松本の兄 松本隆博 目指すはNHK紅白歌合戦出場

松本の兄 松本隆博 目指すはNHK紅白歌合戦出場

弟の七光りどころか、松本人志が「怖い」と恐れる実力派。座右の銘は「やればできる できるしかない」


テレサ・テンがデビューしたとき、それまで歌手というと美男か美女しかなれないと思っていた松本家の兄弟は、
「え、なんで」
「ブサイクやん」
「それも腹立つブサイクさやん」
と驚いた。
それからというものテレビでテレサ・テンが出るのを待つようになり
「あー兄ちゃん、出てるで」
「出てる?
あー腹立つわ」
「うわっ、めっちゃ腹立つ」
歌っている最中にカメラ目線になると
「わーーーー」
「腹立つブサイクやなあ」
「はっら立つわ、もー」
と大盛り上がり。
テレサ・テンは兄弟でブームになった。

松本家は、「長助」という猫と「ペル」という犬を飼っていた。
ペルは2代続き、初代ペルはマルチーズと何かのミックス。
主に父親、長男、次男が、交代でペルを散歩連れていった。
あるとき人志は散歩中、ペルを公園の木にリードで縛って、悲しそうな顔で
「ペル、もうお前のことを飼えなくなってもうたんや。
すまんな」
とドッキリを仕掛けた。
「ク~ン、ク~ン」
悲しむペル。
「これで終わりや」
人志が離れるとペルは絶叫。
その声を聞いて人志は泣いてしまい
「策士、策に溺れる」
と反省した。

松本隆博が中学1年生のとき、夜、ご飯の後、家族でテレビをみていると、近所から
「犬が車にはねられた」
という情報が入った。
「まさか」
と思いながらいってみると、それはペルだった。
目撃者によると車はそのまま走り去り、ペルははねられた後、数歩、家に向かって歩いて力尽きたという。
松本家はパニックになり、松本隆博は泣きながら血が出るほど柱を殴り、人志も部屋中を走りながら泣き叫んだ。
以下、人志が小6のときに書いた作文。
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イヌ 

6年2組 松本人志

ぼくが4年の時の夏に犬をもらった。
まっ白で小さかった。
本でくらべるとテリアに一番似ていた。
はじめは全然なかなかった。
その頃、もう夏休みは、3日ほどにせまっていた。
そして、兄と一緒に犬のくさりを買いに行った。
一番小さいのを買った。
首輪も一番小さいのを買った。首輪はまだ大きくて桐で穴をあけた。
そして学校が始まった。
学校が終わると急いで家に帰り、犬をくさりからはずして、家のそばで遊んだ。
そして名前はいろいろ考えた上「ペル」にした。
ペルはすぐ大きくなり、1月頃にはぼくでも抱けないほどだった。

1月29日9時ごろ、父と兄と3人でお風呂に行った。
その時父が「もうペルのくさり離したで」と言った。
ぼくは、「何で」と言った。
「もう大きくなったから、勝手にどっか行って、おなかすいたら帰ってくるやろ」と言った。
そして、お風呂から帰ってきて、ペルを探しても全然いなかった。
だんだん心配になってきた。
そしたら、どっかの人が「この辺で犬が車にひかれた」と言っていた。
そして、「ダンボールの中にその犬の死体がある」と言っていた。
ダンボールの中の犬はペルだった。
そして、ぼくが5年の夏に新しい犬をもらった。
今度は黒と白の犬だった。
今度はぜったい大事にしようと思った。
そして名前はまた「ペル」にした。
今でもペルは、大きくすくすく育っている。

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ある日曜日、松本隆博は小学校の校庭で2代目ペルを放して走らせた。
同じグラウンドで少年サッカーの試合をやっていて、ペルはそのピッチ内に乱入。
試合は中断。
みんなが見守る中、ペルはピッチのど真ん中に穴を掘って、ウンコ。
その上、それを食べた。

人志が虫歯で顔が腫れて学校を休むことになり、母、秋子はパートに行く前に
「大事な電話が昼かかってくるから、普通やったらお母ちゃん帰ってきてその電話出るつもりやったんやけど、その電話だけ出といて」
と頼んだ。
「おう、わかった」
そういって人志は顔にサロンパス貼って寝転んだ。
やがて
「ドンドンドンドン」
誰かがドアを叩き
「松本さん、ぺルが逃げてるよーーー!!」
といった。
(もし誰かを噛んだらシャレならん)
人志はあわてて裏から出た。
そしてグランドで2代目ペルを発見。
しかしペルは遊んでもらえると思ってはしゃぎ、なかなか捕まらない。
「そんなんちゃうねん!」
人志はガッっと捕えたが、首輪が抜けてしまっていて、つかむところがなくヘッドロック状態で家まで連れて帰った。
つなごうとしているとき、電話の鳴る音が聞えた。
「電話や!」
あわてて玄関を開けようとしたがカギがかかっている。
裏口に回って家に入ったが電話は目の前で
「チーン」
と切れ、外をみるとペルが走り回っていた。

