イビチャ・オシム 永遠のif

イビチャ・オシム 永遠のif

世界を憂う哲学者のごとき容貌 相手の意図を瞬時に見透かす鋭い眼と自分の本心は明かさないしたたかさ 並のチームで格上に勝利する挑戦的な策略家


チーム全体が、現状に満足し、挑戦していないと感じたオシムは、チームを根本的に改革していくため、まず21歳の阿部勇樹をキャプテンに抜擢。
阿部勇樹は、中学生のころからジェフのジュニアユースでプレーするジェフ一筋の選手で、それまで先輩選手を立ててあまり前に出ようとしてなかった。
阿部は最初は嫌で仕方なかったが、試合を重ねるごとに頭角を現し、譲りがちだったFKを自ら蹴るなど積極的に攻撃に参加するようになった。
戦う姿勢が変わったことに加え、本職の守備的MFに加え、複数のポジションを経験させられ
「ポリバレント(ユーティリティープレイヤー、いくつものポジションをこなす選手)」
といわれるようになったことも強みになった。
「僕自身「できること」と「できないこと」を整理してました。
サイドバックをやっても長友佑都選手みたいにできるかっていうとできない。
タイプが違います。
誰かの真似じゃなくて、僕は僕のやり方でやれればいいんじゃないかという考えでプレーしていたから、それがよかったんでしょうね。
別のポジションでプレーすると「誰かの代役」っていわれちゃうじゃないですか。
別に代役じゃないし自分は自分。
自分が「代役」といわれたらそう思ってたし、他の人がそういわれたら「関係ないじゃん、自分らしくやればいいじゃん」って話をしていました。
そして僕は「自分が出来ることをしっかりやっていた」から、オシム監督は違うポジションでも使ってくれたのかなぁと考えています。」
(阿部勇樹)

オシムは、練習メニューを、その日、そのとき、現場で決めた。
たとえ前日に
「明日は・・・の練習をするつもりだ」
と聞いていても、当日になると変更されるため、スタッフは準備が大変だった。
練習時間が突然、変更されることもあり、選手もそれに対応しなければいけなかった。
「前もって何も決められないことは初めは戸惑いました。
しかしそれで結果が出たので・・」
(ジェフスタッフ)

オシムは、チームに3色しかなかったビブス(着る人の役割や所属を一目で伝えられるカラーゼッケン)を10色に増やし、オリジナルの練習が行った。
選手は、ビブスの色が多く、新しいことだらけでついていくので精一杯だった。
例えば「3対1のボール回し」は、最初は自由な状態でスタート。
徐々にタッチ数の制限やボール保持する3人に「1-2-3のの順番にしか回せない」などというルールが追加されていった。
「3色のチームにわかれたパス練習」では、3色のビブスで3チームにわかれ、数個のボールを使ってパス練習を行う。
すべてのパスをワンタッチで行い、リターンパスは禁止。
最初は、ビブスの色に関係なくパスを回す。
やがて

・同色のビブスの人へのパスを禁止
・青-白-赤の順でパスを回す

などのルールが追加される。
パスはワンタッチで行わなければならないので、パスを受ける前に周囲をみてパスする相手やコースを準備しておく必要がある。
紅白戦も、Aチームの前線は黄色、中盤は赤、ディフェンスは緑のビブス、Bチームも3色のビブスを着て、合計6色のビブスと複雑なルールを使って行われたため、何がなんだかわからなくなり、頭が疲れてしまう選手が続出した。

「マルチゴール4対4」は、コーンで小さなゴールは5つつくって、守備側、攻撃側にわかれての4対4。
4人で守るべきゴールは5つ。
1人が1つのゴールを守っていても1つが空いてしまうため、動き続けなければならない。
攻撃側は、ただ横1列に並んで攻めるのではなく、

・誰か1人が前に出れば、守備側は警戒してマークを絞ってきて、ゴールが空く。
・ボールを持っている選手が右サイドに走りこんで相手を引きつけから左サイドにボールを展開すれば数的優位をつくることができる。
・ボールを持っていない3人がスペースに走り込み、その動きに相手が釣り出されて生まれたスペースに、さらに他の選手が走り込むと、また別の守備側の選手が釣り出される。

などテクニックを使う。
このとき大事なのは、スペースに走り込むとき、本気で狙っているという気持ちを持って、強くハッキリ動くこと。
そうでないと相手は釣られないし、味方にも意図が伝わらない。
オシムは
「強く走る」
「ハッキリ走る」
「相手を惑わすランニングをしろ」
「本気で狙え」
と指導した。
またシュートを決めた選手よりも走って囮になった選手を、
「9割は彼の得点だ」
と称えた。
それは試合でも変わらず、だから選手は犠牲心を持ってチームのために走ることができた。

