立見里歌のグッズ
内海和子のグッズ
二人がタカさんの普段の接し方に対して、真顔で「むかついた」とアイドルらしからぬ発言をすると、これにタカさんもヒートアップ。一触即発の雰囲気となるもアイドル陣も負けじと、フリップの手書き文章を読み「憧れの萩原健一さんと対談して何も喋れず目に涙ためてんじゃねえよ!」などと応戦します。するとタカさんは「おいこの野郎テメー」「タコ助テメー」とオラつき始め、終いには「止めてやるぞこのコーナー!」と憤慨。
セットのテーブルに乗り上げ、コーナー名の書かれたボードを破壊し始めます。椅子も床へと叩きつけるなど怒りを爆発させたところでコーナーは強制終了となっています。
DVD「夕やけニャンニャン おニャン子白書 (1985年7~8月) 」
また、素人の参加者ととんねるずによる電話での口喧嘩が見ものだったコーナー「タイマンテレフォン」でも、罵りあいの終盤に怒りが頂点に達したタカさんが、一般人である参加者の個人名や住所、在籍校を公開し、さらには不幸の手紙を送るよう促したりしています。また、悪乗りが得意な木梨も参戦し、「頼んでもない出前を届けてやれ」と迷惑この上ない発言をさらりと言ってのけます。
他にも名物コーナー「ロッキーに挑戦・勝ち抜き腕相撲」での一コマ。興奮した参加者たちが暴れ回るシーンにおいて、タカさんは素人相手に殴る蹴るの暴挙に出ます。すると全員が入り乱れ、スタジオ内がカオス化する状況で、いつの間にかタカさんの服にケチャップがかけられる事態に。
一瞬呆然としたタカさんは、放送後に暴れていた参加者たちを居残りさせてVTRを確認。タカさんはスタッフと共に説教を行ったとのことです。
木梨憲武死亡のドッキリで多数の抗議を受ける!!
1991年10月、盲腸による休業からの復帰となった木梨憲武。フジテレビ系『とんねるずのみなさんのおかげです。』への復帰回で事件は起こました。
放送が開始された直後、「緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで…」とのタイトルが付けられ、生放送の追悼特番のように厳粛なセットが組まれた映像が流れます。
DVD「とんねるずのみなさんのおかげでBOX コンプライアンス」
そして、タカさんとアナウンサーが神妙な面持ちで故人を偲ぶような会話を始めます。そこで放送当日の午後5時30分過ぎに木梨が急逝した旨が伝えられ、急遽設置された遺影では在りし日の木梨が微笑んでいるという状況がシリアスに映し出されました。
しかし、放送開始から2分半が過ぎた所でラフなジャージ姿の木梨が現れ、ドッキリのネタばらしとなります。しかし、その登場を無視し、暗い雰囲気のまま会話が続いていくというシュールな展開に。さらに2分が経過したところで、タカさんが吹き出し笑いが起き、一連のドッキリが終了しています。
復帰回と思っていた視聴者の反応は様々で、ドッキリとして楽しむ者がいる一方で、放送直前の訃報であることからニュースにならず、本当に木梨が亡くなったと信じた者、そしてフジテレビに抗議の電話をする者など。この時の抗議電話は数百件に上ったと言います。
ちなみに同局アナウンサーで番組にも出演していた中村江里子は、放送を観ていて途中まで本当に木梨の死を信じていたそうです。
1991年の紅白歌合戦で「受信料を払おう」のペインティングを披露!!
1991年のNHK『紅白歌合戦』に初出場したとんねるず。同じ初出場組にはXやSMAP、森口博子らがいました。出場を公言し、本気で大晦日の大舞台を狙っていた二人の晴れ舞台でしたが、普通に歌って終わるとんねるずではありませんでした。
「第22回日本歌謡大賞 大賞受賞曲」である「情けねえ」を披露した二人は、それぞれに紅白に分かれたかつらと足袋、ビキニパンツを纏い、さらには紅白のペイントを全身に施した出で立ちで登場します。そして、なんと背中には「受信料を払おう」とペイントが。見る者の度肝を抜いた衣装で初出場に自ら花を添えています。
シングル「情けねえ」
結果的にこの演出は大盛り上がりとなり、お笑いタレントとしてしっかりと爪痕を残した格好となったとんねるずでしたが、これには局の上層部は怒り心頭。長い歴史ある番組の品位をおとしめたとして、現場の関係者に顛末書の提出が義務化をされたそう。
湾岸戦争と、それに対する日本の対応を風刺した同曲。出場が決まった後の記者会見で、タカさんは「皆さんも、受信料を払っていれば、きっといいことがあります」と、落ち着いた口調で喜びを語っていました。同曲は「とんねるずのみなさんのおかげです」エンディングテーマ曲であり、深読みすれば国民の受信料から成り立っているNHKと番組タイトルを引っ掛けたのではないでしょうか。