あるときネコの長助が近くの寿司屋からマグロの短冊をくわえて帰ってきて、父、譲一は頭を叩いて吐き出させ、刺身にして食べた。
またあるとき長助の息がくさいということになり、松本隆博が両腿で長助の頭はさんで前足を押さえ、人志がその歯を磨いた。
「どや?」
「うーん、まだくさいわ、兄ちゃん」
「そうかー、まだアカンか。
じゃあ正露丸塗ろ」
人志は正露丸を指でつぶして塗った。
「どや?」
「うーん、歯のにおいは取れたけど正露丸くさいわ」

夏の暑い日、ドテーッと寝ている長助をみて、兄弟はムカついた。
「猫の分際で態度デカいな」
「こいつ宿題ないしな」
「そや、こいつ冷やしてみよ」
「そやな、それええな」
意見がまとまり長助を冷蔵庫に入れてみた。
5分後、取り出すといい感じに冷えていて、兄弟は長助を抱いた。
「おお、エエわあ」
「兄ちゃん、冷やしネコやな」
体温が戻った長助は再び冷蔵庫へ入れられた。

ある日の食事中、機嫌が悪かった父、譲一は、突然、
「うちの子供で必要なのは隆博だけやな」
と発言。
家族全員が唖然となり、人志は箸を落とした。
中学生だった松本隆博はその場はこらえたが、後で1人になったときに
「それはないやろ。
兄弟の仲を親が引き裂く気か」
と号泣した。

松本隆博はよく勉強ができ、公立の進学高校に進んだ。
一方、弟、人志は成績が悪く中3のとき3者面談で担任に、
「公立は無理ですね」
といわれた。
公立に行ってほしい母、秋子は、
「そこを何とか・・」
と粘った。
「いや無理ですね」
「この子、ほんとにいい子なんです」
「いやあー無理ですね」
「先生、この子、ほんとに親孝行なんですよお。
私が熱出したとき、寝ずに看病してくれたんです」
人志は
(ウソや)
と思った。
「お母さん、親孝行でもそれは点数に含まれないんです」
「それはおかしいがな。
そこが1番大事なんちゃいますか。
この子はやったらできる子なんです。
私が責任取りますから、公立受けさせて下さい」

結局、人志は公立高校を受験することになったが
「私立も危ない」
といわれている身分で公立1校に絞ったため、落ちれば中卒で働くことになるかもしれない。
以後、2ヵ月間、松本隆博に教えてもらいながら受験勉強に励んだ。
松本隆博は
「イチかバチか、ヤマを張るしかない」
と数学は相似形、確率、と因数分解、国語は四時熟語、社会は昭和~明治までと範囲を決めて勉強させた。
そして人志は見事合格。
本当にやればできる子だった。
こうしてなんとか高校に入った人志だったが、半年くらいすると異変が起こった。
朝8時になってもまだ寝ている弟に松本隆博は
「なに寝てんねん。
学校行かんか」
「あんなしょうもない学校、もう行けへんねん」
松本隆博はキレて、初めて弟をドツき回した。
その後、冷静になり、
「誰でもたまには調子悪いときもある。
悪いことしたなあ」
と反省した。