ハーフコートを使った4対4では、オシムは
「とにかく速く攻める」
「全部、速く速く速く、フィニッシュまで」
「いま、・・が仕掛けたときもう1人裏に回ってやるとか・・・・」
「うちはレアルマドリードじゃないんだから」
「なんで1歩を惜しんでるの?
ボール持ってない選手はもっと1歩を動かそう」
「ボール持ったら早く仕掛けよう。
なんでゆっくり仕掛けるの。
ゆっくりしかけたら相手は全然こわくない」
とスピードを維持したままボールを回し、走ることを要求。
ある選手がセンターリングを上げると、表情を険しくして
「ストップ!」
と練習を止めた。
そして
「なんで上げたの?
そこから中に入って勝負かけてみろ。
2対1になるだろ?
なんでセンターリング上げたの?」
と詰め寄った。
そして日本語で答えようとする選手を
「説明なんていらない!
仕掛けろっていってるんだ。
わからないんだったら家に帰っていいから」
と遮った。
思慮の浅いプレーには非常に厳しかった。

選手は練習でミスをすれば罰で走らされた。
コーチやトレーナーも人数合わせのためにゲーム形式の練習に参加することがあったが、ミスをすれば、選手と同じようにオシムに怒られ、走らされた。
それはジェフの得点王、エースストライカーの崔龍洙(チェ・ヨンス)も同様だった。
同じ選手でも実績が大きな選手やエース選手となると扱いが変わってしまうことがあるが、オシムは
「20点獲っていようが、30点獲っていようがエゴは許さない。」
とミスをしたら容赦なく走らせた。
しかし同じミスでも、前向きなトライや挑戦的な意図がみえるミスに対しては怒らず
「リスクを冒すこと」
「高い目標を持つこと」
「野心を持つこと」
を奨励。
こうしてオシムは、基本的にボールに集中し、本能的にプレーする選手にゲームのやり方を覚えさせていった。
それは
「考えて、走るサッカー」
と呼ばれた。
「陸上部なんじゃないかっていうくらい走らされましたね。
パスしたらとにかく走れっていうレベルからスタートして、最初の頃は怒られたくないから走るみたいなところもありました。
ただシーズンが始まると結果がついてきた。
勝てるようになって、やっぱり走るのって大事なんだなと思いました。」
(坂本將貴)
「練習は無茶苦茶キツくて勘弁してほしいってくらいでした。
練習メニューはこれまでやったことないようなメニューばかりだったので、まず理解するのに時間がかかりましたね。
練習パターンが豊富で毎回違うような練習が組まれるので、頭使うし、技術が伸びるし、飽きないですね。
厳しいけど楽しいというか・・・・
監督のいうようにやったら結果が現れました。」
(佐藤勇人)
「外からみると走ることに重きを置いているようにみえていたと思いますが、実際は考えることに1番重きを置いていました。
考えることをよく指摘されただけでなく、考えないとできないメニューも多かったです。」
(羽生直剛)

1回の練習時間は試合と同じ90分と決まっていた。
例えば、夜、練習していて終わるとオシムはすぐに
「ライトを切ってくれ」
と指示。
90分の間に100%の力を出し切ることを要求し、個人的な早出練習、居残り練習は禁止した。
「僕はすごいシュートがすごい下手くそで、居残り練習がダメだったんでシュート練習やらせてくれといいにいったことがあるんですよ。
そのときにお前に必要なものは俺の練習の中に詰まっているから、日頃の練習を100%やれば絶対にうまくなるから、だから100%でやれっていわれました。
それでももし足りないんだったら俺にいえと、俺が一緒にやるからと」
(巻誠一郎)
そして練習後、チームで食事するとき、オシムは少し選手から離れて位置に座った。
常に着かず離れず、適度な距離感で選手と接し続けた。

