毒入りコーラ事件の概要
1977年に起こった事件として注目を浴びたのが、一般的に毒入りコーラ事件と呼ばれた殺人事件です。東京と大阪をまたにかけた広域の無差別殺人事件で、社会を不安に陥れた凶悪事件。正式には青酸コーラ無差別殺人事件と言います。事件が発生した1月4日から2月半ばまでの間に、シアン化ナトリウムが混入したコカ・コーラを飲んだ、高校生や会社員が続けて死亡しました。結果的に犯人逮捕ができないまま、1992年1月に時効が成立し未解決事件となったのです。
連続殺人の序幕

1977年の1月3日午前0時に近い時間で、アルバイト帰りの男子高校生が、現在の品川プリンスホテルとなる品川スポーツランド正面の公衆電話の脇にあった未開封のコカコーラを拾います。そしてそのコーラを持ち帰り、午前1時頃に飲みました。その瞬間、異様な味を感じて吐き出し水道水で口をすすいだのですが、倒れてしまったそうです。意識不明となった高校生は、直ちに病院に運ばれ救命処置が行われましたが、処置の甲斐なく亡くなりました。青酸中毒が死因だったそうです。
第2の殺人

最初の事件で男子高校生が亡くなったすぐ後、4日午前8時15分頃に、46歳の作業員が倒れているのが発見されます。前の事件があった電話ボックスからも近い場所で、この方も病院に運ばれましたが死亡が確認されました。死因は、やはり青酸中毒だったそうです。現場近くでコーラびんを発見し、調べたところ中のコーラから青酸反応が検出されました。
この一連の事件を受け、警察では同一犯の犯行が高いとみて捜査を進めます。コーラをよく飲む若者世代や、青酸化合物が入手しやすい塗装業や加工業者を中心に調べましたが、物証も乏しい上に、犯人を特定できないまま時は過ぎていきました。
危なく難を逃れた人も
危なく被害者になるところだった若者もいます。警察が緊急配備を敷き、周辺の捜索に当たっていた際、品川区にある商店の赤電話に、青酸入りコーラがあるのを警官が発見しました。実は、当時15歳のその商店の息子さんが、用事で出かける時にこのコーラを見ていたそうです。用事の後に飲もうと思っていたそうで、先に警官が見つけ、間一髪で難を逃れたのです。
3人目の被害者

東京で発生した一連の毒入りコーラ事件から、約1ヶ月後の2月13日午前6時20分頃。大阪府藤井寺市において、当時39歳の会社員の男性も被害に遭います。酒屋の公衆電話にあった中身の入ったコーラのびんを見つけた男性は、同僚が止めるのもきかずに飲んでしまい、意識不明になって病院に。コーラのびんからは、東京と同じく青酸反応が検出されました。
この男性は、一命を取り留めたのでしたが、退院した翌日に自宅でガス自殺をして死亡しています。死ぬ直前、家族に東京の事件を知りながらこんな事態を起こして、世間に顔向けできないと話していたそうです。間接的ではありますが、これも毒入りコーラの被害者といってよいでしょう。
毒入りチョコレートも

大阪の事件の翌日である2月14日には、東京駅八重洲地下街の階段で、40箱分のチョコレートが入った紙袋を当時43歳の会社社長が発見します。一連の青酸コーラ事件を認識していた男性は、このチョコレートにも毒がと思い警察に届けたのでした。
ただ、警察ではこれを遺失物として取り扱い、落とし主の申し出がなかったことから、製造者に返却しました。そして、製造番号が破りとられていたことを不審に思った製造会社が、このチョコレートを研究所で調べてもらったところ、青酸化合物が検出されることとなったのです。
その後、製造者が再び警察に届けて無差別殺人事件として捜査したのですが、時すでに遅しで犯人逮捕には至りませんでした。またこのチョコレート箱には、「オコレル ミニクイ ニホンジンニ テンチュウヲ クタス」(驕れる醜い日本人に天誅を下す)と、カタカナによる脅迫文らしきものも添得られていました。ただし、毒入りコーラ事件との関連性は不明のままとなっています。
毒チョコの被害者

そして東京駅八重洲地下街で毒入りのチョコレートが見つかった同日の2月14日、神田駅のトイレでも男性がチョコレートを拾っています。この男性は用心をせずに、このチョコレートを電車の中で食べてしまい、意識不明で秋葉原駅から救急車で病院に搬送。しかしこの時は食中毒と診断され、警察への届けもなく翌日には退院しています。
かなりの時間が経った翌年のこと、このことが捜査員の耳に入り、被害者本人から提供のあったチョコレートを分析した結果、微量の青酸ナトリウムが検出されたのです。手口は、八重洲口で見つかったチョコレートと同じで、銀紙を少しだけ剥がしてチョコレートの裏側を削り取り、青酸ナトリウムを混入させるというものでした。
更に続いた?毒チョコ事件
これら2件の青酸チョコレート事件から警察も改めて捜査を開始し、事件が発生した2月14日より前にも、東京駅でチョコレートの入りのバッグを見たと言う複数の証言も得られています。これらの毒入りチョコレートは同一人物が置いたもので、青酸入りコーラの犯人である可能性が高いと判断されていましたが、真相は判明してません。

飲料販売も大きく変化することに
1977年当時、回収&詰め替えのリターナブルボトルを使った自動販売機は珍しくありませんでした。しかしこの事件がきっかけとなり、自動販売機の主流は1度開けたら元に戻せないプルトップ付の缶になっていきます。瓶での販売も、スクリューキャップに変更。今では普通に購入しているさまざまな缶やペットボトルの飲料。実は、この毒入りコーラ事件がきっかけとなり、現在の飲料の形態になったのです。