明石家さんま 東京かけ落ち事件 芸より愛(オンナ)を取った純愛ラプソティ

明石家さんま 東京かけ落ち事件 芸より愛(オンナ)を取った純愛ラプソティ

国民的お笑いヒーロー、明石家さんまは、かつて芸より愛をとった。高校卒業後、プロ入りし、順調に弟子っ子生活を送っていたさんまは1人の女性と出会い、2人で暮らすために東京へ。1度も同棲することなく、パチプロ、無職、フリーターと極貧生活を送った末、女性にフラれ、大阪に戻った爆笑純愛ラプソティ


以後、さんまは
「芸をとるか、愛をとるか」
「同棲しながら弟子修業はできない」
と悩み続けた。
その結果、冷静に考えれば弟子を続けながら関西のどこかに住めばよいものを、若さのせいか、東京への憧れのせいか、東京行きを決断。
東京に就職していた高校時代の親友、戒井に電話し事情を説明。
女性に
「俺が先行って向こうで生活の基盤をつくるから、それから一緒に東京で住もう」
と伝え、同意を得た。
そして西宮のアパートを引き払った夜、笑福亭松之助に電話。
「あ、師匠、さんまです」
「おお、どないした」
「師匠、電話ですんません。
やめさせていただきます」
「女か?」
「・・・は、はい。
ホンマすんません。
すんません」
電話を切った後も謝り続け、そのまま奈良の実家へ。
着替えとタオル、ノートと筆記用具、松之助に目を通すよういわれていた舞台の台本、初舞台のときに着た着物をバッグに入れて家を出た。
そして大西の家で2泊した後、女性に戒井の連絡先を伝え、関西を後にした。
その頃、笑福亭松之助は、
「さんまがやめよったわ。
でも半年もすれば帰ってくるからそのときはよろしく」
と芸人や吉本の人間にあいさつをして回っていた。

東京に着いたさんまは戒井の住む社員寮へ行き、翌日から部屋探し。
出した条件は

・家賃1万円以内
・場所は、映画「男はつらいよ」の主人公、車虎次郎の生まれ故郷、葛飾区柴又

そして探し当てたのが「幸楽荘」
木造2階建て、4畳半1間、風呂なし、炊事場、トイレ共用、家賃8000円だった。

2拍させてもらい、戒井の部屋を出ると、翌日から職探し。
しかし簡単には見つからず、数日後、「ABCフレッシュ寄席ラジオ新人コンクール」の収録日を迎えた。
13万円あった所持金は残りわずかになっていて、翌朝、小岩駅南口のパチンコ屋「東京会館」へ向かった。
パチンコは高校からやっていたが、生活がかかっているさんまは、慎重に釘を読み
「この台や!」
と決めたらトコトン勝負。
角刈り頭、上下黒のジャージ、女物のピンクのサンダルという姿で

小岩駅南口ロータリーの喫茶店「ホープ」で朝食

10時、東京会館

ホープで昼食

閉店まで東京会館

ホープで夕食

銭湯「大黒湯」

というパチプロ生活が始まった。

まだ手打ちだったパチンコ台を1日2~3回打ち止めにすることもあったさんまだったが、ある日、
「パチプロお断り」
と東京会館に言い渡され、出入り禁止になった。
他のパチンコ屋に通ったが、勝率が下がり、瞬く間に所持金が減っていった。
ホープへ通うことも出来なくなり、パチンコ屋で交換したカップ麺でしのいだ。
「もう夢もクソもなかった」
というさんまは2日間何も食べず、ずっと部屋で寝ていたことが6回ほどあり、戒井に食事に連れていってもらった。
さんまのことを心配し度々、幸楽荘を訪れていた戒井は、5000円を置いて帰った。
やがて秋になると戒井は布団を差し入れ。
「こんなとこおったらクサってまうぞ。
帰ってやり直したらどうや?」
とアドバイスした。

1974年10月14日、38歳の長嶋茂雄が引退。
17年間で、通算444本塁打、首位打者6回、最多安打10回。
守備でも華やかなフィンプレーでファンを魅了し「ミスタープロ野球」と呼ばれた男は、
「私は今日ここに引退いたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です」
といった。
さんまはその勇姿をパチンコでとった5インチのポータブルテレビでみた。
「アカン、俺、スタート地点でつまづいてる」
いてもたってもいられなくなり、浅草の演芸場を訪ね回った。
「大阪で芸人やってた者です。
幕前で結構ですから漫談やらせていただけませんか」
しかしどの劇場でも
「まず誰かの弟子について修行しないとダメ」
と断られた。
船橋のストリップ劇場も回ったがことごとく門前払いにされ、途方にくれた。

