ、親会社もない上に経営状況最悪では、近いうちに大きな問題を引き起こす。大義名分を作って今のうちにカープを潰した方がよいと考えたのでしょう。しかしカープはチーム一丸となって、この難題を乗り越えます。最終勝率はなんとか3割を維持し、創設以来初めて最下位を脱出し、見事に解散を免れたのでした。また樽募金による募金の目標も達成、ここにきてやっと球団存続に目途が立ってきたのです。

県民が涙した優勝パレード

原爆投下から30年後の昭和50年(1975年)。焼け野原だった広島から誕生した広島カープは、涙の初優勝を決めます。まさに、広島が長年待ち続けた歓喜の瞬間。そして優勝決定から4日後、地元で行われた最終戦の後に、大勢のファンの中をチャンピオンフラッグを掲げて場内を一周したのです。歓喜のスタンドに手を振りながらグランドを歩いた古葉監督は、ファンの思いを受け止めてオーナーの元へ走ったのです。この日を待ちながらも球場に入れなかった人々とも感激を分かち合いたいと、古葉監督は当時の松田耕平オーナーに、パレードをやりましょうと嘆願したのです。それを聞いた松田オーナーは、笑いながらすでに準備をしているよと言ったそうです。

平和大通りをパレードした広島カープ。選手たちは、車上からみた光景に目を潤ませていました。たくさんの人が遺影を高く掲げて、「じいちゃんが喜んでる」とか「父ちゃんも見てるよ」と口々に叫んでいました。沿道を埋めた約30万人というカープファンだけでなく、この時を夢見ながら亡くなっていった人も同じくらいにおられたのです。まさに、復興のために誕生した球団だった広島カープが実感できる瞬間でした。原爆投下から30年たって、やっと人々の心の中に残っていた復興が終わった時でもあったのです。

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