そして松本隆博も、高校でタバコを吸ってるのを見つかってしまった。
1学期の終業式でみんなが集まっているとき、トイレで一服やったのだが、学級委員長だった分、厳しく怒られた。
与えられた罰は、丸坊主の上、自宅謹慎。
といっても次の日から夏休みだったので、10日間学校にいき反省文を書くことになった。
その初日、母、明子も学校に呼ばれ、夏の暑い中、2人で自転車で登校し、校長室に通された。
校長、教頭、生活指導、担任がいて、
「松本隆博!」
(教頭)
「はい」
(松本隆博)
「起立せい!」
(担任)
「はい」
「お前は○月○日、未成年でありながら東3階のトイレ内にてタバコを所有し、また・・・・」
(教頭)
教師は、まるで裁判のように追及していく。
「吸うたな?
間違いないな?」
「・・・・・・」
「返事せんか!
これは学則の○○違反になり最悪の場合、退学に・・・」
ここで秋子が出た。
「なんやの。
コレ何?
裁判やないの。
ウチの子を罪人扱いするんか?」
とりなそうとする教師に秋子は大爆発。
「アアッ?
タバコくらいええやないの。
なんなのよ」
そしてタバコを取り出し、火をつけ
「隆博、ホレ、ここで吸うたれ」
「まあまあお母さん」
「ウチの子、そんな悪い子ちゃうで。
タバコ吸うて迷惑かからんやろが。
どうせアンタ(担任)も吸うてたやろ?
大人が寄ってたかって、そのほうが恥ずかしいわ」
こうして裁判は終了したが、松本隆博は
「俺が1番悪い。
オカン、すまん」
とずっと泣きそうだった。
そして
「もう絶対に学校ではタバコは吸わん」
と誓った。
後日、担任は松本家にいき
「お母さん、実は僕、高校のとき吸ってました」
と告白した。

ある日、松本家に
「お宅に松本譲一さんでいてます?」
という電話が入った。
父、譲一が酔い潰れているらしい。
このとき家にいたのは、母、秋子と高校生の人志。
2人は仕方なく阪神尼崎駅までタクシーで迎えにいった。
駅に着いたが、どこで酔い潰れているのかわからない。
散々探したが結局、見つからず、徒歩で1時間かけて帰宅。
道中、
「ホンマあのオッサンむかつくわ」
と毒づく母親に人志は
「オカン、そんなこと言うてやるな。
いろいろあるんやと思うで」
といった。
秋子はその優しさに涙が止まらなかった。
そしてやっと家に着くと譲一が玄関の前でグーグーいびきをかいて寝ていた。
2人は家に引き上げようとしたが何か臭う。
みると譲一のズボンが半分脱げ、尻にウンコが挟まっていた。

就職が決まっていた人志が
「NSCに入る」
といったとき、松本隆博は
「売れる」
と思った。
家族で反対したのは父、譲一だけで他の者に違和感はなかった。
人志と浜田雅功はNSCに入って早々から
「間違いなく売れる」
と太鼓判をもらっていた。
しかし実際は同期のハイヒールやトミーズが先行。
理由は、

・人見知り
・生意気
・礼儀が出来ない
・ガンコ(納得できないことはしない)

という性格。
ド新人時代から、エラいさんが来ても元気よく挨拶することができず、ダラダラとした態度で接っしてしまう愛されない2人だった。

NSCを卒業後、仕事がなく自分の部屋にいることが多い人志に、母、秋子は
「アンタも出させてもらえへんの?」
といい、松本隆博は
「媚を売るとかそういうことちゃうけど、お互いが気持ちよく過ごしていけるようにして、そっから芸で勝負すると思えばいい」
とアドバイスした。
松本隆博が大阪電気通信大学卒業を出て、豊中信用金庫で働き出したとき、人志はまだ売れておらず、車を貸したりお小遣いをあげたりした。
やがてダウンタウンは頭角を現しはじめ、伝説の番組「4時ですよーだ!」がスタート。
松本隆博はそ公開生放送番組を会場まで観にいき
「放送禁止用語いうたら芸能界永久追放されるんちゃうか」
とヒヤヒヤしながら
「人志、落ち着いて落ち着いて」
と自分が1番緊張しながら観た。

こうしてダウンタウンは遠回りしたが、売れ始めると大ブレイク。
松本隆博にも
「サインが欲しい」
「チケット欲しい」
「会いたい」
というリクエストが殺到した。
人志が実家にいた頃は問題なかったが、やがて大阪のマンションに引越すると大変になった。
「松本さん、社長から電話です」
と呼び出され
「娘がエラいファンでな、サインもらえないか?」
といわれ
「浜田と2人は無理やけど、人志だけなら」
とうけおい、深夜、大阪までサインをもらいに行き、
「すまんなあ」
と謝りながら受け取り、翌日社長に渡した。
すると社長は
「昨日はありがとう。
いとこも欲しいいうてなあ・・・」
と言い出し、再び深夜、大阪まで行ってサインをもらい
「ありがとう」
といって帰った。
その後もリクエストは延々と続き、エエ加減しんどくなった松本隆博は、かつて実家で人志がサインの練習をした少年ジャンプを
「これは将来、カネになるかもしれん」
ととっておいたのを思い出した。
早速、それを取り出し、
「オレ、書けるかも・・・」
とサインの練習。
以後、大阪に行くことはなくなった。

