子どもの頃憧れたデパートレストランの洋食

子どもの頃憧れたデパートレストランの洋食

たまの休みに連れて行ってもらったデパートのレストラン。ショーウィンドウに並べられたメニューサンプルを穴が開くほど眺めた記憶が蘇りませんか?


デパートのレストラン

デパートのレストランは、デパートの上階にありがちで、
買い物ついでに贅沢しちゃいますか?といった勢いで、入ることもしばしば。
アニメのサザエさん一家も、時折家族全員でデパートのレストランへ行きますね。

自分は、うどんやそばという時もあり、
そんな時は、何度も席を離れて、ショーウィンドウのメニューサンプルを眺めならが、
想像でお腹を満腹にした思い出が蘇ります。
うどんの後に、「アイスクリームでも食べる?」なんて言ってくれないだろうかと
周りのテーブルの上をみっともなく見まわしたりして。

ハンバーグやスパゲティが、あっつあつの鉄板に盛り付けてあったり、
キンキンに冷えた銀色食器(ステンレス製やアルミ製)にアイスクリーム。

そんな懐かしいレストランも全国では数知れず。
もし、昔ながらのレストランを見つけたら、飛び込んでみたい気分です。

オムライス

大家族だと大量生産しずらい「オムライス」。
卵の中のケチャップライス(チキンライス)に憧れましたね。

家では「オムライス作って~!」と言えば、「今度ね」と同じ会話が何度あった
でしょうか。

さて、このオムライスの発祥は、「発祥」を自称する店は複数あります。
中でも大阪心斎橋の「北極星」と東京銀座の「煉瓦亭」は有名ですね。

東京銀座の「煉瓦亭」は、明治28年(1895年)創業で、
溶き卵・ミンチ・タマネギ・ライスを混ぜ合わせ、フライパンでふっくら
焼き上げるだけの手早く作れる賄い料理としていましたが、
客からの要望によりオムライスとしてメニューに取り入れたのが初めだと
言われています。

大阪心斎橋の「北極星」のオムライスは、ケチャップライスを薄焼き卵で包んだ、
現在一般的となっているスタイル。
1925年(大正14年)に、大阪市難波の汐見橋にあった「北極星」の前身である
大衆洋食屋「パンヤの食堂」の主人・北橋茂男が、いつも白飯とオムレツを頼ん
でいた胃の弱い常連客に「くる日もくる日も同じものではかわいそうだ」と
ケチャップライスを薄焼き卵で包んだものを提供し、「オムライス」と命名した
とされています。


現在の「元祖オムライス」は、薄焼き卵の上にトマトケチャップをかけますが、
ケチャップが、日本で普及するのは1908年(明治41年)以降ですので、
ご飯を卵で包んで最初にメニューに挙げたのは「煉瓦亭」で、
最初にケチャップを使った現在のオムライスにしたのは「北極星」でしょうか…。

ナポリタン

昭和の家庭で麺類と言えば、うどん・そばでしょ。
昭和33年(1958年)に発売された「チキンラーメン」が「世界初のインスタント
ラーメン」となりますので、簡単にできるインスタントラーメンも一つに挙がる
でしょうね。

しかし、子どもは洋食が食べたいのです。
おじいちゃんやおばあちゃんが嫌がっても洋食の夕食が食べたいのです。
だからこそ、ショーケースの「ナポリタン」は輝いて見えたのです。

おめかししてデーパートへ来たのに、レストランでフォークの使い方も
ままならない子どもが、服を汚さずに食べられるでしょうか?
もちろん食べられるはずもなく、公共の場で叱られている子どもは数知れず。
それを横目に素うどんで良かったと胸をなでおろす自分。

さて、この「ナポリタン」、本場イタリアのナポリではケチャップ炒めの
スパゲティなんてありませんね。ケチャップは、アメリカ生まれですし。

ナポリタンは、茹でたスパゲッティをタマネギ、ピーマン、ハムなどと共に
ケチャップで炒める料理で、日本で創作されたものです。

ナポリタンもやはり発祥には複数の説があります。
一つは、アメリカのスパゲッティ・ウィズ・ミートボールがナポリタンの
ルーツであり、戦後に進駐軍を通じて伝わったものと推定しているようです。

