マルチな活躍ぶりをみせた秋吉久美子さん
秋吉久美子さんの経歴
1954年、研究者だった父親、看護婦をしていた母親の間に生まれた秋吉久美子さん。
ご両親の馴れ初めは、父親は結核を患い、療養所で療養しているところ、母親と出会って結婚されたとのこと。しかし、高温多湿の環境が身体が弱い父親には辛く、秋吉久美子さんが6歳を迎えたころには福島県いわき市に移り住みます。
オーディションではヒロインにはなれなかったものの、自殺する文学少女の役に選ばれ、本名で映画初出演を飾ります。しかし、すぐに女優になろうとは思わず、大学に進学しようと受験勉強に励みました。その後、大学受験に失敗して浪人になるも、予備校が面白くなくて休みがちに。
この頃、たまたま観劇した隣町の舞台に感銘を受け、彼女は女優を目指すことになります。
その後も映画『赤ちょうちん』に出演すると、その演技力の高さから女優として高く評価されるようになり、彼女主演の映画『妹』『バージンブルース』が立て続けに制作されると、その大胆な脱ぎっぷりでも世間から注目される存在になりました。
1980年代後半からは女優としての枠組みを超え、タレントや司会者としても活躍するようになります。
その後、世界遺産登録5周年記念事業『熊野古道国際交流シンポジウム2009』にパネリストとして参加。2013年には福島の風評被害払拭のための消費者庁『東北未来がんばっぺ大使』や三重県文化審議委員にも就任されていましたね。
秋吉久美子さんのプライベート情報
秋吉久美子さんには3度の結婚・離婚歴があるので、こちらもリサーチしてみました。
しかし、10年後には離婚といった結末を迎えてしまいます。秋吉久美子さんの奔放な男性関係が原因だったとされていますが、本当のところはどうなのでしょうか。
ただ、離婚後も二人の関係は良好だったようで、秋吉久美子さんの母親がガンを患ったときには彼が献身的に支えてくれたのだそうです。このことがきっかけとなって、2006年にお二人は復縁して再び結婚されました。
その後、8年ほどの結婚生活が続きますが、2014年には年齢による温度差に疲れるようなり、またまた離婚されています。三度目の結婚・離婚相手は、二度目の相手と同じということですね。
この不可解な行動から色々な憶測が飛び交いましたが、秋吉久美子さんは何もコメントを発表しておらず、真相は謎に包まれたままです。たった一人の息子を亡くした心中を察すると、気の毒でなりません。