「あずさ2号」と狩人
1977年の大ヒット曲「あずさ2号」。
♪ 明日 私は旅に出ます
あなたの知らない人と二人で
いつかあなたと行くはずだった
春はまだ浅い信濃路へ
行く先々で思い出すのは
あなたのことだとわかっています
そのさびしさがきっと私を
変えてくれると思いたいのです
さよならはいつまでたっても
とても言えそうにありません
私にとってあなたは今も
まぶしい一つの青春なんです
8時ちょうどのあずさ2号で
わたしはわたしはあなたから旅立ちます ♪
「8時ちょうど~」からの狩人のハーモニーが耳に残っています。
この曲は、
都会での愛する人との暮らしに終止符を打ち、
新しい恋人と新宿駅で特急「あずさ2号」に乗って信州へ旅立とうとする
ヒロインの複雑な心の内を歌った曲だそうで、
新人歌手であった狩人を一躍スターの座に押し上げました。
「あずさ2号」を歌った新人歌手の「狩人」は、
兄・加藤久仁彦(1956年9月19日生まれ )と
弟・加藤高道(1960年1月21日 生まれ )の兄弟デュオです。
「狩人」というデュオ名の由来は、2人の恩師である作曲家・都倉俊一が
「いつまでも大ヒットという獲物を狙い続けるハンター(狩人)であれ」と
言ったことによるものだそうです。
現在、狩人のお二人の所属事務所は「株式会社夢グループ」ですが、
2003年に「有限会社あずさ2号」として設立された事務所なのです。

兄・加藤久仁彦(左)、弟・加藤高道(右)
ロイヤル・ボックス - 狩人
発売当時の列車「あずさ2号」
「あずさ2号」の曲の発表当時、この歌で歌われるとおり8時発は存在したの
でしょうか。
もちろん、存在した列車でしたね。
「あずさ」という列車名は、松本市の近くを流れる「梓川」(犀川の上流域)
にちなんで名づけられました。
当時、日本国有鉄道(国鉄)在来線の列車は、のぼりが1号下りが2号と
なっていていましたので、在来線で信濃へ旅立ったようですね。
下り列車の「あずさ2号」は、新宿駅から松本・大町・白馬方面に毎日運行
される列車だったのです。
ちなみに、下りの「あずさ1号」は季節運行の列車でした。
歌詞通りに「8時ちょうどのあずさ2号」は存在したのです。
しかし、わずか1年半後の1978年10月2日のダイヤ改正で、下り列車が奇数、
上り列車は偶数に変更されたため、この歌詞に相当する列車は「あずさ3号」に、
「あずさ2号」は甲府駅7時35分発の「通勤特急」と呼ばれる便になったなって
しまいました。
当時の列車「あずさ2号」時刻表
狩人の「あずさ2号」が発売された当時のあずさ2号の時刻表(平日)です。
「レ」は通過駅を示します。
時期 1977年 使用車種 183系
列車番号 3M 列車種別 特急電
列車名 あずさ2号
新宿 08:00
八王子 08:38
大月 レ
甲府 09:51
茅野 10:41
上諏訪 10:49
辰野 11:09
塩尻 11:33
松本 11:46
信濃大町 12:24
白馬 12:51
列車「あずさ2号」は旅立った
1966年12月12日に運行開始した「あずさ2号」は、新宿駅 - 松本駅間を1日2往復で運転
していました。
楽曲が発表されたのは1977年。
列車「あずさ2号」は、楽曲の発表から約1年半後(1978年10月2日)のダイヤ改正で、
歌詞に相当する列車は「あずさ3号」となり早い段階で無くなっていました。
ですが、楽曲「あずさ2号」が大ヒットしたことで一時的に列車「あずさ」の利用客が
増えるなど、沿線利用者や鉄道ファン以外でも知名度は高かくなったこともあり、
2019年3月15日までは、E351系電車で運行されていたダイヤを踏襲する列車に
「スーパーあずさ」の名称が使われます。
それから、2017年12月23日からはE353系電車は特急「スーパーあずさ」として運行開始。
2018年7月1日からは特急「あずさ」「かいじ」としても運行しました。
翌年2019年3月16日のダイヤ改正で「スーパーあずさ」は「あずさ」に統合。
しかし2020年3月14日のダイヤ改正で「かいじ」と「あずさ」で運行していた
ものを乗客に分かりやすくするため、「あずさ」に振っていた号数を「かいじ」に
振ることとなり、「あずさ」は完全になくなりました。

あずさ(2020年)
あずさ (列車) - Wikipedia
「特急あずさ2号」リバイバル
2002年2月2日、下りの「懐かしの特急あずさ2号」がリバイバル運行されました。
新宿駅 - 松本駅間(辰野経由)運行。
少々こじつけですが、曲のタイトルである「2」が並んだことと、
長年同列車に使用されてきた183・189系電車の「あずさ」での営業運転終了
が迫ったことを記念した特別列車でした。
リバイバル運行時では、下り列車に偶数の号数は付番されないのですが、
この時は、列車名そのものを「あずさ2号」とすることで運転が実現したもです。
車両は往時を偲んで183・189系が使用され、先頭車前面のヘッドマークは通常の
イラスト入りのものではなく、1977年当時の文字だけが標記されたものでした。
このイベントの出発式ゲストは、もちろん狩人の2人でした。
令和の今も狩人といえば、きっと「あずさ2号」と思い浮かぶこの列車。
残念ながら、令和には存在しませんでした。
最後に懐かしの特急あずさ2号とデビュー当時の狩人の歌声をどうそ。