もう一つは、明治40年(1907年)に発行されてベストセラーになった主婦向け
レシピ集「料理の科学と美食の技法」の「ナポリ風マッケローニ」がナポリタン
のルーツと言われており、戦後都心にできた新興のイタリア料理店が米兵の好み
に合わせて提供していた料理が広まった可能性があるとも言われています。

そして3つ目の説が、横浜の洋食レストラン「センターグリル」が、昭和21年
(1946年)の開業時より、ナポリタンにケチャップが使用されていたとされる説
です。

本場イタリアにはない「ナポリタン」の名前の由来も様々で、ホテルニューグランド
第2代総料理長の入江茂忠は、師のサリー・ワイルを通じてフランス料理の
「スパゲッティ・ナポリテーヌ」の存在を知っており、日本人が呼びやすいように
「ナポリテーヌ」を「ナポリタン」に変化させたのではないかと考察しています。
しかし、ホテルニューグランド第4代総料理長の高橋清一は、中世ナポリ風であることが
「ナポリタン」という名前の直接の由来とも。

本当の由来は、どちらでもよいのかもしれません。
簡単に家庭でも作ることができる、おいしいスパゲティなのですから。

ミートソーススパゲッティ

さてさて、お先に「ナポリタン」を挙げていましたが、
ナポリタンは家庭で簡単に作れるようになり、子ども心はケチャップ色の
ソースにお肉が(ミンチ)が入っているスパゲティへと変化。

自分は、いまだにミートソーススパゲッティは、大好きです。

ミートソースは、本場イタリアから「ボロネーゼ」というソースが、
アメリカに渡ったのち、そこでアメリカンスタイルに変化したものを指します。
アメリカンスタイルになったボロネーゼは、トマトケチャップを使い、砂糖や
ウスターソースなどで甘みを加えることで、ボロネーゼよりも甘めに仕上げます。
さらに、日本で変化し、完全に混ざるまで和えるのでなく、麺の上に乗せるように
なり、麺をナポリタンのように炒めるようにもなりました。

このミートソーススパゲッティも、発祥説が複数ありますが、
明治14年(1881年)に開業した新潟のレストラン「イタリヤ軒」が、日本初の
スパゲッティミートソースの提供者であるとする説があります。
この説に対するように、銀座の「煉瓦亭」のオーナーは、遅くとも大正時代には
メニューにこれを書き加えていると話しているそうです。

ハヤシライス

ここで、ご飯もの「ハヤシライス」を紹介します。
家庭ではカレーライスが主流ではなかったでしょうか。
そんな中、黄色ではない肉の入ったソースがのったご飯ものが気になりましたね。
ショーケースには、カレーライスの隣に鎮座したハヤシライス。

「ハヤシライスってどんな味?」と親に尋ねた記憶がありますが、
親は無言でした。
家庭料理に出ない料理の味を親が知っていようか・・・。

さて、そんな「ハヤシライス」は、薄切り牛肉とタマネギをドミグラスソースで
煮たものを米飯の上にかけた料理です。
地域によっては、カレーライスのようにお肉が牛肉や豚肉など違いはあるようですね。

発祥に関し諸説あり定かではないのですが、ご紹介します。
一つは、丸善創業者の早矢仕有的が考案した、肉と野菜のごった煮にご飯を
添えたものが有名となって「ハヤシライス」と称されるようになり、いつしか
レストランのメニューにもなったとする説。

二つ目は、やはり銀座の煉瓦亭。煉瓦亭3代目の木田明利は「日本橋丸善が元祖
ではあるが、あれはチャプスイに近い」とし、ドミグラスソースのハヤシライス
は自店が元祖であるという説。

三つ目に、宮内省大膳寮初代厨司長であった秋山徳蔵が考案した、宮内省版
ハヤシライスが元祖である説。秋山の料理は東欧料理のグヤーシュをベースと
して創作されたもので、これが上野精養軒のコックであった「林」に伝わり、
「ハヤシライス」という名で世に広まったという話です。