1週間のスケジュールをみると、基本的に休日はなかった。
通常、土曜に試合があった場合、日曜はリカバリートレーニング(疲労回復を促進させるための軽いトレーニング)、月曜日はオフ、火曜からまた次の試合に向けてトレーニングという流れとなる。
しかしオシムは、試合翌日、フィジカルコーチに、
「スピードアップしたり、スピードを落としたりしながら10分間走らせるように」
と本格的に走らせるよう指示。
これまではゆっくりジョギングをしていた選手は、
「嘘だろ?」
と驚き、心の中でブーブー文句いいながらも、監督がみているため走るしかなかった。
土曜日に試合をして日曜日の午前中にリカバリートレーニングを行なった後は、
「24時間以上、空くから、その間に体を休めればいいじゃないか」
と月曜日は夕方から練習。
これまでオフだった月曜日が練習日になった選手は
「夕方から練習すると練れない」
と抗議。
しかしオシムは、
「夜飲みに行こうとか考えているから嫌なのであって、サッカーにすべてを捧げるなら、練習して、休んで、練習するのが最も合理的だろう。
サッカーでメシを食っているんだから、サッカーにすべてを懸けろ」
と諭した。
火曜日からは2部練習。
9時半~11時まで練習し、食事をして、いったん帰宅して休んで、17時くらいからまた練習。
水曜日、大学生チームなどと練習試合が組まれ、選手は疲労を抱えたまま走り回った。
通常の試合形式だけではなく、8対11や9対11など変則的なゲームも行われた。
60分間ハーフの試合では、前半と後半で全員入れ替えし、全員が出場。
選手はウォーミングアップ30分と合わせて、試合時間と同じ90分間動いた。
木曜日も2部練習。
金曜日、試合前日は、敵チームを意識した練習。
オフェンスの練習では、ディフェンダーは相手チームのディフェンスの動きを研究し、それに似せて守り、つけるビブスも相手チームのユニフォームカラーにものをつけ、番号も相手チームの各ポジションの背番号と合わせた。
ディフェンス練習では、この逆のことが行われた。
時折、ピッチ上でボードを持ったオシムを選手が囲み、時間をかけてミーティングも行われた。
「1週間のトレーニングの中に次の試合のポイントが確実に落とし込まれていて、試合になったら同じようなシチュエーションが生まれて、自然とプレーできるんですよ」
(坂本將貴)
試合前のミーティングは、さながらオシムゼミで、理路整然と選手たちに指示が出た。
しかし試合が始めると一転、感情がむき出しになって、60歳を超えているとは思えない剣幕で
「ヤマ!」
「サカ!」
「イリアン!」
「コウジ!」
選手に檄を飛ばし、ジェフが点を獲るとガッツポーズ、獲られると
「なにしてるんだ!」
というように激しくジェスチャーした。

試合が終われば、また6日間のトレーニングが始まった。
休みがなくても191cmの巨体がノシノシと歩きながらこちらをみているので選手たちは懸命に頑張るしかなかった。
ハードなトレーニングと練習が毎日続くため、気が抜けなくなり、自然と練習前の準備と練習後のケアをしっかり行うようになった。
オシムがいう
「24時間サッカーに注ぎ込む」
というスタイルが出来上がっていった。
すると選手たちは明らかに逞しくなっていった。
厳しい練習やトレーニング、課題を突きつけられても、出てくるのは文句ではなく
「よーし、やってやる」
とポジティブなものに変化。
困難に遭っても腐らず奮起する癖がついた。
「練習は確かに1年目はキツかったし休みがなかった。
それで周りの選手から監督に訴えてくれといわれて「休みをください」っていいにいったんですよ。
そうしたら逆に説教を食らいました。
それで結果が出るようになると楽しいし、2年目、3年目は身体が慣れて、そんなにキツくならなくなった。
戦えるようになってきたんじゃないかなと思いながらシーズンを過ごしていました。」
(阿部勇樹)

サッカーの戦術や経験とは別に、オシムは非常に選手思いで、かつ言葉に力がある人だった。
基本的に寡黙だが、いいプレーをした選手に
「今のプレーはよかったぞ」
とさりげなく褒めた。
ピッチで怒鳴った後、少し落ち着いてから優しく声をかけることもあった。
悩む選手がいれば、
「勇気がなければ幸運は訪れないぞ」
「悩んだら自分にとって苦しい道を選べ」
とアドバイスした。
オシムの試合での選手起用基準は、明確でフェアなものだったが、実際に試合メンバーを決めるとき、いろいろなことを考えてしまい朝まで眠れないこともあったという。
またサッカーが好きでたまらない現役のサッカー小僧で、毎日、サッカーの試合をみていた。
よく選手やスタッフに
「昨日のあの試合、みた?」
と聞いて
「あのディフェンスはよかっただろう?」
などと楽しそうに話した。
どれだけの経験と実績を積んでも
『サッカーはコレッ』
という考えはなく、常に学び続け、変化し続けることを望んだ。
「サッカーには常に上がある。
もし完璧なやり方があったら、みても面白くないだろう。
ワールドカップもブラジルが負けるから面白い。
常に次のステップがあるということだ。
コレがすべてだと思った瞬間に、次はない。」
(イビチャ・オシム)

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