小岩駅南口を歩いているとホープの2軒隣のパン屋、ヤマザキに求人広告が貼ってるのを発見。
「とにかく働かないと」
とすぐに応募。
採用されると白い帽子と白衣をまとって店の外で肉まんとあんまんを販売。
関西弁のおもしろい店員として売り上げに貢献した。
ヤマザキのアルバイトに慣れた頃、久しぶりにホープを訪れた。
さんまから事情を聞いたホープのマスター、山辺教平は
「ウチに来たら?
夕方から閉店まで手が足りないんだよ。
夕食つきで自給もウチのほうが高いし・・」
と誘った。
その日、さんまはホープの店員たちと初めてマージャンし、朝までしゃべり明かした。
山辺教平は、ヤマザキの店主と話し、さんまはホープに移籍することが決まった。

ホープは、1階22席、2階38席。
さんまは白のシャツに黒のスラックス、黒のボウタイを締め、16時半から24時までホールスタッフとして勤務。
そしていつもニコニコ笑顔で、もみ手までして愛想よく接客。
1週間もすると常連客を大笑いさせるようになった。
ある日の閉店間際、蛍の光のBGMが流れ始めると
「ええ、皆様、本日はご来店、誠にありがとうございます。
ホープは12時をもちまして本日の営業は終了となります。
本日もホープ、ならびに杉本高文のために絶大なるご支援を頂きまして誠にありがとうございます。
本日の営業はこれで終わりますが我がホープは永久に不滅です!
またのご来店、お待ちしております」
と長嶋茂雄の引退スピーチをパロって大ウケ。
これが通常業務の1つとなり、この閉店間際に行われるスピーチや漫談に合わせて来店する客も現れた。
ホープの先輩店員は
「この人は何者なんだ」
と驚いた。

そんなとき奈良にいた女性が上京してきた。
2人は一夜を過ごしたが、さんまは
「一緒に暮らそう」
といい出せず、女性もそのことにふれないまま翌日、帰っていった。
さんまはどうしようもない苛立ちを抱えながら新幹線を見送った。
ホープの先輩店員、宮島、坂本、松本はいずれも学生でさんまと同世代。
4人は仕事が終わると銭湯に行き、その後、ホープに戻ってマージャン。
ホープが休みの日は4人でパチンコ屋に行ったり、女子学生とコンパやナンパもした。
さんまは10時からパチンコ、夕方からアルバイト、深夜から朝までは仲間と遊ぶという生活をほとんど寝ないで送っていた。
ホープの仲間と楽しく過ごす時間はすべてを忘れさせてくれた。

一方、奈良の高校時代の仲間が次々と幸楽荘にやってきた。
さんまの才能を信じて疑わない彼らは旅費を出し合って代表者を東京に送り
「帰って来い」
「師匠に謝って修行し直たらええやないか」
と説得。
しかしさんまは女性と暮らすことはできないまま、東京で1人、年を越した。
2ヵ月後、ホープのマスター、山辺教平が千葉の松戸駅西口にライブハウス「DIME(ダイム)」をオープンさせ、さんまは毎週土曜の夜、そのステージに立った。
ギャラは破格の1万円。
さんまは山辺教平に感謝しながら精一杯、ホープとDIMEで仕事をした。
数回、DIMEのステージの立った頃、奈良の女性が上京してきた。
2人は幸楽荘で夜を過ごし、翌朝、さんまが目を覚ますと女性の姿はなく、ちゃぶ台の上に手紙があった。
そこに書かれた別れの言葉を読み返しながら、さんまはこの半年間を振り返った。
「俺は東京に何しに来たんやろう」

数日後、高校時代の1番の親友、大西康雄が上京。
「もう帰って来いや」
といわれると、さんまはもう抑えることはできなかった。
無我夢中で新幹線に乗った。
そして兵庫県西宮の松之助の自宅へ向かい、到着すると預かっていた台本をバッグから取り出し、インターホンを押した。
ドアが開き、康子夫人と対面。
「ご無沙汰してます。
師匠にお借りしていた台本をお返しに来ました」
「寒かったやろう。
上がって」
「いや、僕はもう敷居またげませんから、表で待たせてもらいます」
「なにいうてるの!
早よ、上がりなさい」
「あっ、さんま兄ちゃんや」
松之助の2人の息子に手を引かれ、さんまは家の中に入っていった。
(師匠に合わせる顔がない)
いますぐ逃げ出したいような気持ちでいると松之助が帰ってきた。
「お客さんか?」
玄関で男物の靴をみた松之助がいうとさんまの心臓がバクバクしてきた。
そして松之助が部屋に入ってくると
「師匠!」
とすがるように叫んだ。

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