いやはや、明確な文献がないので、この発祥店争いは続くのでしょうね。

お子様ランチ

お子様時代には、一度は食した経験があるのではないでしょうか。
ケチャップライスに万国旗。
夢見るお子様ランチは、ショーケースの花形です。

昭和5年(1930年)に、日本橋にあった三越の食堂部主任であった安藤太郎が
数種類の人気メニューを揃えた子ども用定食を考案し発売したというのが発祥
とされています。
世界恐慌の暗い時代でもあり、子どもには楽しい気持ちになってもらおうと開
発したということです。

提供を開始当初は、人気は振るわなかったそうですが、グリコのおまけをヒントに
メニューに加えたところ好評を博し、この名称とスタイルが全国的に定着すること
となりました。

ご飯は、チキンライス・オムライス・チャーハン・ふりかけご飯といった色鮮やか
なものが山形に盛られ、そのてっぺんには登山家が登頂の記念に国旗を立てること
に因み、爪楊枝と紙で作られた小さな旗が立てられました。

おかずは、ハンバーグやエビフライ・唐揚げ・ナポリタン・フライドポテトなど、
子どもに人気の高い料理が添えられた夢のような定食。

なんて素敵なメニューを考案してくださったのでしょうか。
三越の食堂部主任であった安藤太郎に感謝です。

エビフライ

お子様ランチにも挙げられましたが、子どもが大好きエビフライ(海老フライ)。
これも日本で開発されたカツ料理の一つであり、代表的な洋食料理です。

レストランにあるエビフライの長さと言ったら。
家庭で、あれほどの長さのエビフライと作るとなると相当贅沢なエビを必要と
するはず。

やはり、こんな贅沢な洋食は、レストランに限ります。

レシピは簡単、海老をカツの手法によって、油で揚げるだけです。
それならば、昔ながらの天ぷらでいいじゃないかと思うのですが、
パン粉で作られた衣が、子どもの胃袋を捕まえてしまったのですね。

発祥は、やはり諸説ありますので、代表的な説をご紹介します。

明治33年(1900年)、銀座の洋食屋「煉瓦亭」で豚カツ・メンチカツが人気
を博したことから着想を得て、同様のフライ料理(カツ料理)として考案さ
れたと言われる説です。
洋食の発祥説には、「煉瓦亭」がつきものです。

「煉瓦亭」は、明治28年(1895年)創業の老舗洋食屋であり、現在の豚カツ、
オムライス、カキフライ、エビフライ、ハヤシライス、これら代表的洋食メニュー
のほか、食事の提供の仕方「皿にライスを盛る」着想を考案したとされているからです。

プリンアラモード

最後にデザートを紹介します。
ショーケースには、銀色の食器にのったバニラアイスクリーム(てっぺんにサクラ
ンボ)や、かき氷、プリンなど、食事もそっちのけの美味しそうなサンプルが並ん
でいましたね。

なかでも「プリン・ア・ラ・モード」は、王様級のボリューム。
これを選ぼうものなら、親から「食べきれないからよしなさい」と制止されていました。

さて、最後になっても発祥が気になるところ。

もちろん、プリン・アラ・モードにも発祥があります。
「ア・ラ・モード」は「最新の流行の」「洗練されたもの」を意味するフランス語
から取られているそうで、横浜にあるホテルニューグランド「ザ・カフェ」が考案
したデザートといわれています。
太平洋戦争後、GHQ接収時の同ホテルにあって米軍高級将校の夫人に提供すること
を念頭におき、プディングのみならず缶詰の果物やアイスクリームなどを付け合せ
て出したのがはじまりだそうです。

カスタードプリンを中心として、つぎのような食材が飾られます。
  乳製品(ホイップクリーム、生クリーム、アイスクリーム等)
  フルーツ(イチゴ、ミカン、キウイ、メロン、サクランボ等)
  シロップ(チョコレート・ソース、ストロベリー・ソース等)

デザートのお子様ランチですよね。
今見ても、わくわくしてしまう一品です。

おしまいに

今回、幼少期に胸躍らせたデパートのレストランのメニューについて
紹介してきました。
他のサイトやブログなどでもとりあげられている昭和レトロなメニュー
を、自分の記事も含め、甘酸っぱい思い出とともに、色んな記事を検索
してください。

できれば、懐かしいレストランや喫茶店へ出向いて、一品食しながらも
いいかもしれませんね。

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