林邦太郎は1931年生まれで明治大学商学部を卒業しているということでこの時代の明治大学卒と言う学歴は家庭的にも裕福で頭脳明晰という印象です。
そして和利君を誘拐し殺害した動機は、まず林邦太郎が少年愛者だったことです。
そして自分のゆがんだ性癖・性愛が動機であるとしか言いようがない!
ついに人を殺めたか!というその前に起こしていた異常行動も明らかになっています。
林邦太郎の異常性は巣山和利君殺害の以前から兆候がすでに表れていました。ネコに異常な執着があり、飼っていたネコを殺してその遺体を焼いて食べたと言われています。
動物の虐待から人に移行するというのはこれまでの残虐事件でも”兆候”として言われていることです。
例えば、1997年に起こった当時中学生が小学生5人を殺傷した事件でも、犯人の少年は事件を起こす以前からたびたび動物虐待を行っていた人物として情報があった様です。
殺人犯・林邦太郎、日記に綴る異常性
『ついに捜し求めていた理想の少年を見つけた。住所・氏名を聞いた。必ず連れ出そう。必ず。』
こうして林邦太郎の殺人日記『若松湯』が4月1日から始まります。
遺体を鑑賞物として眺めている林邦太郎の精神状態は狂気の沙汰としか言いようがないですね。
犯人・被害者家族はそれぞれ有名人だった
『少年誘拐殺人ホルマリン漬け事件』ではもうひとつ注目された点がありました。
被害者の巣山和利君、そして犯人の林邦太郎の親がともに有名人だったということです。
被害者・巣山和利君の父親
被害者・巣山和利君の父親は秋田出身の伊勢ヶ濱部屋所属の元大相撲力士、旧全日本プロレス所属の元プロレスラー清美川 梅之(本名・:佐藤 梅之助)さんです。
1934年1月場所で初土俵し、1940年5月場所で入幕、最高位・東前頭筆頭まで昇進し、1943年には幕内優勝も果した人気力士でした。
家業を継ぐとして1946年11月場所で引退していますが、その後1953年にプロレスへ転向しています。同時期に活躍していたプロレスラーには同じく相撲界出身レスラーの力道山がいました。
また1970年代には全日本女子プロレスのコーチに就任し、その後女子プロ大ブーム到来時の大人気レスラー、ジャッキー佐藤とマキ上田のビューティ・ペアをトレーニングしていたことでも知られていた人物です。
事件が起きた1957年、父親の清美川 梅之さんは和利君の母親となる方とはすでに離婚していて、和利君は母親に引き取られていました。
事件当日はプロレスの長期海外転戦中で日本にはいなかったということです。
殺人犯・林邦太郎の父親
残忍な少年誘拐殺人ホルマリン漬け事件を起こした犯人・林邦太郎の父親は愛知県出身の囲碁棋士・林 有太郎(九段)でした。
事件のあった1957年4、57歳だった父・林 有太郎棋士でしたが、当時どのようなコメントがあったのかなかったのか情報がありませんでした。
まとめ
昭和に起きた猟奇的事件としてご紹介した『少年誘拐殺人ホルマリン漬け事件』でした。
犯人の林邦太郎は裁判で精神鑑定され、責任能力ありとされるも懲役10年の判決で出所しています。
10年で出所しているとすれば、判決が出たのが1958年、1968年か69年には社会に出ていることになります。
父親の林 有太郎棋士も1969年、69歳で九段昇段したと言う頃です。
1983年、羊羹を誤嚥して亡くなられているということですがそのそばに長男は同居していたのか....情報はありませんでした。