デビル雅美とダンプ松本が仲間割れした試合とは?
デビル雅美とダンプ松本が仲間割れした試合は、1984年のクラッシュギャルズ(ライオネス飛鳥・長与千種)VSデビル雅美・ダンプ松本のタッグ戦でした。
植田コミッショナーによる凶器使用禁止令を受けて、凶器を使用せずに正々堂々と戦おうとするデビル雅美の指示を破り、凶器を持ち出したダンプ松本です。
そしてセコンドのマスクド・ユウ(クレーンユウ)も凶器を使ってダンプ松本に加勢し、デビル雅美の言う事を聞きません。
結果反則負けしてしまった後に、デビル軍団の解散を宣言したのです。
いま見てもすごい迫力ですよね。
3本勝負の3本目はロメロスペシャルでライオネス飛鳥をギブアップに追い込んでいて、技もキレッキレです。
凶器がなくても普通に強いですから、そもそもデビル雅美に凶器は必要ありません。
登場時のテープが悪役なのに多くて、人気もあった事がわかります。
それにしても長い髪をかき上げる仕草がセクシーですよね。女性から見てもカッコイイですが、キリッとしたキリッとしたお顔にセクシーボイスなデビル雅美さんに、ハイヒールで踏みつけてもらいたいと思っていた男性ファンも少なくなさそうです。
デビル雅美の歌唱力は女子プロレス界で随一!

アイドル並みの人気を誇った女子プロレスラーは、歌手としても活動していました。ビューティーペアやクラッシュギャルズの曲が有名ですが、お世辞にも上手いとは言えません。
そんな女子プロレス界にあってデビル雅美の歌唱力は群を抜いていたのです。
何枚かリリースしていますが、代表曲は渡辺典子主演のドラマ「赤い秘密」の主題歌の「サイレント・グッバイ」ですね。
「もしもこの愛たとえ悲劇だとしても」のサビの部分が耳に残り、ドラマの悲劇性と相まって哀愁を誘います。
知らずに聴いていると、本格派シンガーが歌っているのでは?と思う程の美声で女子プロレスラーとは思えません。
第3黄金期と呼ばれて当時大人気だった女子プロレスにハマっていた私は、1985年頃女子プロレスの興行をよく観に行っていました。
テレビ中継をしていない興行は、笑いながらやる気なさそうなファイトを見せるレスラーもいましたね。
でもデビル雅美はいつも真剣で、ヒールで売ってきたのに真面目な人柄なんだなあ…と大ファンになった覚えがあります。
元ヒールで強くて歌もうまくてカッコイイ…そして実は真面目というギャップが最高ですよね。
デビル雅美は引退してる?

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今ではパワハラと言われそうですが、全日本女子プロレスには25歳定年制という制度がありました。
そのため全日本女子プロレスを1987年に退団して、その後はフリーとしてジャパン女子プロレスで活動しています。
退団直前に突然レフリーに転向させられたために、肩たたきをさせられたとわかったと語っていました。
あれだけ貢献していたのに、突然レフリーに転向させるあたり、全日本女子プロレスはある意味ブレません。
ジャパン女子プロレス崩壊後はJWPに所属していました。(1992年~2000年)その中でスーパーヒールとして登場し、引退から復帰して無敗を続けていた元愛弟子の長与千種に勝利しています。
そして長与千種の無敗伝説をストップさせました。
元愛弟子の長与千種とはその後も死闘を繰り広げています。
JWP退団後は再びフリーランスとしてGAEAJAPANを主戦場として活躍していました。GAEAJAPAN解散以降もフリーランスとして活動を続け、孫弟子の里村明衣子が立ち上げたセンダイガールズプロレスリングの新人育成にも尽力しています。
センダイガールズプロレスリングの観客からは「お母さん」と親しまれていました。デビル雅美の優しい人柄がわかるエピソードですよね。
そして長与千種プロデュースの後楽園興行で、2008年に現役を引退しています。
最後は長与千種をファイヤーバレーで破り、31年におけるレスラー生活に幕を下ろしました。
スーパーヒールとして登場し、31年弱に渡る長い戦いに幕が下りたのです。
そして最後のマイクパフォーマンスでは女子プロレス界の未来への思いも残しています。
人生の大半を女子プロレス界で過ごしたデビル雅美は、自分が引退した後の後輩たちの未来まで考えていて、まさに女子プロレス界の「お母さん」ですよね。
まとめ
1980年代人気絶頂のクラッシュギャルズの敵として君臨した、デビル軍団の首領デビル雅美と、ダンプ松本の仲間割れ試合についてや、その後の活動についてご紹介しました。
カッコよくてキレイで、技もキレッキレのデビル雅美は、まさに女子プロレス界のレジェンドです。