船木 和喜(ふなき かずよし)プロフィール
誕生日 1975年4月27日
出身地 北海道余市郡余市町
身長 175cm
体重 62kg
経歴
余市駅
1975年4月27日に北海道余市郡余市町で誕生した船木さん。
10歳の時にスキージャンプ競技を始め、1991年2月に第28回全国中学校スキー大会ノルディックスキー・スペシャルジャンプで優勝されています。
更に小樽北照高等学校進学後、1992年12月20日にスキージャンプ・ワールドカップ(W杯)札幌大会ラージヒルに開催国枠で初出場し、27位に!。
本格的にスキージャンプを・・・。
船木さんは、高校卒業後はデサントに所属し、本格的にスキージャンプの道に進み初めて出場したW杯プラニツァ大会ノーマルヒルで、バッケンレコードを記録しての初出場初優勝を達成されています。
インスブルックでのW杯2勝目をはじめ、全4戦でトップ10入りして総合2位に入った。その後もほとんどの試合でトップ10入りし、シーズン個人総合でも4位入賞。サンダーベイでの世界選手権にも初出場し、ラージヒルで5位入賞。
原田選手の「ふなき~」が話題になった長野オリンピック
原田雅彦さん
船木さんは、1998年の「長野オリンピック」では、金メダル2個(個人ラージヒル、団体ラージヒル)と銀メダル1個(個人ノーマルヒル)を獲得する活躍を見せています。
当時、日本でも大注目されたのが、名シーンの1つ「団体ラージヒル」でした。
船木さんが、ジャンプを成功させた時にメンバーの原田雅手の「フナキィ~」という半泣きで悲鳴のような叫びが話題になりました。
これは、原田選手が船木さんの前にジャンプされたのですが、いまいち記録が伸びませんでした💦
そこで、金メダルがとれるかどうかが船木さんのジャンプにかかっており、この瀬戸際の感情から「ふなき~」が、つい出てしまったのでしょうね。
金メダルを決めた瞬間には、メンバー全員が舟木さんに飛びつき、日本中が沸いていました。
オリンピック史上初
長野オリンピックで個人ラージヒルの2本目では、オリンピック史上初めて審判全員が飛形点20点をつける快挙を達成させ、「世界一美しい」と称されるジャンプフォームと称されています。
因みに、国際大会で審判全員が20点をつけたのは、現在迄、船木さん以外2人しかいません。
金メダルに感動した長野オリンピック!!