松本隆博は基本的に自ら弟が有名人であることを明かさない。
しかしどうしてもというときは
「実は私、弟が松本人志でして・・・」
と告白。
驚く相手に
「アニキは大変ですよ。
みんな僕のこと『お兄さん』って呼びますから『アンタのお兄ちゃん違う』ゆうてね」
「向こうが僕に似てるんです」
などといってウケをとった。
歩いていて
「お兄さんですよね?」
といわれ写メを撮られたり、飲み会やコンパに誘われたりすることもあった。
「お兄さん、お兄さんと呼ばれてね。
宴会でもオチを期待されて、プレッシャーですよ」

バレンタインディには、1日中、松本家にチョコレートが届いた。
それ用に用意したダンボールの中には、チョコだけではなく
「HITOSHI LOVVE」
と縫いこまれた手縫いの毛糸のマフラーやセーターや帽子もあった。
しかし人志が、それらを食べたり着たりすることは100%なかった。
だからチョコレートは家族で食べ、松本隆博は
「捨てるのはもったいない」
と気に入ったものをもらって着た。

困ったのは家に直接やってくる突撃型のファン。
松本家はそういったファンに対しては、
「1人でもOKにすると他が断れなくなる」
ということですべて拒否することにした。
ある冬の日、女子中学生3人が現れ、インターホン越しに
「お小遣い貯めて和歌山から来ました」
といった。
1人、実家にいた松本隆博は
「寒い中、中学生が尼崎まで数時間、数千円かけてきたのか・・・」
と思いながらも居留守を使った。
しかし何度もインターホンを鳴らされ、ついに
「アカン、断れへん」
と玄関を開け、手作りのセーターやクッキーを受け取った。
さらに家に入れ、お茶も出し、人志の話をした。
フンフンと真剣に聞く3人に人志の部屋を見せ、写真を撮ってあげ、
「何か記念になるものが欲しい」
といわれ、人志が使用したエンピツをあげた。
また人志宛てに山のように届く、ゴルフ会員権やマンション、車の販促郵便物を
「はい、これ海外別荘のハガキね」
「はい、あなたはBMWね」
と1通ずつあげた。
3人からすれば「松本人志」と印字されているだけですごくうれしかった。
数週間後、彼女らは人数を増やして松本家を再訪。
松本隆博はいなかったが
「おっちゃんが『またおいで』っていうてくれた」
と訴え、家の中に入れてもらった。
こうして休日、松本家は観光ツアーの名所のようになり、ピーク時は家の近くでたこ焼きの屋台が出た。

毎週土曜日、12~ 13時生放送されていた「ノックは無用!」にダウンタウンが出演。
松本家の面々はコタツに入って昼ごはんを食べながら
「緊張するなー」
「大丈夫やって」
などといいながらそれをみていた。
そして番組が無事終わると
「よかった」
となったが、3、40分後、突然、人志が家に帰ってきた。
服装は衣装のままで、まるでテレビから抜け出てきたようだった。
コタツの上は、まだ食べかけご飯やシーチキン、永谷園のふりかけやザーサイ、甘納豆、醤油、ソース、新聞、メガネ、爪切り、アメちゃんなどが乗っていて、人志の第一声は
「汚っない部屋やな!」
書類を取りに帰ってきたという人志は、
「衣装が汚れる」
とコタツに入らず、何かの台に腰掛けた。
そして
「アニキ、灯油入れてって」
車のトランクに灯油缶が入っているといわれた松本隆博は
「わかった」
とすぐにスタンドまで走った。
それを受け取ると人志は
「ほな帰るわ」
といった。
「ええ、もう帰るの?
今来たところやないの。
せっかくおでん作ってるのに」
「いや、時間ないねん、ほなっ!」
母、秋子はあわてて台所に走った。
「これ持って帰り!」
「もう帰ったで」
松本隆博が教えると秋子は表に走り出て、人志の車を追いかけた。
「待ってえ。
これ持って帰りー」
その手には生卵が入ったビニール袋が握りしめられていた。

人志は女性スキャンダルが多かった。
すると実家にも取材が入ることがあった。
『あのー○○(雑誌名)の者ですが、人志さんの○○○○の報道の件で・・・・』
「知りません。
ほんとに何も聞いてません」
『今お付き合いされている方おられますよね』
「そりゃおるでしょうね。
でもいちいち聞かないし知りません」
『一部報道で出てますが・・・』
「そんなこと私らもテレビ見てしったくらいです」
『東京でデートされてたとか・・・』
「あのねえ、息子も大人やし、いちいち親がむすこがどこどこでデートしたとか、何をしたとか知らんわ」
インターホン越しに、母、秋子とやり取りが続き、収穫がないと記者は時間を置いて再訪。
「お兄様も今日はおられるということで・・」
となれば松本隆博も同じようなやり取りをする。
翌朝、また同じ記者が来たので、根負けした松本隆博は玄関に入れた。
昨晩、ホテルに泊まったという記者は、何かネタをつかまないまま帰ると交通費も滞在費も出ないから帰れないと訴えた。
泣き落としとわかっていたが、松本隆博は彼を救うための当たり障りのないコメントを与えた。
後日、その雑誌には
「松本の情報に詳しい関係者」
と書かれてあった。

2002年8月25日、早朝4時25~30分、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで! 」で浜田雅功に走り幅跳び対決で敗れた松本人志に対し、罰ゲームを執行。
日本テレビの駐車場で、家族戦隊松本レンジャイの5人

おとんレンジャイ(父)
おかんレンジャイ(母)
たかひろレンジャイ(長男)
なおみレンジャイ(長女)
ひとしレンジャイ(次男)

が力を合わせて悪の黒鬼軍団からヘイポー少年を助け、戦いの後、松本隆博の生ギターに合わせて「松本レンジャイのテーマ」を歌った。
この他にも松本隆博は、人志、あるいはスタッフから依頼されれば、
「少しでも数字的に貢献できたら・・」
と番組に出て、トークにギターに、その中途半端な素っぷりで盛り上げた。
一方、有名な弟を持つ素人の兄は
「弟の七光り」
「弟様様やな」
と揶揄されてきた。
そういうネガティブな意見に対しては、
「人志の兄ということだけじゃなしに、俺だってやれるんだぜということを見せてやりたい」
と逆にエネルギーにして仕事を一生懸命がんばった。

姉、直美が離婚して、慰謝料をもらわずに電子レンジだけ持って帰ってきたとき、人志は
「手切れ金に電子レンジもろた。
2人の間も冷め切ったってちゅうことで」
とテレビでネタ化し、父、譲一を激怒させたが
「そんなもん、芸人の家族の宿命」
と一蹴した。
直美は他にも、人志に
「鏡台の裏にハナクソをつけていた」
「背中にキスマークがあった」
「パンツにウンコがついていた」
などとテレビでいわれていたが、自身もトイレに行こうとする5歳の人志を羽交い絞めにして漏らさせたり、食事のときに自分が食べているものをのぞいてくる人志の眉間に箸で突いたりしていた。
またビーフジャーキーやポテトチップスなどの異文化を松本家に持ち込み、人志に
「姉ちゃんはザビエル」
といわれた。
人志はビーフジャーキーを初めて食べたときレーザービームで頭を撃ち抜かれたような衝撃を受けたという。
人志いわく、常に前へ前へ出ようとする松本隆博より、ボソリと放つ一言で笑いをとる姉、直美のほうが意外と面白いときがあったという。

松本隆博は、大阪電気通信大学を卒業後、

豊中信用金庫
内田洋行
松下システムソフト
松下電器IT教育研究所

と一貫してSE(システム・エンジニア)をやっていた。
そして40歳のときに、ヒューマンアカデミーで講演を行ったとき、自分の夢をしっかり持って、なりたい自分をめざしている18歳や19歳の若者と出会い
「俺、なりたい自分をずっとおいてけぼりやんけ」
と気づかされた。
そして2002年、ヒューマンアカデミーと松下電器の共同出資によってヒューマックス株式会社を設立され、松本隆博は取締役になった。
会社設立がうまくいくと、勤め人としてずっと鬱積しているものが弾け、
「好きなことをどんどんやってやろう」
という欲求が止められなくなった。
ブログ「取締役 松本隆博」は人気になると
「音楽でとことんやれるところまでやらせてくれてもええんちゃうかあ」
と思い、ヒューマックスの経営+音楽活動をどこまでやれるかに挑戦し始めた。

2004年11月17日、人志作詞、槇原敬之作曲&コーラス、そして浜田雅功が歌う「チキンライス」がリーリス。
人志は深夜に電話が鳴ったため、みると松本隆博だったので無視して寝た。
後で留守録を聞くと、
「人志ぃー兄ちゃんやでえ。
チキンライス聞いて」
と松本隆博がテンションが高い声で前置きした後、ギターを弾いて歌い出したので、人志は速攻で切った。

2006年12月20日、「取締役 松本隆博のフォークギター教室」フォークギターの教則DVDをリリース。
フォークギターを愛する人に手っ取り早く弾いてしまえるエンタメ奏法を伝授。

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